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2014/10/20

人生を愉しむ秘訣は、結局「絡む力・絡まれる力」なんじゃないの?


コミュニケーション力が重要なスキルとしてとり上がられるようになって、ずいぶん経ちます。

コミュニケーション能力の面白いところは、勉強ができるようなアカデミックスマート側の人間よりも、ストリートスマートと言われるようなたたき上げの人間のほうが、得意なスキルだということ。

もちろん、プレゼンテーションスキルや説明能力という意味では、学校教育で修得することが役に立つ分野ですが、面白いのが“愛嬌”だったり“可愛がられる能力”などは、学校教育というよりも商売人の家で育ったり、大人の中で小さい頃から注目を集める必要がある環境(世間的にはあまり羨ましがられない環境)の人のほうが高くなるということです。

愛嬌とか言ってしまうと、再現性が不可能な天性のもののように取られてしまいますが、そうではありません。“絡む力・絡まれる力”と言い換えたほうが、スキルとして認識してもらいやすいかもしれません。


学校教育の世界では「突っ込まれずに、全員の承認を得ること」が重視されるのに対して、コミュニケーションが産まれるためには、「他人との接触面を増やすための違和感」が必要になります。これが、学校教育で教わるような突っ込まれず、無難にこなす方向とは逆の「絡まれる力」です。

また、見ず知らずの人と接触をはかるための「絡み力」も同じです。見ず知らずの人に話しかけるには、隙を見つけて、気持よく心を開いてもらうための きっかけづくりが必要です。その人が本当は誰かに話したいポイントを見出すことから始まります。

◼︎
この「絡む力・絡まれ力」は仕事だけで役立つものではありません。むしろ、人生を愉しむためには仕事のスキルよりも、この絡む力・絡まれる力のほうが効いてきます。

例えば、同じ場所に旅行しても、人によって体験すること見られるものには差が出ます。その差がどこから生まれるのかというと、結局この「絡む力・絡まれる力」です

普通に知らない商店街を歩いていて、店主に絡んでもらったおかげで、知らない知識が得られる。地元の人がよく利用する穴場の美味しいお店を教えてもらえる。 飛行機の隣の席になった人と話したことで、永く交流が続く友達ができたり。。。

結局、人生の愉しみって「人との交流」が醍醐味だったりするわけですから。

もちろん、「絡まれる力」によって、危ない人や事件に巻き込まれたら問題ですが、そういう時こそ「絡む力」の目利き力を活かして早めに距離を取るようにしましょうねw


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2014/10/08

"痛い目にあわないと、わからない"あらため"愉しい経験しないと、かわらない"


「痛い目にあわないと、わからない」 の意味は、失敗することで人間は一番学習するということでしょう。

不安やリスクを避けるための情報はたくさんある

注意するという意味では、マニュアルや ルールブックのようなものも「痛い目にあわないと、わからない」ものに対して「痛い目にあわないように、対応策まとめておいたよ。守ってね」というコミュニケーションをしているもの。いわば、人生におけるディフェンスです。

マニュアル型のルールが成立するものは、"痛い目にあう不安への代償"としてルールを守ることを求めるものです。

よくネットで、不安系のワードで検索されるのが、この類です。そのため、こちらの情報は「失敗しない」ノウハウとしてたくさん流通しています。日々のお茶飲み話でも、結局アドバイスしたがりの人がしてくるのは、この手の「失敗しないため」「安全でいるため」の規範です。


愉しく暮らすための情報は経験しないと探せない

一方で、オフェンス側である"愉しく生きる"だったり、自分にとって"愉しく暮らす"ということを考える 情報を 探すのは容易ではありません。

難しいのは情報がないということではなく、"自分が求めているものは何か?"ということを言語化しなければならないから。

自分の周囲に"愉しく暮らしている大人"や"こういう生活をしたい"という憧れを抱かせる人がいないと、なかなか明確には描けないものです。

先日も、自分たちの環境で、肩の力を抜いて暮らしを素敵に楽しんでいる大人たちを紹介するツアーを行いました。なぜわざわざそんなツアーをするのかというと、自分の目で見て、その人達の空気感、話し方、家族や友人たちとのコミュニケーション…を体験してもらわないと、こういう世界もあるということを理解してもらえないから。腹落ちしないと、自分の生活・環境に置きかえて、自分ならどうするのかを考えないから。

今、一番足りないのは"夢のある対案"を見せる・体験してもらう仕掛けでしょう。

ことわざにはその社会が 古くから大切にしている思想が染み付いています。"痛い目にあわないと、わからない"と言い続けてきた社会に、"愉しい経験しないと、かわらない"という新しいことわざが定着したらどうなるのでしょう?

