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2015/12/28

ヤンキー魂とサブカルスピリット。


さて今日で2015年も仕事納め。とはいえ世の中がゆったりしている間に、じっくり考えたいことがいくつか残っている。じっくり考える時間が、いつのまにか自分にとってのご褒美になっている!

今年は仕事で企画を設計するにあたって"ヤンキー魂"と"サブカルスピリット"の二軸を使って考えることが多かった。人間の成分として、ヤンキー魂とサブカルスピリットの2つがミックスしてできているイメージ。人によっては8割がヤンキー魂で2割がサブカルスピリットだったり・・・。

多くの人に普遍的に響くものを考えていくと、ヤンキー魂成分を無視できない。人とのつながりを大切にしたり、ピュアで頑張っている姿を応援したり、家族や子供という頭ではなく身体にインプットされている動物的社会性に行き着いていく。ジャンプの「友情・勝利・努力」だってこれ。下町ロケットだって、普段はサブカルスピリット成分が高い人であっても、その中にあるヤンキー成分を刺激するものがその人の感情を呼び起こす。

今日読んだエントリーでも、以下の部分はまさしくヤンキー魂とサブカルスピリットを具現化していた。


糸井 
ヤンキーにもいろんな人がいるんでしょうけど、
ぼくがかっこいいなと思うのは、
ヤンキーの人たちって「世のため人のため」みたいに
言わないことなんですよ。 
そうじゃなくて「俺は、自分とお前らを守る」。
永ちゃん(矢沢永吉さん)がかっこいいのもそうで、
「俺は金が欲しい。俺はいい酒が飲みたい。
俺はいい車に乗りたい」って、
発言の主語がいつも自分なんです。
「金の金じゃないのよ」とかあとで説明はするんだけど。
そういう「自分発」の精神を
持ってるか持ってないかが、
ヤンキーの境目だと思うんです。

増田 じゃあ、やっぱりぼく、半端ものでした。

引用:なんとかするから。増田セバスチャン-ほぼ日刊イトイ新聞

人って、その半端だというグラデーションこそが、個性なんじゃないかなぁ。

ここ数年大事にしているのは、現実は白か黒かに二分できない、ということ。多くのことは二択ではない。ハイブリッドな選択肢がたくさんある。人だって一つのカテゴリーに分類することはできない。複数のタグをもっているし、時と場合によって位置付けは変わる。感情は揺れ動く。

2016年は引き続き育児もやりながら、各地を回ってたくさんの物を手に取り、多くの人に出会いながら、社会のグラデーションの豊かさを自分の眼で見て回ろう。

みなさんも良いお年を。


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2015/07/21

職業ではなく、自分のテーマを語れますか?


「自己紹介をお願いします」と言われた時、あなたは自分のことをどのように説明しますか?

職業や勤めている企業のような社会的記号で、説明していませんか。職業名で自分を説明するのは、検索エンジンにキーワードを打ち込んで絞り込みをしているよう。聴いている側も、その記号に当てはまる人物や、そこから連想するイメージを頭の中に思い浮かべます。


記号で表現する自己紹介は、機能しているのでしょうか?
自己紹介に求められることは、短時間に自分が何者なのかを理解してもらうこと。そして、他者と次のコミュニケーションを喚起することです。だとしたら、必要なのは記号を語ることではなく、自分のテーマ・自分の解決したい取り組んでいる課題を語ることです。

「どんなテーマ・課題を解決したいと思っているのか。テーマ・課題にいたった個人的な経験はなんなのか。そのために今やっていることは、どんなことなのか」短い物語として、自分の中にあるテーマを伝える。

そうすることで、聴いている側が「この人にどんな情報を伝えたらいいのか。誰を紹介したらいいのか。自分が手伝ってあげられることはないか…」と、建設的にその人のテーマに対してできることを考えるようになります。

