2016/01/20

フランク・ゲーリーってテクノロジーと一番離れたところにいる建築家だと思っていた。

先日、六本木の21_21で開催中の建築家フランク・ゲーリー展をやっと見に行けました。

自分の仕事の信条的に、建築家でも芸術家的な人が苦手です。美しさと機能性、予算がかかるものを作っているための合理性のバランスが取れることが建築家として大事だろうという思いがあるからです。

そのため、フランク・ロイド・ライトやコルビジェには共感できるけど、ガウディって…。という好き嫌いがありました。

その中で、フランク・ゲーリーは苦手な建築家のほうに入っていたわけです。ビルバオのグッゲンハイム美術館のイメージが強く、うわぁアート系の建築家という認識でした。


しかし、21_21での展示を見て、フランク・ゲーリーに対する認識が変わりました。

自分の頭の中のイメージを手を動かしてモックを作りながら考えていく身体性を持ち。そこからモデリングと構造解析をデジタルで行い、最も生産コストが小さくなるよう最適化を行う合理性を持ち合わせている。CATIAというシステムを用いるゲーリー・テクノロジーという会社まで設立している。

前者はもともとのイメージ。後者のテクノロジーを活用した合理性の武器があってはじめて、自分がイメージした建築物が無機質で合理性だけで作られた建築プランに勝てるということを見えていた人だったわけです。

80代の建築家が、デジタル・テクノロジーを活用して、美しい建築が建てられる革命を起こしていた。建築に興味ある人以外にも、テクノロジーで既存の業界を変えていきたい人も見に行っておくべき展示だと思いますよ。



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2015/12/28

ヤンキー魂とサブカルスピリット。


さて今日で2015年も仕事納め。とはいえ世の中がゆったりしている間に、じっくり考えたいことがいくつか残っている。じっくり考える時間が、いつのまにか自分にとってのご褒美になっている!

今年は仕事で企画を設計するにあたって"ヤンキー魂"と"サブカルスピリット"の二軸を使って考えることが多かった。人間の成分として、ヤンキー魂とサブカルスピリットの2つがミックスしてできているイメージ。人によっては8割がヤンキー魂で2割がサブカルスピリットだったり・・・。

多くの人に普遍的に響くものを考えていくと、ヤンキー魂成分を無視できない。人とのつながりを大切にしたり、ピュアで頑張っている姿を応援したり、家族や子供という頭ではなく身体にインプットされている動物的社会性に行き着いていく。ジャンプの「友情・勝利・努力」だってこれ。下町ロケットだって、普段はサブカルスピリット成分が高い人であっても、その中にあるヤンキー成分を刺激するものがその人の感情を呼び起こす。

今日読んだエントリーでも、以下の部分はまさしくヤンキー魂とサブカルスピリットを具現化していた。


糸井 
ヤンキーにもいろんな人がいるんでしょうけど、
ぼくがかっこいいなと思うのは、
ヤンキーの人たちって「世のため人のため」みたいに
言わないことなんですよ。 
そうじゃなくて「俺は、自分とお前らを守る」。
永ちゃん(矢沢永吉さん)がかっこいいのもそうで、
「俺は金が欲しい。俺はいい酒が飲みたい。
俺はいい車に乗りたい」って、
発言の主語がいつも自分なんです。
「金の金じゃないのよ」とかあとで説明はするんだけど。
そういう「自分発」の精神を
持ってるか持ってないかが、
ヤンキーの境目だと思うんです。

増田 じゃあ、やっぱりぼく、半端ものでした。

引用:なんとかするから。増田セバスチャン-ほぼ日刊イトイ新聞

人って、その半端だというグラデーションこそが、個性なんじゃないかなぁ。

ここ数年大事にしているのは、現実は白か黒かに二分できない、ということ。多くのことは二択ではない。ハイブリッドな選択肢がたくさんある。人だって一つのカテゴリーに分類することはできない。複数のタグをもっているし、時と場合によって位置付けは変わる。感情は揺れ動く。

2016年は引き続き育児もやりながら、各地を回ってたくさんの物を手に取り、多くの人に出会いながら、社会のグラデーションの豊かさを自分の眼で見て回ろう。

みなさんも良いお年を。


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2015/07/21

職業ではなく、自分のテーマを語れますか?


「自己紹介をお願いします」と言われた時、あなたは自分のことをどのように説明しますか?

職業や勤めている企業のような社会的記号で、説明していませんか。職業名で自分を説明するのは、検索エンジンにキーワードを打ち込んで絞り込みをしているよう。聴いている側も、その記号に当てはまる人物や、そこから連想するイメージを頭の中に思い浮かべます。


記号で表現する自己紹介は、機能しているのでしょうか?
自己紹介に求められることは、短時間に自分が何者なのかを理解してもらうこと。そして、他者と次のコミュニケーションを喚起することです。だとしたら、必要なのは記号を語ることではなく、自分のテーマ・自分の解決したい取り組んでいる課題を語ることです。

「どんなテーマ・課題を解決したいと思っているのか。テーマ・課題にいたった個人的な経験はなんなのか。そのために今やっていることは、どんなことなのか」短い物語として、自分の中にあるテーマを伝える。

そうすることで、聴いている側が「この人にどんな情報を伝えたらいいのか。誰を紹介したらいいのか。自分が手伝ってあげられることはないか…」と、建設的にその人のテーマに対してできることを考えるようになります。