私は、自分たちの環境(制約条件)を利用して、 愉しく暮らせる大人こそ、クリエイティブな人間だと考えています。

関連エントリー:「ないものねだり」から「あるもの活かし」へ


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2014/10/03

iPhone6 Plusと3週間過ごして。アップルのライフスタイル提案が見えてきたw

iPhone6 Plusを使い始めて、今日で3週間。あまりの大きさに、正直戸惑いが隠せなかったのですが、だんだんとiPhone6 Plusとの距離感がつかめてきました。

■iPhoneが出るたびに良く言われることその1
「最初は違和感あっても慣れるんだよね…」

iPhoneが新しくなるたびに、最初は違和感があっても使っていると、慣れてしまうということを繰り返してきました。新しいものに慣れてしまうと、昔のサイズには戻れない。それが、道具としてのiPhoneの優れたところでした。

しかし、今回iPhone5sからiPhone6 Plusに 変更してみて、しばらくたってiPhone5sに触ってみると「こんなにコンパクトなiPhoneがあるんだ!」という逆の驚きが感じられてしまいます。

きっとこの一見使いづらい大きなサイズである理由があるはずです。(その2に続く)

■iPhoneが出るたびに良く言われることその2
「スペックじゃなくて、ライフスタイルの提案だから」

iPhone6のテレビCMのクリエイティブが、ライフスタイルの提案じゃなかったことからも、ついにスペック競争に陥ったのではないか…と言われています。

しかし、今回のiPhone6 Plusは僕にとって、いままで一番のライフスタイルの提言があったモデルでした。iPhoneをずっと使ってきて、知らず知らずのうちに陥っていた課題を一気に解決してくれたモデルでした。


iPhone6 Plusのアップルからの提案
「目の前にいる人との時間や現実社会をもっと楽しめ」

ポケットに入れられて、どんなときにでもチェックできる。目の前に誰かがいるのに、ついノーティフィケーションが気になってスクリーンを覗いてしまう。。。

iPhoneによって生み出された新しいライフスタイルだったわけですが、いつのまにか現実社会よりもスクリーンの向こう側に偏っていたのかもしれません。

iPhone6 Plusがすごいのは、大きいため、ポケットに入れていたら曲がってしまうかもしれないのでカバンに入れることになるというアフォーダンス。

そうするとノーティフィケーションが飛んできても、なかなか気が付きません。その分、目の前にいる人との話にも集中でき、移動中の風景や見ていなかったものに気がつくことができます。

リアルの社会とのバランスを再び取れという提案なのでしょう。

ついついスマートフォンを触ってしまう人こそ、使うときは落ち着いてじっくり使え、ちょっとの空き時間とかであれば、カバンから出すのがめんどくさい。そして、ちょこちょこメッセージのやりとりをやるのも、大きくてバランスを崩しやすいiPhone6 Plusのほうを選んだほうがいいですよ!






初期にiPhone6 Plusを(実物も見ずに)購入した人はiPhoneが出たらすぐに購入するイノベーター層でしょうから、アップルが一番伝えたかった人に、iPhoneとの距離感を考えさせることに成功したとも言えますよね。

追伸:iPhone6 Plusのこと、本当に褒めてますよw(念のため)

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2014/09/26

コンパクトシティ化のキモは、効率じゃなく混沌化。



前回のエントリーで、「日本はモノカルチャーで構成された空間が圧倒的に多い」という投稿をしたところ、いろいろな反応をいただきました。

もうちょっと考えてみると、 ビジネスマンはビジネスマン、子供は子供、高齢者は高齢者…と分けて空間設計・都市の機能設計になっているのは、日本の社会システムが"効率化"を目指すことがコンセプトになっているからだと言えます。

−−−
現在人口減少局面において、"コンパクトシティ"というコンセプトが提唱されています。

例えば、国土交通省の「集約都市(コンパクトシティ)形成支援事業」に関しては以下のように書かれています。


都市機能の近接化による歩いて暮らせる集約型まちづくりの実現に向け、拡散した都市機能を集約させ、生活圏の再構築を進めていくため、医療施設、社会福祉施設、教育文化施設等の都市のコアとなる施設の集約地域への移転や、移転跡地の都市的土地利用からの転換を促進する支援制度 (引用先:http://www.mlit.go.jp/toshi/toshi_machi_tk_000054.html


また、セットで語られているのが「低炭素まちづくり」や「グリーンシティ」と言われるものです。コンパクトシティ化することで、歩くことの促進、公共交通機関利用などメリットを謳うのは大賛成です。

とはいえ、コンパクトシティという次の社会システムのビジョンが、またもや「効率化」という側面だけで語られています。それは、本当に我々が住み働きたい都市なのでしょうか?

