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2013/10/31

今の社会は「余裕」が足りない。だから余裕を持つための3つの秘訣。


複数の案件が走っていると、精神的にあれもこれもと気が忙しなくなってきます。物理的にはそこまででもないのに、頭の中がクリアにならず、いつもごちゃごちゃしてしまう感覚。。。

この落ち着かない、整理されていない自分がすごく嫌なんですよね。余裕がなくなってくると、周囲にもカリカリしてしまうし、本来は考えられていた「もっと楽しい手」をスルーしてしまうようになるからです。

心に「余裕」があれば、人にも優しく、楽しく過ごせるのに。。。丁寧に暮らしたい、という罪悪感がわきあがってくるのも、「余裕」が足りないことが背景にあるからでしょう。


「余裕」がないために起こっている社会問題は、ブラック企業問題、食品偽装問題など、いたるところにあります。結局、時間や経済的な理由などで、余裕がなくなったがために、誰かを欺くもしくは誰かにしわ寄せが行くような行為が形を変えて繰り返されてきているだけなのかもしれません。

「余裕」をつくるにはどうすればいいのか?

精神的な余裕をもって、冷静に判断できる状態にしておくために、有効なのは以下の3つのことだと個人的に思っています。

1:身の周りの整理整頓。管理できる以上の物は持たない

落ち着いてじっくりものごとを考えるためには、机の上もきれいに片付いていないと集中できない。自分の身の周りが、コントロールされた状態にないと、頭の中もごちゃごちゃになっているような気分になってしまうから。

机の上や身の周りの整理整頓をするときに、一番の解決策は「モノを捨てる」こと。これは頭の中も同じ。いろいろごちゃごちゃと気になっている細々としたことは、一度紙に書き出してみると、案外ゴミのようなたいしたことないものが多いことに気がつきます。

2:スケジュールも「先回り」して「仕掛ける」側に回る

スケジュールを他人の言われるがままに後追いでやっていたら負けです。自分の場合なら、先回りして仕事の進め方をコントロールしてしまいます。

誰かにやらされているのではなく、自分で仕掛けている感覚です。僕のように独立していて自分で時間のコントロールができない状況でも可能です。

まずは、先回りできるように、自分の身の周りを片づけて、集中して仕事の段取りを考える時間をもってください。そうすると、心にもスケジュールにも余裕が出てくるはずです。何事もそうですが、起こったことへの反応や対応を辞めて、自らが先回りして仕掛ける側に回ることです。

3:リスク対応をした上で、楽観的になる

「余裕」なんて、心配ばかりしていたらなくなります。だからといって、起こる可能性のあるリスクに何も対応していなければ心配はなくなりません。

リスクケースが起きた場合の対応策を準備した上で、気分すっきり「余裕」を楽しむのです。楽観的になるためには、楽観できるだけの準備があった上で、何かあっても柔軟に対応できる心づもりがあればいいのだと思います。


こんなこと長々と書いていたのは、自分自身が仕事に加えて、育児が入り、「心の余裕」が足りなくなりかけていたから。。。

こうやって書いてみると、「心の余裕を持つ」ために効くことは、自分の人生のハンドルを握って主体的に生きるために効くことと同じなんだなぁ。


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2013/10/24

「走りながら考える」について、書きながら考えてみた。


「走りながら考える」。この言葉からいろいろ解釈できるけれど、僕の解釈はこうだ。

走ってみないと見えてこない情報こそ、自分の進む道を考えるのに値する情報だ。だからこそ、机上で考え続けるのではなく、まず動き始める、人にヒアリングを始める、自分がやろうとしていることを表明してみる、やり始めてみる・・・。



ネットで何でも検索できるようになってきている時代に、すでに解答の出ていることを知っている人の価値は相対的に低くなってしまった。一方で、価値が増してきているのは「現在進行系で課題に取り組んでいる人の知恵」だ。

そして、現在進行系の課題に取り組んでいる人の知恵には、まだ普遍的な解答になっていない部分=その人ならではの属人的な理由や要因が混じっている

この属人的な部分がすごく大事な部分だ。普遍的な「誰でも活用できる解答」が求められ溢れている中で、その人だからこそ選んだ方法・使えた手法に問題解決のヒントがある。さらに、そこにはストーリーがある。問いと解答というQ&Aでは表せない、その解決に至った物語がある


