Chikirinさんの「ちょこっと稼ぐの復活」というエントリーが深すぎるので、Blogに自分の考えを書かざるをえません。。。
就職できないで自殺する人までいるらしいけど、そこまでいかなくても就職できるかどうかが大きなストレスになっている大学生はたくさんいるでしょう。そもそも「雇ってもらえなければ、人生終わり」みたいなコンセプトはおかしいとは思うけど、そうなってきたのは、「何やっても食べていける」という感じがなくなってきたからかも。
昔は自分で何かやって「ちょこっと稼ぐ」というのが、もっと身近だったんじゃないかと思う。
いつのまに「雇ってもらって、給与をもらう」という選択肢が当たり前の世の中になってしまったのだろう。。。本来は、自分で「ちょこっと稼ぐ」という選択肢だってあるのに、端から諦める人が多いのはもったいない。
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さて、言いたいことは「仕事がなければ、自分でちょこっと稼げばいいじゃん。」ということだけじゃなく、「仕事があっても、ちょこっと稼ぐことで得られる満足を求めている人が多いのでは?」ということ。雇われている仕事では、誰のために、自分が役に立っているのかを感じづらい仕組みになっている。一方で、自分でちょこっと稼ぐことは、シンプルだ。自分が提供するものに誰がお金を出してくれて、誰が喜んでくれるのかを直接感じられる。
今、満たされていない「社会への貢献感」「自己肯定感」が、「ちょこっと稼ぐ」ことによって得られる。
だからこそ、雇われて仕事をしている人にとっても、「ちょこっと稼ぐ」ことには金額ではない魅力がある。さらに、会社組織という分業システムから切り離されたときに、自分に何ができるのかという不安を抱えている層にとっては、なおさら魅力的なんだ。
「ちょこっと稼ぐ」なんて、社会全体から見たらミクロなトレンドだし、今は産業界に影響を与えるほどのトレンドじゃないかもしれないけれど、一度振れ始めた振り子は、徐々に加速していき、無視できないトレンドになっていく。
だって、こっちのほうがクールに感じ、輝いているのだから。
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