社会が効率化を求めて、同じカテゴリーの人ばかりだけと時間を過ごす社会設計から、都市がコンパクト化することで、大人も子供も高齢者も、アーティストもビジネスマンも混ざって混沌とする中から、新しいものが生まれるのが、本当のメリットです。

新しいシステムを導入するときに、既存の人たちに導入してもらいやすくするために「効率化」というわかりやすい切り口で進める戦術なら、もちろん賛成です。

しかしながら、コンパクトシティ化して起きたことが、またもやすべて「効率化を目指して、各属性の人達が固まって過ごす都市」になってしまうことを危惧しています。

コンパクト化することで、混じって混沌とする中から、新しいサービスや新しい産業が生まれる方が、古くて新しい次の社会のあり方だと思うから。



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2014/09/19

日本はモノカルチャーで構成された空間が圧倒的に多い



自由大学クリエイティブ創業スクールの「女性起業コース」で、とある実験を始めたことをきっかけに、気になることがでてきました。

とある実験とは、子連れOK/連れてくる人も来ない人も含めて、お互いで学ぶ環境を改善しながら、講義を実施していくという環境です。いまのところ、託児施設はありませんので、子供たちが遊ぶ中でどこまで学べるのか?どこまで集中できるのかが受講する側も、教える側にも問われています。


最初に触れた「気になること」とは、「日本はモノカルチャーで構成された空間が圧倒的に多い」です。例えば「子供が存在しない不自然な空間」(少子化なのでしょうがない?)や「高齢者の存在しない不自然な空間」(あれ?高齢化社会ですよね?)などです。

ビジネスシーンでは朝や夜の通勤時間にしても、オフィスにしても、社会人の行くようなスクール、夜の飲み会の場。すべてにおいて「自分と同じようなビジネスマンとばかり接する偏った空間」になっています。

これじゃあ、自分と違う環境の人の気持ちも、行動原理も、不満もビジネスチャンスも、見逃してしまいます。同じような属性で固まって過ごすことが多くなるために、自分と異なる行動をする人に対して、相手に「うるさい」とか「迷惑だ」と決めつけてしまうのでしょう。。。

−−−
上記の女性起業コースの混沌とした教室の実験をやっていると、いかに我々が"当たり前"と思っていることが、モノカルチャーなルールの中で"当たり前"になっているかを思い知らせれます。

教室=学生が集まる場/静かに講師の話を聞くことが当たり前/前をむいて講師の話を聞くもので、横でぺちゃくちゃ話すことを控えるのは当たり前/子供が遊んでいるので、床に一緒に座り、子供をあやしながら聞くながら聴講なんてNG…などなど。

世の中には既存の仕組みを利用できるようにするために、"当たり前"を手放して、環境を再構築しなくちゃいけない分野、お互い歩み寄らなくちゃいけない分野がまだまだあるんだと学習中です。

こういう実体験の学び、やっぱり好きだなぁ。



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2014/09/10

「みんな」とか「原理主義」に陥らないための「ロジカル」という道具。


先日掲載されていたほぼ日“今日のダーリン”で書かれていた内容がずっとずっと頭から離れずにいます。ここから考えなくちゃいけない大事なことがまだまだあるように思えて。

a)みんな(大勢)がやっていると思っていたけど、
たった一握りの人しかやってないこと。

b)わたし(少数)だけがやっているつもりだったのに、
みんながやっていたこと。

c)みんな(大勢)がやっているのだろうと思ってたけど、
実際に、みんながやっていたこと。

d)わたし(少数)だけがやっているのだと思ってたけど、
やっぱり、ほんとにわたしだけがやっていること。

いろんなこと、だいたい上記の4つに分類できそうです。
「やっている」と記したところには、
「知っている」とか「思っている」と入れてもいいです。

c)とd)の場合については、当たっているので、
あんまり問題はないわけです。
b)とかa)についての思いちがいは、よくあることですが、
いろんな思考や行動を間違わせます。

ここで、親切に、いろんな例をあげて、
「ほらね」とか言うほうがいいのかもしれませんが、
めんどくさいので、そのまま書きっぱなしにします。
あのこと、このこと、ごじぶんなりに、
いろんなことを想像しては代入してみてください。