さて、ここまで書いたのであれば、僕自身のテーマを伝えないわけにはいかないですよねw

自分のテーマは、「その他の選択肢を提示する」というもの。固定概念では見えなくなっている、他のやり方・他のあり方を提示する。せっかく素敵な価値があるのに、発見されていないものを補助線を引くことで見えるようにする。それこそが、僕自身のテーマであり仕事だと思っています。

自分のテーマを探求できれば、職業はその時々で何でもいいとまで思っています。コンセプター・アドバイザーとして企業にアイデアや切り口の提案、商品設計。コンサルタントとして企業の戦略設計、広義の編集者として表現やブランドとしての見え方やプロモーション設計。ファシリテーターとしてコミュニティ活動の支援やイベント実施etc. 職業として説明すると“いろいろ”ですが、提供しているのは、すべてその他の選択肢を提示することです。

自由大学で行っている「脱藩学」も、社会に敷かれたレールから選択肢を選ぶのではなく、自分のテーマから選択肢を自ら創る講義です。自分の中の物語を棚卸し、仲間・ゲストと会話することで、自分のテーマを見つけていきます。大事なのは、記号的な職業名よりも、自分のテーマ・課題から始まる物語です。

自由大学のメルマガ用に書いたものをblogにも転載しました。脱藩学6期現在募集中です!


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2015/06/22

丁寧に暮らすために、家事はどんどん自動化し、楽すりゃいいんじゃない?


丁寧に暮らしている人は、便利に暮らしている人を羨み。便利に暮らしている人は、丁寧に暮らしている人に憧れる。人間は、ないものねだり。

そんなことを2〜3年前の自分のエントリー(楽でも、派手でもなく「丁寧に暮らしたい」)に書いてありました。

さて、その時とくらべて"地方出身・共働きの爆走双子育児"という環境になった今、考え方がアップデートしました。丁寧と便利は二項対立じゃないよなぁ、と。

人間を解放するテクノロジー(=便利)はどんどん導入して、それによって生まれた時間や余裕がないと、もう人間らしく行きていけませんw さらには、Blogを書く時間も持てませんw

テクノロジーの進化と人間性をトレードオフで考えている人が多いようだけれど、むしろテクノロジーを活用することで、動物から人間らしさを手に入れてきたのが我々です。

なんでそんな堅い言いまわしをしているかというと、育児や家事に関わることは、苦労するのが大事…手間を省くのは愛情が…的な固定概念が強すぎるからです。

他にもテクノロジーが職業を減らす的な文脈にも、みなさんネガティブですよね。


上のtweetにも書いているように、自分の生活で考えたって、仕事を減らすテクノロジーは導入しているし、それがない世界に戻れてと言われても、絶対嫌ですよね。ルンバや食洗機がなかったら、生活の快適度はぜんぜん異なるわけです。洗濯機やエアコンの話まで戻らなくても、私達の生活はテクノロジーを導入することでここ数年でも変わっていますよね。

どうしても極端な未来の話が盛り上がりますが、実際に我々は新しいテクノロジーを自分たちの生活にうまく取り込んで社会的にも適応してきています。

アップルウォッチだって、スマホ中毒から必要な通知だけ気がつけて、その分自分に向き合う時間だったり、家族との時間だったり、自分の人生を豊かに過ごすという思想が見えますよね。

僕らは、生活にテクノロジーを導入することへの変な後ろめたさを感じる必要はなく、どんどん入れてみて、それによって人間らしい生活を送ればいいだけです。

手間をかけたくないルーチンワークをテクノロジーにアウトソースする。それでできた時間や心の余裕を、自分があえて手間をかけたいことに使う。

大事なのは、テクノロジーを使って省いた分の時間や労力を何に使うのか?をコントロールする自分ですよね。

ルンバ万歳!食洗機万歳!!










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2015/06/05

幸福って自分でリスクを取れることじゃないかな?


