映画「ようこそ、アムステルダム国立美術館へ」を見てきました。かなり良くできたドキュメンタリーで多くの教訓が得られる作品です。普通に映画を見に行く人には退屈かもしれないけれど。。。
あらすじを引用しておきます。
オランダ・アムステルダム美術館の改修工事の模様を、工事関係者約400人への取材を交え、4年以上かけて捉えたドキュメンタリー。'04年に始まった改修工事は、地元サイクリスト協会の猛反対でとん挫。理想に燃える館長、こだわりの強い学芸員たち、彼らに振り回されるスペイン人建築家たち。それぞれの主 張が絡み合い、改修計画は難航していく。
うまくいかないプロジェクトが陥る罠。最初にあった情熱がどんどん失われていく状況。
誰もが責任を取りたくないため、もっともなことを言って前に進めなくさせる役人や大臣。
現代民主主義よりも独裁制度のほうがうまくいくものについて考えてみたり。
メディアを創刊するときに、せっかくいいコンセプトを打ち立てたのに、実現する段階になるにしたがって、バランスを取り丸くなることで誰にも刺さらない凡庸なものが出来上がる様を思ってみたり、本当にいろいろと考えさせられました。
プロジェクトの失敗が起こってしまった一番の原因だと思えることは、「誰が顧客か?誰のために改築するのか?」という今後起きる選択肢を評価するための立ち位置と評価の重み付けを設定しなかったこと。そのため、自分の立場や各種既得権益団体の立場からの反論にロジカルな解答ができなくなって行きます。当たり前だけど、当事者になるとこのことに気が付くのはなかなか難しいことですよね。
さて、もう一つ国や行政がお金を出す美術館運営の難しさを感じたの「金沢21世紀美術館」です。僕自身、開館してから定期的に4回ばかり訪れているのですが、今回訪れたときに質の低下に驚きました。(夏休みだったということもあったかもしれませんが・・・。そして私の期待値が高かったということもあると思いますが。)
開館当初から数年間に渡り、現代美術館として精力的なキュレーションを行ってきていました。自らのコレクションをほとんど持たないという制約の中では、素晴らしいキュレーターが、エッジの立った企画を行うことが美術館の質を担保するほぼ唯一の方法となります。数年間本当に地方美術館のあるべき姿を示してきたと思います。
※もちろん、写真のレアンドロ・エンリッヒの「スイミングプール」やジェームズ・タレルの「ブルー・プラネット・スカイ」など毎回行くたびにある恒久展示だって素晴らしいです
しかし、昨年行ったときにも、その徴候を感じましたが、今回はすでに地方行政からの圧力なのか劣化してしまった姿を目の当たりにしました。地元市民の文化展をやらなくちゃ行けなかったり、地元一般市民の集客が見込めるような「人体の不思議展」を開催していました。キュレーターの人は相当心苦しいでしょうね。集客を追うためには、ポピュラーなものをいれる必要があり、地域行政からお金が出ている以上、市民の展示もやらざるを得ない。しかし、立ち位置についてちゃんと握っていれば「21世紀美術館」のおかげで、どれだけ金沢に観光客を呼び込めたか、観光に与えた影響をちゃんと主張し、だからこそ地元の人が沢山くるよりも、観光客が訪れる重要性を示ていたかもしれません。結局、政治家も市民の民度が反映されてしまうのかもしれません。
今回たまたま、金沢の21世紀美術館を取り上げましたが、地方の美術館は似たような状況に苦しんでいると思います。もしかしたら、今はすごくうまく行っているように見える「十和田市現代美術館」や青森県立美術館なども、しばらくしたら同じ状況に陥るのかもしれません。企業パトロンが支えているベネッセと直島の関係、などを除いて。。。なかなか悩ましいですが、現代美術ファンとして、気がかりです。