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2014/11/30

外にアンテナを立てるよりも、自分の内部に向けてチューニングする。


自由大学の新キャンパス(COMMUNE246@表参道)で行われたトークショーで話をしてきました。

テーマは「学びのセンス:アンテナはってる?」というもの。

僕が話したことは、インプットのために外にアンテナを立てることよりも、自分の内部に対してちゃんとアンテナを立てることのほうが重要だいうこと。

自分の内部に向けてチューニングしている人は、なんでも知識として蓄えている人のような全方位性はありません。その代わり、自分のテーマがある分野に関しての情報を知っているだけではなく、自分で実践して積み重ねているから経験として語れます。

多くを知っていることが重要なことではありません。それはコンピューターに任せるべき仕事。どうテーマを紡いでいくのか?どう活動していくのか?こそが人間の仕事です。

だからこそ、人脈作りとか大人数での飲み会とかやっている時間があったら、定期的に一人で篭って自分の内部にチューニングするべきです。

孤独な姿を想像できない人を薄っぺらく感じるのは、そのためでしょう。一人になって自分と向き合う。自分のテーマのものに関わっていく。自分のテーマ外のことが、周りにどう思われようが切り捨てていく。付き合いでやることを減らして、自分のリソース配分を明確にする。

理想の人生を送ったとされる人物は、たいてい、取捨選択した後の偏った興味・取り組みの集合体です。外へのアンテナとか、他人との比較…とかで焦っているのは、きっと、自分へのチューニングができていないからですよ。

関連エントリー:情報収集って切りがないから、制限しといたほうがいい。

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2014/11/18

長生きすることへのリスク対策は、生涯学ぶように働き続けられること。


高倉健さんの訃報を聞いて思ったのが、“現役のまま亡くなる”というのが、最も幸せなことだという価値観の時代がやってきている、ということです。

日本の社会保障費のことを考えても、人生戦略を考えても、一番大きなリスクは長生きすることです。もはや終身雇用の時代じゃあるまいし、定年退職したら公的年金と貯蓄でやりくるするんだというテンプレートは成立しなくなっています。

このことが浸透してくると、多くの人の働き方も人生設計も変わってきて面白くなるだろうなぁ、と個人的に思っています。

つまり、長生きすることのリスクへの対応策は、死ぬまで働くこと。生涯働き続けられること、となるでしょう。

−−−
生涯働くことを選択するというと、ネガティブなイメージを持つ人が多いかもしれません。でも、逆じゃないかなぁ。

生涯働くためには、飽きずに続けられる向学心がある分野じゃないと続けられない。ある種、学ぶように働く分野設定をしていく必要があるんだと思う。

前回も「飽きたから、新しいことを始めます」を肯定する。というエントリーを書いたように、学習曲線を駆け上がる愉しさはエンタテイメントになりえます。

一生働ける仕事を見つけられるということは、それ自体が楽しみになるはずです。もちろん、同じ仕事である必要性はありません。楽しみであり向学心として次から次と分野を変えて学び働くことも生涯働くための選択肢です。

生涯学習となりうる働き方をする。これが次のスタンダートにならざるを得ないのだと思います。まったくもってウエルカムです。

どうせリタイアして暇を持て余して何をすればわからないよりも、自分が興味あることを仕事(誰かの役に立っている状態)で続けられることほど、幸せなことはないでしょう。

生涯現役で亡くなった方の訃報に、多くの人が敬意とあこがれを持つのには、上記のような背景があるのかも。


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2014/11/07

「飽きたから、新しいことを始めます」を肯定する。


「飽きてきたので、新しいこと始めます」というと、否定的に捉えられることが多いですよね。もちろん、何年も“○○一筋”で修練し続けることを否定しているわけではないです。

“○○一筋○十年”ということに価値を置いている人が多いから、深くはないけれど広くいろいろな領域の知識・経験があることの価値を否定してほしくないと思っています。


学習曲線のどこにいるのかの問題

何か新しいことを始めた時って、どんどん知識を吸収でき、できなかったことができるようになったり…とすごく楽しい時間がやってきます。

一方で、ある程度できるようになってくると、もう一段上に成長するのが難しくなる時がやってきます。ここからは相当の時間や鍛錬が求められます。それまでの楽しい時間から、やってもやってもなかなか上達しない倦怠感の時です。

学習曲線が上がっているときには万能感、学習曲線がサチったときには倦怠感、というのはすごく当たり前の状態です。

以前、羽生善治さんの表現で以下のようなものを読んだことを覚えていて、素晴らしい比喩だなぁと感心したことがありました。
“ITとネットの進化によって将棋の世界に起きた最大の変化は、将棋が強くなるための高速道路が一気に敷かれたということです。でも高速道路を走りぬけた先では大渋滞が起きています。”via.http://www.pixy10.org/archives/585508.html
子供から大人になるというのも、同じことなんだと思います。赤ちゃんは意識していなくても、ものすごい勢いで日々学習曲線を駆け上がります。一方で大人になると、自分で新しい分野を設定しない限り、日常分野で学習曲線を駆け上がるような恍惚感を味わうことなんかできるわけありません。

倦怠感を感じているなら、新しい分野を設定する

ものすごく単純な話ですが、今自分がやっていることに倦怠感がある人は、他の新しい領域のことをはじめればいいと思います。自分の問題ではなく、学習曲線の問題だから。

新しい分野での学習曲線を駆け上がる愉しさを味わいながら、いままでやってきた分野のこそこそコツコツ感を楽しめばいい。

既存事業が安定したら、新領域に。事業も一緒。

事業においても、既存事業が安定期に入ったら、次代の柱になってくれる事業を育てるように新規事業を準備しはじめます。プロダクト・ライフサイクルにあるように「導入期→成長期→安定期→成熟期」と事業もいつかはサチり衰退していくものだから。

事業の例で考えれば、学習曲線がサチって来て倦怠感があるので、次の新しい分野に手をつけ始めるのは、非難されることではなく、むしろ求められることです。

まとめ
と考えると…
・飽きたら新しいことに挑戦してみる
・一つじゃなく幅広く首を突っ込む

その結果…
・複数のタグを持っている人
・何が専門なのかよくわからない人
になるのは、学習曲線の位置によって感じる感情を使って、自然に学習していった結果となります。

人間の本能や感情が生存のために最適化してきたと考えるなら、これも感情に従った自然な生存戦略なのかもしれません。


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