あなたの背後に、あなたの考えに
ものすごく同感する人がいると思っていても、
ぜんぜんいないという場合もよくあるでしょう。
あなたが、選ばれた人であるがゆえに、
ずいぶんいろいろ大事なことを知っていると思ってても、
そのくらいみんな知ってるよ、ということもありそう。

少数であることを気どらない。
多数であると思って調子にのらない。
考えるべき重要なことは、多さや少なさじゃない。


“b)わたし(少数)だけがやっているつもりだったのに、
みんながやっていたこと。”
の時には、優越感の思いちがいがうまれ、


“a)みんな(大勢)がやっていると思っていたけど、
たった一握りの人しかやってないこと。”
の時には、「常識でしょ?感」という思いちがいが生じてしまいます。



僕が怖いなぁと思っているのがa)の場合。相手に対する攻撃的な言動の多くは、この思いちがいから生まれています。

新興宗教でも思想でも、主義主張でも、この思いちがいによって、自分たちが正しいと思い相手をむりやり変更させようという非ロジカルな攻撃がはじまります。

声が大きい、腕力が強いからとか、一致団結して攻撃していくるから…ということで。こちらは、ちゃんとその主張の理由が知りたいのです。

以前は言論空間に登場することがなかった、感情論で叫ぶ人達が、文字を使ってロジカルな人と意見を戦わせようとしていることが目につくようになったことが原因ですが。。。

「みんなが…」という理由ではなく、ロジカルに「そうしたほうがいい理由」をテーブルの上に並べて議論できるフラットさを僕はつねに支持したい。

自分自身も、多数派だから、少数派だからという思いちがいをしないように・・・、思いちがいをベースに声高に語らないように・・・。

−−−

新入社員の頃、まったくロジカルな説明ができなかった自分が、一生懸命訓練したのも、このフラットに議論できることに憧れたからです。

自分が考えていることを相手に説明し、相手の主張していることの理由も理解して意思疎通をはかる。思っていることを抽象化し、ケース化して言語として可視化する。

人間が長い年月をかけて育ててきた、この力を社会でもっと活用してほしい。

大きな流れで言うと、ロジカルなものが優先される風潮が飽きられ、感覚的なものを崇拝してきたのがここ5〜6年ぐらいで起きたことでした。そろそろ、それが行き過ぎた頃かも。またロジカルのバランスも見直される時期なのかもしれません。


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2014/09/04

何を「貫いて」どの部分は柔軟に「変化・対応させる」のか?


世界に和食と寿司を拡めたレストランNOBUのオーナーシェフ、松久信幸さんの本を読みました。(会社員時代の同期・高橋亜起子さんから献本してもらって。彼女は現在NOBUの世界中の店舗に食器やお酒などを販売する事業をやっています)

一人の人間の波乱場上の物語としても楽しめますが、ブランドを作っていくことに興味がある人や、オーナーシェフという自分の分身であるお店を事業化していく中での変化を疑似体験できるという意味で、興味深い本でした。

「貫く」部分と「柔軟に変化させる」部分
ここの基準がしっかりとNOBUさんの中にあり、一店舗のときでも、世界中にレストラン・ホテルを展開するようにしても徹底しているということです。

シェフでここまでのバランスを持っているということが、面白い。いい原材料を使うことにこだわり、和食の良さを伝えるための方法は譲らない。一方で、現地の人に生魚に親しんでもらうために従来の日本料理にはないメニューを開発したり、店舗規模にあわせて柔軟に組織化する部分やレストランからホテルにチャレンジしてみるという変化も受け入れてしまう。

「お客さん=NOBUに求められていること」を理解し、その根幹の部分は大切にし、絶対に守る。一方で、変化が必要なものや、より時代や環境に合わせる必要があるものは柔軟に。

−−−
何を「貫いて」どの部分は「変化・対応」させるのか?