寛容ではない社会では、ルールのほうが幅を利かせている。安全のために…事故がおきないように…心配だから…と、どんどん禁止ルールが増えていく。

管理している側の都合もあり、何かあった時困るから…と禁止事項は増えていく。

最近ホワイトカラーの生産性向上の話やら、創業する人を増やす話やら、働き方の多様性の話などをしていると、すべては自己責任をとって動ける個人がいるのか?その人を認める土壌があるのか?ということに行き着く。

禁止事項を減らして、自己責任にシフトしただけで、この辺の課題は解消していく気がする。むしろ、自己責任を伴わずに制度やら、補助などをいくらしても、ほぼ意味がない。

先日、MarketHackのエントリー「企業ばかりが儲かって、賃金が上がらないのはテクノロジーのせい? IT革命の敗者はオフィスワーカーだ」の以下の部分をシェアしたところ反響が大きかった。それも自分たちが置かれている環境について、うすうす気がついているからなんだろうな。

サラリーマンとして「自分の時間を切り売りする」……そしてその代償としてお給料をもらう……こういう古い発想で生き抜こうと思ったら、ディケンズの物語に描かれているような悲惨な人生が待ち受けています。

リスクをとって自ら自分の人生を愉しくしていくのか?それとも安定をとった分スポイルされるのか? これって真実だと思うんだけどなぁ。幸福って自分でリスクを取れることじゃないかな? 


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2015/05/12

12インチMacbookを買って考えた"自分にとって価値”のある買い物と”他人の理解できない買い物から学ぶこと”

Macbook 12inch SSD512GBのものを購入しました。すでに2週間以上使っておりますが、快適そのものです。大きな課題はVGAアダプターがいまだに届かないこと。。。

事前予想では初代MacbookAirのようなコンセプトは素晴らしいけれど、使うには苦労が強いられる“オシャレは我慢”的なモデルでは?と言われていましたが、杞憂だったようです。(自分は初代Macbook Airを買った一人なので、覚悟はできていたわけですが)

さてここからが本題です。気持よくお金を払うものと、できれば払いたくないものについてです。

価値>価格という話を以前書いたことがありますが、気持よくお金を払う=自分にとって価格以上の価値があると感じるものになります。

ポイントは“自分にとって”という部分です。

今回のMacbookは、それまで使っていたMacbook Pro 13inch Retinaの入れ替えです。ある程度年数が経ってきたモデルを我慢して使い続けるよりは、数年で乗り換えて快適に仕事をできる環境を創りだしたほうが建設的です。仕事で使う道具・環境に投資することは、それ以上の価値を作り出すために必要なことなので、気持ちよくお金を払うことができます。

一方で、お金を払いたくないなぁというものの最たるものが、自分にとって価値を感じないのに、社会的に強制されているもの。その最たるものは、年金かもしれません。いかにもメリットがあるような訴求をしているけれど、納得度が低くくて強制。。。いっそ税金だと言ってもらったほうが諦めがつきます。

もちろん、上の例はあくまで“自分にとって”です。他の人にとっては、Macbookにそんな金額は出す価値ないなぁと思うでしょうし、人(年代)によっては年金という制度でメリットを得られた人もいるわけです。


世の中、多くの商品やサービスは市場を通して、取捨選択が行われています。だからこそ、自分にとって価値を感じないのにニーズのある商品やサービスを見るたびに、誰にとって価値のあるものなのかを考えてみることにしています。

例えば、飛行機を買ってリースに出す人や、コンテナを買ってリースに出す人、赤字の会社を買う人などなど。なんでそういうものを購入する人がいるのか不思議でしたが、その都度調べてみると、なるほど!そうなっていたのね〜という発見がありました。市場ってぼくらが思っている以上に、多様性も奥深さもあるんですなぁ。

自分が見えてなかった仕組みを、見えている人の視点によって学ぶことは、何歳になっても面白いものです。


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2015/04/17

エキセントリックな働き方や暮らし方を本当にしたいの?