個人の生き方・暮らし方・働き方を考える人にとって、走りながら考え、属人的な話を聞き、自分が持つ属人的機会を発見して、チャレンジしてみることが有効だ。とにかく、まずは動かないと情報も入ってこない。

実は、属人的なことが嫌われる企業の中でも、新規事業を起こすときにも、まったく同じことが言えるのだけれども。

と、今日も書くことないなぁと思いつつも、書きながら考えて見たらこんなエントリーができました。書き始めて良かったぁ。

関連エントリー:「実践家が尊敬される社会へ

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2013/10/17

横のつながりブームから、縦のつながりも大切にする空気へ



「今足りないもの」に僕らは希少性を見いだし、憧れる。

未来に「今足りないもの」を埋める可能性を見いだす人がいれば、「今足りないもの」を昔に見いだし、懐かしむ人もいる。

先日読んだエントリーで以下のものがあった。
新セレブな生き方は田舎暮らし|世界級ライフスタイルのつくり方」


新しいタイプのセレブは、田舎に住み(または平日ロンドン、週末田舎暮らし)、古いファームハウスを手入れして親からのお下がりやフリーマーケットで手に入れたインテリア、車はポンコツのランドローバー、子沢山(最低3人)で自家菜園でオーガニック野菜を育て、趣味はホームベイキング、ファッションはオーガニックコットンにHunterの長靴・・・ 
と続き、新型セレブの例としてジェイミー・オリバー(*1)とサヴァンナ・ミラー(*2)をあげ、今の若い世代(アッパーミドルクラス)が憧れるこのライフスタイルを”Nouveau Peasant”(フランス語で「新しい農民」)と呼んでいました。

ロンドンの話だが、日本でもすでにこのセレブ像(というとなんか違うなぁ。憧れのライフスタイル像かな?)の変化は共通して起きている。

簡単には手に入らない、手間がかかって、関係性が大切なものこそ、“贅沢”で”羨ましい”昔は、当たり前だったから感じなかった。どんどん楽なほう、省力化して効率的なほうに流れていったら、足りなくなったもの。それが自分で手間を掛ける生活なんだと思う。

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この田舎と都会の両方を楽しむというライフスタイル欲求が表しているのは「縦のつながりの豊かさ」だろう。

ここ数年、「コミュニティ」というワードと一緒になって「横のつながり」が意識されてきた。同じ目的を持った仲間や自分が住む地域住民とのつながり・・・というふうに。

しかし、都会で横のつながり(コミュニティ)が形成できはじめると、田舎にはあった縦のつながり(世代をまたいで受け継いでいくもの)が足りないということに気づきだした。

都会では、縦のつながりを意識することが少ない。親子孫という世代の繋がりということも感じづらくなっているが、仕事や事業スタンスでも、縦のつながりは軽視されている。短期間に自分が蒔いた種を自分で刈り取ることに、何の疑問も持たないだろう。

しかし、田舎には、自分の代以降のためにやる「仕事」という考え方がある。よく言われる「暮らし」と「稼ぎ」と「仕事」の3分類だ。平日の糧を得るための仕事が「稼ぎ」で、地域社会のために提供するのが「仕事」。残りの生活が「暮らし」という分類だ。

この分類で言えば、「縦のつながり」は「仕事」(地域社会のために提供するもの)となる。

田畑があるのも、先代以前のこの地域の先祖が開拓してきたから。地域という単位で一緒に治水を行い、それが社会資本として残っている。行政に丸投げ意識がある都会では忘れてしまっている、顔の見える公共インフラの話がたくさんある。

一方で「稼ぎ」にも「縦のつながり」で産み出されるものもある。


森に行って、木の間伐の話を聞いたときもこれを思った。枝を剪定して、できるだけ節ができないように育てていく。でも、その木を売ってお金に換えるのは自分ではなく、次の世代。自分だって、先代が手入れしたものの恩恵を受けている、と。

憧れのライフスタイルに「田舎での暮らし、手間のかかる生活」が出てくるのは、上の世代から受け取ってきたものは利用しときながら、次の世代へ何かを残していない自分たちへのいらだちからかもしれない

次の世代に文化を継承する、何らかの知恵を残したい、永く使える価値のあるものをちゃんと伝えていきたい。これが今のトレンドのインサイトなんじゃないのかなぁ。



■蛇足
と、「縦のつながり」について考え始めたのは下記の本を読んだから。遠野で活動しているランドスケープ・デザイナーの田瀬さんの実践記は、心に響いた。月並みな表現だけど、「本当の豊かさってなんだろう?」





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2013/10/10

絶妙な「間合い」が、世界を救う?!