これはどんな組織であっても、個人であっても重要な問いです。個人だからと言って、なんでもかんでも迎合していたら、何も残らないし、つまらない。

限られた自分の時間を、何に使うのか? その「何」の優先順位を決めるためにも、この「貫くものは何なのか?」に対する答えが必要になります。

一方で、歳を重ねるにつれて、こだわらなくてもいいような部分なのに、無駄に頑固になっていないのかも考えなければ。

そんなことを考えさせられた本でした。



お客さんの笑顔が、僕のすべて!
松久信幸(ダイヤモンド社)

まえがき――ただ、お客さんの笑顔がみたいだけ

第一章 「海外」と「寿司」への憧れ
――下積み時代を耐えられたからこそ
「おやじみたいに海外に行きたい」
祖母譲りの負けず嫌い
無免許運転で大事故。高校中退
皿洗い、出前持ちばかりの三年間
巨人・王選手のための盛り合わせ
下積み時代を耐えられたからこそ今がある
「立派なお店」より「いい人のお店」
背伸びすれば背が伸びる
おいしいものを求める旅で、妻となる女性に出会う
親父さんの目を盗んで新しい料理に挑戦
「料理は心、ハートで仕事をする」の原点
「ペルーで寿司屋をやらないか?」

第二章 落ちるところまで落ちれば、焦りは消える
――海外での連戦連敗
「ペルー リマ 松栄鮨」開店
ペルーでアナゴを安く仕入れる裏技
「安い食材を使え」というパートナーと喧嘩別れ
やりたい仕事ができないフラストレーション
帰国し、赤貧暮らし
絶望の淵から「一日一ミリでも前へ!」
再起を誓い、単身ロサンゼルスへ
再び家族をひとつにした妻の勇気
南米で覚えた調理法を寿司に融合
店の転売計画が発覚。再び職を失う不安
背中を押してくれた恩人の申し出

第三章 お客さんの笑い声が満ちた場所に
――はじめての自分の店「マツヒサ」オープン
自分の好きな仕事ができることが、ただただうれしい
睡眠時間は一〜二時間。毎日が戦い
お客さんに、何でもやってあげられる!
「魚のおいしさを知ってほしい」という情熱から新しい料理が生まれる
料理はファッション、常に進化していく
熱いものは熱いうちに、冷たいものは冷たいうちに
寿司屋の「おまかせ」がNOBUスタイルの原点
お客さんの笑い声が最高のバックグラウンドミュージック
「もし自分が相手だったら・・・・・・」がサービスの基本
衝動買いしたマグロのおかげで看板メニューが生まれた
生魚を日本から輸入する
やる気のある職人が雇えれば、人件費なんて安いもの
良い食材が先、利益は後
アメリカで、褒めて育てる大切さを知った
メディアに取り上げられ、セレブが来店

第四章 四年待ってくれたデ・ニーロ
――NOBUの共同経営をスタート
デ・ニーロとの出会い
「三顧の礼」で信頼が生まれる
機が熟したときには不安を感じない
レストラン経営のプロが、キッチンを組織化
下手な英語でも伝えようとする情熱があれば・・・・・・
ストレスを感じながらではいい仕事はできない
日本料理店のイメージを変えた
ニューヨークからロサンゼルスへSOSの電話
ミシュランの星よりもお客さんの笑顔
それでも「原点」のマツヒサを忘れない
映画の世界も知ることができた
一つのことを続けていると、世界が広がる

第五章 NOBUの味とサービスを世界へ
――その土地に合わせることと、変えないこと
デ・ニーロなしのNOBUはありえない
ロンドンでNOBUの二店めをオープン、クリスマスに営業
世界のアルマーニと直談判、禁煙を貫く
NOBUの経験者が直接教えて伝える
新しい「味」を創る
NOBUスタイルの土台には「和食」がある
年間10ヶ月、世界中のNOBUを回る理由
現地のシェフと日本人シェフを組ませる理由
僕の目指す最高を、スタッフにも目指してもらう
「売れているんだからいいじゃないか」では大きな損につながる
新メニューを禁止するのではなく、もっといい料理を考える
本質を忘れるな、料理はシンプルがいちばん

第六章 パートナーシップ崩壊の危機を乗り越えて
――常にクオリティを高めつづける
パリ撤退の苦い経験
機が熟するのを待ってパリで再挑戦
「ノブはかけひきをしない」
「1+1」が「100」になるような関係に
NOBUの経営チームも成長した
大きな理想をもつパートナーと仕事をするのは楽しい
「NOBUができるとその街が変わる」
本当の競争をしていれば、競合とも共存共栄できる
中核メンバーの三人が育たなければ新規店舗は出せない
同じことを言いつづけるのが大事
僕がお客さんとの写真撮影を拒まない理由
「おもてなし」にマニュアルは要らない
叱るときも相手の立場に立って言葉を選ぶ
叱ることより効果的なのは、手本を見せること
ハングリー精神は教えられるものではないけれど
皿洗いの人に必ず「ありがとう」と言う