僕自信は、働き方も暮らし方も不満があるなら、欲しいものがあるなら、実現するために工夫することは大賛成の立場です。

でも、webメディアなどで多く取り上げられるのは、エキセントリックな選択肢なことが多いと感じています。何かを多きく失う代わりに、別の満足度を得るような事例です。その選択をすることにハードルが高いからこそ、注目が集まるのはわかります。


しかし、みんな本当にエキセントリックな働き方や暮らし方が理想なのでしょうか?


自分も、働き方や暮らし方も自分で組み合わせて作っています。カスタマイズしていくというと、極端な生活ばかりに注目されるけど、僕自身作っているのは“中庸”な組み合わせだと思っています。

子育てのために働く時間を基本9時〜17時と定義して、自分は自分の会社でその時間内で働く。好奇心をもって何らかの社会課題に対する解決策を提示することを社会人としてちゃんとやっていきたい。一方で子供の面倒もちゃんと見て行きたい。

自分株式会社×双子の子育ては、そんなにエキセントリックではありません。でも、自分が実現したいことがエキセントリックじゃなければ、どちらも中ぐらいの組み合わせは大アリなはず。

子育てのために、自分の仕事への情熱まで諦める必要もありません。“仕事を減らすから生活コストを下げるために地方に移住して…”という考えにならなくてもいい。(もちろん、地方に移住して得られるものがもともと欲しいのであれば別です)

自分がやりたいこと・実現させたいことがあれば、それを実現するために、働き方や暮らし方を組み合わせることで、いい按配を作り出せばいいだけです。

どうしてもトレードオフで考えるものだと思っているから、エキセントリックな選択に注目が集まるのかもしれません。例えば、自然環境を重視しながら、仕事の充実度・キャリアもチャレンジするといった、両方を実現するためのバランスを探っていく考え方が現実には存在します。

今の時代、“センスがいい”というのは、組み合わせがうまい人のことだと思っています。突出することに憧れるかもしれませんが、実際は絶妙にミックスすることのほうが、多くの解につながっています。

目的と手段を混同してはいけません。エキセントリックなものが自分の本当に欲しいものなのか?を問いなおして欲しいです。

個々人がご機嫌に生活する工夫はどんどんすべきです。それが長い歴史の中で、人類が獲得してきた進化だと思うから。

僻んだり・疲弊する人が減って、ご機嫌に・やさしい気持ちで一日を過ごせる人が増えますように。



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2015/04/10

カスタマーの”健全な負債感”の集積が、ブランドになる(影山知明さん著「ゆっくり、いそげ」を読んで)

西国分寺にあるクルミドコーヒー、そしてそこから産まれたクルミド出版・影山知明さんの本「ゆっくり、いそげ」を読みました。

実際にクルミドコーヒーを訪れた時の雰囲気や、影山さんにお会いしてお話した時の印象どおりの本です。

実践してきたことの背景にある哲学を伝えるためであり、そこで得られた知見を社会に還元するために書かれた本とも言えます。



ひさびさにブログを書こうかなぁと思ったのは、この本の中にある「交換を不等価にする」という考え方が、自分が感じてこのブログでも書いてきた価値>価格の関係と同じこと(ちゃんとつくって、売って、欲しい人だけ会えればいい。しかもそれなりに繁盛してる)を実施していると感じたからです。

本から引用すると
交換を「等価」にしていはしまってはダメなのだ。
「不等価」な交換だからこそ、より多くを受け取ったと感じる側(両方がそうと感じる場合もきっとある)が、その負債感を解消すべく次なる「贈る」行為への動機を抱く。
だから、お店が定価以上のいい仕事を続けていけばお客さんは増えていくし、それは提供者サイドにとっての手応えともなり、お店に前向きなムードをつくる。
そして、こうしたお客さんの側への「健全な負債感」の集積こそが、財務諸表にのることのない「看板」の価値になる。
この、健全な負債感の集積が財務諸表になることのない看板という話は、ブランドはどうやってできるのか?ということを表していると思います。

