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2014/09/10

「みんな」とか「原理主義」に陥らないための「ロジカル」という道具。


先日掲載されていたほぼ日“今日のダーリン”で書かれていた内容がずっとずっと頭から離れずにいます。ここから考えなくちゃいけない大事なことがまだまだあるように思えて。

a)みんな(大勢)がやっていると思っていたけど、
たった一握りの人しかやってないこと。

b)わたし(少数)だけがやっているつもりだったのに、
みんながやっていたこと。

c)みんな(大勢)がやっているのだろうと思ってたけど、
実際に、みんながやっていたこと。

d)わたし(少数)だけがやっているのだと思ってたけど、
やっぱり、ほんとにわたしだけがやっていること。

いろんなこと、だいたい上記の4つに分類できそうです。
「やっている」と記したところには、
「知っている」とか「思っている」と入れてもいいです。

c)とd)の場合については、当たっているので、
あんまり問題はないわけです。
b)とかa)についての思いちがいは、よくあることですが、
いろんな思考や行動を間違わせます。

ここで、親切に、いろんな例をあげて、
「ほらね」とか言うほうがいいのかもしれませんが、
めんどくさいので、そのまま書きっぱなしにします。
あのこと、このこと、ごじぶんなりに、
いろんなことを想像しては代入してみてください。

あなたの背後に、あなたの考えに
ものすごく同感する人がいると思っていても、
ぜんぜんいないという場合もよくあるでしょう。
あなたが、選ばれた人であるがゆえに、
ずいぶんいろいろ大事なことを知っていると思ってても、
そのくらいみんな知ってるよ、ということもありそう。

少数であることを気どらない。
多数であると思って調子にのらない。
考えるべき重要なことは、多さや少なさじゃない。


“b)わたし(少数)だけがやっているつもりだったのに、
みんながやっていたこと。”
の時には、優越感の思いちがいがうまれ、


“a)みんな(大勢)がやっていると思っていたけど、
たった一握りの人しかやってないこと。”
の時には、「常識でしょ?感」という思いちがいが生じてしまいます。



僕が怖いなぁと思っているのがa)の場合。相手に対する攻撃的な言動の多くは、この思いちがいから生まれています。

新興宗教でも思想でも、主義主張でも、この思いちがいによって、自分たちが正しいと思い相手をむりやり変更させようという非ロジカルな攻撃がはじまります。

声が大きい、腕力が強いからとか、一致団結して攻撃していくるから…ということで。こちらは、ちゃんとその主張の理由が知りたいのです。

以前は言論空間に登場することがなかった、感情論で叫ぶ人達が、文字を使ってロジカルな人と意見を戦わせようとしていることが目につくようになったことが原因ですが。。。

「みんなが…」という理由ではなく、ロジカルに「そうしたほうがいい理由」をテーブルの上に並べて議論できるフラットさを僕はつねに支持したい。

自分自身も、多数派だから、少数派だからという思いちがいをしないように・・・、思いちがいをベースに声高に語らないように・・・。

−−−

新入社員の頃、まったくロジカルな説明ができなかった自分が、一生懸命訓練したのも、このフラットに議論できることに憧れたからです。

自分が考えていることを相手に説明し、相手の主張していることの理由も理解して意思疎通をはかる。思っていることを抽象化し、ケース化して言語として可視化する。

人間が長い年月をかけて育ててきた、この力を社会でもっと活用してほしい。

大きな流れで言うと、ロジカルなものが優先される風潮が飽きられ、感覚的なものを崇拝してきたのがここ5〜6年ぐらいで起きたことでした。そろそろ、それが行き過ぎた頃かも。またロジカルのバランスも見直される時期なのかもしれません。


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