第七章 新たなステージへの挑戦
――NOBUホテルオープン
レストランからホテルへ
NOBUコンセプトをホテルのサービスに反映させる
緑茶とおせんべいでウェルカム
二四時間、部屋でNOBUの料理が食べられる
あるマネージャの勇気ある決断
若い子たちがぐんぐん伸びているのを実感できる店が居心地いい
新しい挑戦に批判はつきもの
日本人以外の人に「正面」の概念を伝えるオリジナル食器
クルーズのお客さんから届いた感謝の手紙
ライバル意識より学び合い意識が組織を強くする
スタッフの成功が、僕の成功。チャンスをつかんでほしい
チームプレーができるシェフがいることがNOBUの強み
「もしかしたら、僕は成し遂げたのかもしれない」

第八章 情熱と努力があれば、結果は後からついてくる
さらに、次の夢を目指して
マニュアルよりもコミュニケーションを第一に
弟子を自分と同じレベルに育ててこそ職人として一人前
レシピはコピーできても、ハートはコピーできない
残りの人生で僕がすべきこと
命の恩人の苦しみに気づいてやれなかった未熟さ
一生懸命がいちばん楽
こわがりだからがんばれる
グローバル人材になれるかなんて考えてもしょうがない
いっぱい助けられたその恩を、次世代に返したい
結局「情熱」という一言に集約できる
「もし自分が相手だったら」が世界に広がれば・・・・・・

あとがき



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2014/08/27

「子供はスリルを好み、大人はやめさせたい」って我々の社会の縮図だよなぁ。


相変わらず双子に手を焼いている状態が続いています。。。たまには、示唆的なインスピレーションを子供からもらうこともあります。

例えば、「おもちゃ」よりも「おもちゃじゃないもの」のほうを喜び、長い時間遊ぶという傾向。大人としては、おもちゃを預けておいたら、夢中で遊んで欲しいのですが、意外とすぐ飽きて投げ出してしまします。

それよりも、大人にとって「触らせたくないもの」「危ないから遊んでほしくないもの」で遊ぶことを好むわけです。テレビやエアコンのリモコン、各種ライトのスイッチ、床暖房のスイッチw DVDやオーディオ機器、らせん階段、ガラス。もちろん家具類やコンクリートの壁にアタックするのも大好き。尖っているものを見つけたら、掴んで舐める。。。

大人が「危ないなぁ」「やめて欲しいなぁ」と思うもので遊んで、ドヤ顔してこちらを見てくる。。。

−−−
詳しいことはわかりませんが、もともと本能的に「スリルを楽しむこと」や「相手の期待値を超えること」が組み込まれているのかもしれません。

すでに「使い方が決められている」ものよりも、「別の用途のものを工夫して遊ぶ」ことのほうが、相手の期待値を超えることにつながっていることを、まるで知っているかのように。

何歳向けとか、この子たちにはこのぐらいという制限された環境は、相手を文字通り“子供扱い”しているのかも。

これを、いい大人向けにもあちこちでやっているのが、我々の暮らしている社会。「もし事故が起こったらどうするんだ?」「新しいことやってうまくいかなかったらどうするんだ?」という先回りしたおせっかいであふれています。

子供の様子を見ていると、制限されるよりも、少々危ないことにも挑戦させるルールに適合するように、人間はできているように思えます。

もちろん、本当に危険な状況になったときに、手を差し伸べられるバックアップは必要です。

我々の社会に置き換えると、バックアッププランは社会システムで作っておきながら、挑戦にも制限している状態。バックアッププランが仕組みとしてあるのであれば、本当はもっと温かく挑戦する人を眺められる余裕があってもいいのかもしれませんね。


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2014/08/20

環境を作るとは、自分なりの「距離感」を保つこと。



お盆休みや夏休みを利用して、ネットとの距離感/SNSとの距離感について見直した人が多かったのではないでしょうか?

僕自信、世の中が静かな期間に、いろいろなものとの「距離感」を見なおしてみようかなぁと思い立ち、実践してみました。

0:健康診断/人間ドックに行った上での身体面での見直し

1:自分のテーマの再確認と優先順位の組み換え
2:1に基づいて自分の時間の使い方
3:インプットする情報の再設定(書籍:ネット:一次情報の比率)