解決策をいろいろと考えていると、最終的には絶妙の「間合い」に行き着くことが多い。バランスや距離感と言ってもいいのかもしれないが、ニュアンスが何か違う。


間合い ま あい(大辞林より) 
①物と物とのへだたり。「適当に—を詰める」②動作をするのに適当な時機。ころあい。また、あいま。ひま。「—をはかる」

距離感とタイミングの両方を「良い具合」にすることを「間合い」という一言で表現できるなんて、なんて便利な言葉なのだろうか。


もとい、なぜ「間合い」に行きつくことが多いのか?

いろいろな課題をお手伝いするような働き方をしていると、すごく感じることがこの「間合い」。なぜなら、現場に近ければ近いほど「現実」に引っ張られる。一方で、解決策を議論している人たちは「理想論」になりやすい。

でも、だいたいの解決策は、「現実」と「理想」のグラデェーションの間にある。一気に理想にチェンジすると危ないが、絶妙の「間合い」を取りながら、順番に地道に詰めていくしかない。

働き方議論もそうかもしれない。理想の働き方があるのであれば、絶妙の「間合い」で現実と折り合いを付けながら、一つ一つシフトしていくしかない。問題はいろいろと絡み合っているのだから。

昨日も出張で山形県にロケハンに行ったときに、自然と共生して暮らしている人々と話しながら、理想としての「良いとこ取り」を妄想していた。地方での豊かな暮らしと仕事の両立だって、絶妙のバランスと絶好のタイミングという「間合い」で実現することができるかもしれない。。。


理想と現実の狭間にあるときに、この「間合い」に知恵を捻ることが解決策の糸口になる。

どっぷりつかりすぎると、外からどう見えるのかがわからなくなる。だからといって、対象物から離れすぎていると、起こっていることを掴むことができない。

だから「間合い」が大事なんだよな。

世界の多くの問題だって、いろいろこんがらかって、繋がって、複雑になってしまっている。だからこそ理想論だけじゃなく「間合い」を提示して解決に進めて行ける人に価値がある



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2013/10/03

SNS断食はしても、ブログ断食はしないほうがいい。



とにかく一週間に一度は、ブログ書くんだ。。。そんな気持ちで、週に一度は何かエントリーをつらつら書くことにしている。

こうやって、まずは書き始めてみること。そうすると、今、自分が考えていること、気になっていること、こだわっていること、心にひっかかっていることが見えてくる。

忙しい毎日をおくっているからこそ、今の自分を俯瞰して眺めることができるブログを書く時間が、ありがたい。

最近では、SNS断食やネット断食という言葉ができるほど、SNSに時間を消費し、常にチェックしていない気が済まない人が増えている。でも、ブログは逆だ。今の自分の中にあるものに気がつくための作業だ。

人生を楽しむためには、人生のハンドルを自分が握ることだと思う。そういう意味ではSNS中毒は他人の反応によって自分を測っているから、断食してまでも抜け出す必要がある。一方で僕のようなスタイルのブログを書くことは、自分とじっくりと向き合ってみることなので、自分の人生のハンドルを握るのに必要なことなのかもしれない。

起業や独立を選択した人が人生のハンドルを握っていることは多い。けれど、会社を辞めないと自分の人生のハンドルを握れないわけではない。

自分と定期的に向き合って、その上で自分の意志で選択を重ねていく。傍観者じゃなくて、実践家として自分の選択にコミットしていく。自分がどんな環境にいようが、その環境の中で、ハンドル握って積極的に仕掛けていくことはできるんだよね。

SNSで他人の人生がうらやましく感じる人は、他人のものさしで自分を見ているのかもしれない。自分のものさしで、自分のやることを選択しなくちゃね。

告知:自由大学「脱藩学」第4期募集開始しました!
家庭の事情(双子の出産前のバタバタ&産まれた後の育児)で、しばらく脱藩学お休みしていましたが、今の環境でもできることはちゃんと向き合って行かなくちゃと再開することにしました。自分の人生のハンドルを握ることについて、参加者で議論し、模索しましょう。


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