正しくは「鉄は熱いうちに打て!」なのですが、中学の時に校長先生が「鉄は熱くなるまで打て!」と激しく言ってたことが未だに印象に残ってます。
この校長先生が黒のチェイサーに乗っていて、短気で熱い方でした。
中体連で勝つために、授業は短縮授業にし、部活の時間を長くする。スポーツ選手を教師として赴任させて徹底的に部活の質の向上はかる。
結果的に、多くの種目が良い成績を納め、スポーツ推薦で高校に行く人も増えました。
ここまでの話を聞いて「私立は、そうやって学校の人気を高めることができるよね」と感じたことと思います。
ですが実は、田舎の町の公立の中学です。
地域含めて、誰も部活最適の方針に誰一人疑問を持っていなかったと思います。
普通、勉強が大事だから。。。とかスポーツが苦手だから。。。などと、そこまでの集中化施作には反対意見が出てるものです。そして、どっち付かずの中庸なところに落ち着きます。
しかし、なぜか誰も疑問を持たずに突き進めたのでしょうか? たぶん、田舎の町では「先生の言うことに間違いはない」という暗黙の認識があったと思います。
それと、地方の公立中学で三年間の間にできる一番の教育は、勉強じゃなく、部活を通しての忍耐力や達成感を養うことだけだと割り切っていたのかもしれません。正しい判断だと思います。
結果的に、僕らは完全に熱くなるまで打たれ、社会に出てから困難な事があっても、比較する基準ができました。
仕事が大変でも、体力的に部活に比べてたらたいしたことないという気持ちになりました。
社会人になって、仕事をしていても怪我するわけじゃないですからね。
世の中いろんなところで、ヴィジョンが見えないとか文句を言う人がいます。一方で、ヴィジョンを示せば保守派からは、チクチクと問題点が指摘されます。で、結局中庸案に落ち着くと、ヴィジョンが見えない。。。
こんなときに、冒頭に書いた「鉄は熱くなるまで打て!」と言い放って、集中した戦略をとった校長先生を思い出しました。
今の時代、「鉄は熱くなるまで打て!」ぐらいのメッセージがちょうどいいのかもしれません。
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