…とブレイクダウンしていくと、やはり時間を割いてしまいやすい環境にあるネットとの距離感は意識しないとなぁ、とあらためて感じました。

人付き合いも同じですよね。かなり強い意志を持たないと、つい飲み会の予定をどんどん入れてしまう。。。

そして健康面はついつい後回しにしがち。今回異常がなかったのもある程度習慣的に走ったりできてるからだと思い、スケジュールをちゃんと確保できるように再確認しました。

−−−
自分で環境を作るとは、すべてのものとの「距離感」を見直し、意識して自分にとって適度な環境を保てるようにする必要があります。

人間はどうしても楽なほうに流れやすい。だからこそ、定期的に立ち止まって、大きな目的・自分の環境を俯瞰して評価する時間が必要です。

自分の仕事のポートフォリオも個人の時間の使い方も、何かとの距離感も、定期的に見なおさないと。これこそが本来のバケーション(vacant=空っぽの期間に、篭って自分を見直すこと)の正しい使い方だと、自分を励ましていますw




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2014/08/08

ますます「一次情報」にこそ価値がある。



自分が直接関わっている業界・分野の報道やニュースを見ると、「ちゃんと取材してるのかな?」「結論ありきで、組み立ててない?」という経験をしたことがある人がほとんどでしょう。

でも、自分の知らない分野の話題だと、「へー、そうなんだ。」と納得してしまう。

もちろん、すべてのニュースや報道がそうだというわけではないので、害のないものならそれでもいいのかもしれませんが、自分や自社が事業としての意思決定をするときの情報ソースは、きちんと「一次情報」を集めて「自分の頭で考えたい」ものです。

念のため、一次情報とは、自分の目で見たもの、自分が直接聞いたもののことを指します。二次情報とは、本やメディアなど第三者が介在した上で仕入れた情報です。

−−−
そんなことを改めて考えたのも、週末に中国の西安を訪れたから。二年半ぶりぐらいの訪問でした。お世話になっている友人のお母様が亡くなったので、香典を渡して焼香するのが主目的。二番目に、日本ではネガティブな情報であふれている中国の地方都市の状況を自分の目で確認しておきたいという理由です。

前回訪れてからの間は、反日デモの報道だったり、中国のシャドーバンキング問題などネガティブな話題ばかりの時期でした。普通に考えれば当たり前ですが、中国とくくっても大きすぎるわけで、アメリカだって州や都市で全然状況が違うし、いろいろな階層・考え方の人がいるのは、人口的にも地理的にも大きくなればなるほど、一括りにはできません。

西安という都市に久々に行ってみた感覚では、都市への人口流入が続き、城壁の外側へ広まっていった新興エリアに住民も仕事をする人も、商売をする人も着実に拡がっているのを感じました。ニョキニョキと建っている高層レジデンス(だいたい40F建て)に下層階は商売エリアという組み合わせの便利さを謳歌し始めています。


ショッピングモールの広場には夜になると、踊りに来る団体が多数
各団体、自由に本当に楽しそうに踊っている
開発中のエリアでも人が住み始めると、飲食店を始める人がまずはお店を開き始める


若い人のマナーはすごく良くなっているし、年上の人達では旧来のままの人もいる。お店で働いている若い子たちの愛想もすごく良くなっていて、洗練されてきている。

もちろん、長安であった頃から国際都市であったため、異国の人たちを知っているということもあるのでしょうが、自分たちの社会の位置付け(発展度合い)を世界の目で俯瞰してみて考えている人達と話ができたのも興味深かったです。

お通夜やお香典、焼香などの風習だって、細かい違いはあるもののほとんど日本と同じ。(中国から伝わってきたものだから当たり前かw)亡くなった方を弔う気持ちに至っては、世界共通でしょうしね。

−−−
長くなりましたが、世の中でネガティブなことが言われている時こそ、自分の足で一次情報を集めて、本当かどうかを考えてみましょう。

もし、事実がポジティブであれば、価値があるものが不当に評価されていないタイミングかもしれません。商売にしても、事業にしても、企画にしても、本来の価値に気づかれていない状態こそが、チャンスなのだから。




まさにこの「弱いつながり」は、旅をして現地を訪れることで「検索ワード」を発見することのメリットを書いている、今の社会での情報リテラシーの新しいあり方を感じられる本で、おすすめです。

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2014/07/30

クリエイティブとは、答えを出す力よりも設問設定能力のほう。


「何が問題なのかが問題」

IDEE創業者であり国連大学前青山ファーマーズマーケットや246common、自由大学ファウンダーの黒崎輝男さんに、とある講演で話をしていただいたときの言葉です。

−−
僕らが日々仕事で直面しているのは、課題を解決するための方法を考えて、実行に移し、うまくいくように運営することです。

しかし、最初の「課題設定」で間違ってしまったら・・・。間違った課題設定を唸りながら解き、総出で苦労しながら実行に移すものの…「あれ? 当初の課題は解決できたけど、それで何がしたかったのだろう?」という悲しい結末になりがちです。