さて、ここまで書いたのであれば、僕自身のテーマを伝えないわけにはいかないですよねw

自分のテーマは、「その他の選択肢を提示する」というもの。固定概念では見えなくなっている、他のやり方・他のあり方を提示する。せっかく素敵な価値があるのに、発見されていないものを補助線を引くことで見えるようにする。それこそが、僕自身のテーマであり仕事だと思っています。

自分のテーマを探求できれば、職業はその時々で何でもいいとまで思っています。コンセプター・アドバイザーとして企業にアイデアや切り口の提案、商品設計。コンサルタントとして企業の戦略設計、広義の編集者として表現やブランドとしての見え方やプロモーション設計。ファシリテーターとしてコミュニティ活動の支援やイベント実施etc. 職業として説明すると“いろいろ”ですが、提供しているのは、すべてその他の選択肢を提示することです。

自由大学で行っている「脱藩学」も、社会に敷かれたレールから選択肢を選ぶのではなく、自分のテーマから選択肢を自ら創る講義です。自分の中の物語を棚卸し、仲間・ゲストと会話することで、自分のテーマを見つけていきます。大事なのは、記号的な職業名よりも、自分のテーマ・課題から始まる物語です。

自由大学のメルマガ用に書いたものをblogにも転載しました。脱藩学6期現在募集中です!


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2015/06/22

丁寧に暮らすために、家事はどんどん自動化し、楽すりゃいいんじゃない?


丁寧に暮らしている人は、便利に暮らしている人を羨み。便利に暮らしている人は、丁寧に暮らしている人に憧れる。人間は、ないものねだり。

そんなことを2〜3年前の自分のエントリー(楽でも、派手でもなく「丁寧に暮らしたい」)に書いてありました。

さて、その時とくらべて"地方出身・共働きの爆走双子育児"という環境になった今、考え方がアップデートしました。丁寧と便利は二項対立じゃないよなぁ、と。

人間を解放するテクノロジー(=便利)はどんどん導入して、それによって生まれた時間や余裕がないと、もう人間らしく行きていけませんw さらには、Blogを書く時間も持てませんw

テクノロジーの進化と人間性をトレードオフで考えている人が多いようだけれど、むしろテクノロジーを活用することで、動物から人間らしさを手に入れてきたのが我々です。

なんでそんな堅い言いまわしをしているかというと、育児や家事に関わることは、苦労するのが大事…手間を省くのは愛情が…的な固定概念が強すぎるからです。

他にもテクノロジーが職業を減らす的な文脈にも、みなさんネガティブですよね。


上のtweetにも書いているように、自分の生活で考えたって、仕事を減らすテクノロジーは導入しているし、それがない世界に戻れてと言われても、絶対嫌ですよね。ルンバや食洗機がなかったら、生活の快適度はぜんぜん異なるわけです。洗濯機やエアコンの話まで戻らなくても、私達の生活はテクノロジーを導入することでここ数年でも変わっていますよね。

どうしても極端な未来の話が盛り上がりますが、実際に我々は新しいテクノロジーを自分たちの生活にうまく取り込んで社会的にも適応してきています。

アップルウォッチだって、スマホ中毒から必要な通知だけ気がつけて、その分自分に向き合う時間だったり、家族との時間だったり、自分の人生を豊かに過ごすという思想が見えますよね。

僕らは、生活にテクノロジーを導入することへの変な後ろめたさを感じる必要はなく、どんどん入れてみて、それによって人間らしい生活を送ればいいだけです。

手間をかけたくないルーチンワークをテクノロジーにアウトソースする。それでできた時間や心の余裕を、自分があえて手間をかけたいことに使う。

大事なのは、テクノロジーを使って省いた分の時間や労力を何に使うのか?をコントロールする自分ですよね。

ルンバ万歳!食洗機万歳!!










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2015/06/05

幸福って自分でリスクを取れることじゃないかな?


寛容ではない社会では、ルールのほうが幅を利かせている。安全のために…事故がおきないように…心配だから…と、どんどん禁止ルールが増えていく。

管理している側の都合もあり、何かあった時困るから…と禁止事項は増えていく。

最近ホワイトカラーの生産性向上の話やら、創業する人を増やす話やら、働き方の多様性の話などをしていると、すべては自己責任をとって動ける個人がいるのか?その人を認める土壌があるのか?ということに行き着く。

禁止事項を減らして、自己責任にシフトしただけで、この辺の課題は解消していく気がする。むしろ、自己責任を伴わずに制度やら、補助などをいくらしても、ほぼ意味がない。

先日、MarketHackのエントリー「企業ばかりが儲かって、賃金が上がらないのはテクノロジーのせい? IT革命の敗者はオフィスワーカーだ」の以下の部分をシェアしたところ反響が大きかった。それも自分たちが置かれている環境について、うすうす気がついているからなんだろうな。

サラリーマンとして「自分の時間を切り売りする」……そしてその代償としてお給料をもらう……こういう古い発想で生き抜こうと思ったら、ディケンズの物語に描かれているような悲惨な人生が待ち受けています。

リスクをとって自ら自分の人生を愉しくしていくのか?それとも安定をとった分スポイルされるのか? これって真実だと思うんだけどなぁ。幸福って自分でリスクを取れることじゃないかな? 


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