そして、苦労して実現したことは組織として正当化する力が働いてしまいます。
−−

クリエイティブさとは、この何が課題かを見極める力です。多くの組織が間違った課題を設定する間違い、苦労する方法を選び頑張ったと賞賛する文化を壊すことです。

良いデザイン=問題解決ができること、と言われてきましたが、今はさらに良いデザインを引き出すための課題設定能力が必要とされているのだと思います。

課題設定が得意な職業としてのコンセプターや、編集者あたりが活躍できる範囲はまだまだあると思うんだけどなぁ。


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2014/07/24

「ヒップな生活革命」を読んで。音楽が担っていたスターの位置づけは食に移った



ヒップな生活革命』佐久間裕美子著を読んで、故川勝正幸さんが90年代に「世界同時渋谷化」と名づけた現象を思い出していた。

90年代に「世界同時渋谷化」が、2010年代は「世界同時ポートランド化もしくは世界同時ブルックリン化」が起きているのかもしれない。


この新しい文化の潮流は、自分たちが消費するものの本質を強く意識することから始まっています。口に入れたり、身に着けたりするものがどこで作られ、どこからやってきたのかを考えよう、社会的責任に重きを置く企業を支持しよう、「より大きい物をよりたくさん」という消費活動と決別しよう、お金さえ払えば誰でも手に入れることのできる高級ブランドのバッグよりも、自分がより強いつながりを感じるものを、たとえば同じコミュニティの一員がデザインし、地元の工場で、自分たちと同じ電車に乗って仕事に通う人が作る商品を使おう、という新しい価値基準の提案です。via.「ヒップな生活革命」まえがきより

以前は音楽とミュージシャンが担っていたスターの位置づけが、現代では食とシェフ/コーヒーとバリスタが担っている。そんな現象と地元でのものづくりのトレンドや、地に足の着いた生活革命、日常を愉しむ生活が書かれている。


人間は環境に適応する生き物だ。生態系の一部だ。時代によって、大きく振り子が振れたのを戻すために、ヒップなものの定義は時代で変わる。新資本主義が行き過ぎたアメリカで、都市型の働き方が行き過ぎた日本で、昔ながらの食や健康に良いもの・コトがヒップに感じるのは、必然なのだと思う。

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ヒップな生活革命
佐久間裕美子

はじめに
第1章 アメリカに新しい変化の波が現れた
「新しいアメリカ」のスペック
時代を変革するヒップスターたち
おいしいコーヒーが代表する文化の「サード・ウェーブ」
ポートランドに芽生えた独立の精神
文化のケミストリーが起こる場所としてのホテル
ひとつの文化圏となったブルックリン
バブリーな世界観と対立する無骨で温かいスタイル
「責任ある食べ方」がニューヨークの食を変えた
消費動向の変化が社会に変革を求める

第2章 食を通して生き方を変える
グルメになったアメリカ人
ブルックリンに花開いた食のアルティザン文化
自分が自分のボスになって生活をコントロールする
地産地消の思想と結びついて生まれた屋上農園
生産者と消費者を直接つなぐ地域支援型流通システム
アリス・ウォータースが広める「食べられる校庭」

第3章 足元を見つめ直してモノと付き合う
「ブラック・フライデー」で過熱する極端な消費主義
売りながら「買うな」とうたった異例のキャンペーン
「ギビング・チューズデー」が大量消費に投げかけた疑問
公益に企業の価格を見出す新しい企業の形
贅沢から実質へのシフトが起こっている
「メイド・イン・USA」の復興
日本人デザイナーが貫いた「メイド・イン・ニューヨーク」
老舗に命を吹き込んだヘリテージ・ブーム
全米一治安の悪い街・デトロイト復興の物語
自分の生き方を表現するブランド
サイクリストと直接つながる自転車専用パンツのブランド
斧からスタートしたブランドが商品に込める物語
違うコミュニティを掛け合わせて成長する帽子ブランド
製造業を底上げする作り手と工場とのお見合いサービス
顔の見える作り手から買える新しいオンラインストア

第4章 自分の場所を作る文化発信のチャンネル
レコードの流行に見る音楽文化の再生の兆し
若い作家がデジタルで直接映像を届ける配信革命
小さなコミュニティを作って復活する雑誌
世の中の動きとは独立して自分たちの場所を作る
政治に参加するチャンネルはひとつではない
日本の伝統的な文化がアメリカに与えた影響
 


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