僕の実体験として、健全な負債を解消するために贈る行動に移った話として以下のエントリーを書いています。(買った後に、お礼のお手紙まで書かずにいられない商品



お金を出して商品と交換する。これで価値の交換は終わっているはずなのに、こちらが払った分が少ないと感じて、メッセージを書いて送ってしまうとは!
 と自分も書いていますが、
これが交換が不等価になり、そのおかげで、受け取った側が何かしなくちゃと思った事例だと思います。

ちなみに、こうやってお金を払って本を読んだだけで終わらずに、ブログまで書いているのもまさに健全な負債感ですね。



他にも、マッキンゼー出身でベンチャーキャピタル(ミュージックセキュリティーズ)経験者だからこそ書ける、新しい社会(人際交流)をつくるための接続性や、金融が担える可能性などについても書かれています。




■ゆっくり、いそげ カフェからはじめる人を手段化しない経済
まえがき

第一章 一キロ3000円のクルミの向こうにある暮らしを守る方法
クルミの里
日本の農業を守るには?
一キロ3000円のクルミの向こうにある「新しい経済」
クルミの里づくりの努力
より複雑な価値のキャッチボール
不特定多数ではないが、特定少数でもない
身体性を伴うコミュニケーション
コラム1 特定多数とは何人か?

第二章 テイクから入るか、ギブから入るか。それが問題だ
クルミドコーヒーでポイントカードをやらない理由
事業の始まりは「テイク」と「ギブ」、どちらからか
送ることを身体で覚える“マゾ企画”
お客さんの中に眠る「受贈者的な人格」
テーブル上のクルミとクレーマーのこと
「投げ銭」システムでは広がらなかったコンサート
交換を不等価にする
日本にチップが普及しない理由
経済はどうして成長するのか
コラム2 贈与論と自由

第三章 お金だけでない大事なものを大事にする仕組み
「利子はコーヒーで払います」
ファンからの応援でCDをつくる
「期待利回りマイナス50%」の金融商品
出資に基づく関係性の可能性
金融が持つ力
「約束」の数珠つなぎ
世界中でコカ・コーラが飲めるのはなぜなのか
駅前がチェーン店ばかりになる理由
大事なものは、お金だけなのか?
「特定多数」の個人が直接にやり取りすること
クルミドコーヒーファンドをつくるとしたら
コラム3 大きなシステムと小さなファンタジー

第四章 「交換の原則」を変える
18万回の「交換」
「お店にチラシを置いてもらいたい」への答え
習慣化する「利用し合う」人間関係
一通の手紙
著者を支援する−クルミド出版
支援すること=自分を利益の犠牲にすること、ではない
採用されなかった“society”の訳語
誰かを支援した時にもらえる「お金」
お店☓農家☓援農ボランティア
自分たちの仕事を見直す契機
「受け手」が、「贈り手」を育てる
お金とは受け取るための道具
自動販売機化する社会
経済とは交換の連なり
コラム4 地域通貨が続かない理由

第五章 人を「支援」する組織づくり
外との交換と、内との交換
会社はボランティア組織?
スタッフ採用時に必ず聞く質問
組織のために人がいるわけではない
水出し珈琲研究所
「支援し合う関係性」に基づく組織へ
川上さんのビーフシチュー
ビーフシチューに溶け込んでいるもの
仕事に人をつけるか、人に仕事をつけるか
働き方の第三の選択肢
自力本願と他力本願
コラム5 支援学と自己決定

第六章 「私」が「私たち」になる
「三つの円」
「私たち」とはどこまでか
企業の社会的責任?
伸び縮みする「私たち」
経済活動は関係性を破壊する?
日曜からスッキリしない、クルミドの「朝モヤ」
聞くこと、そして違いを楽しむこと
お店を通じての「支援の話法」
不自由な共生から、自由な孤立へ
他人と共に自由に生きる
公・共・私
コラム6 東京にはパブリックがない?

第七章 「時間」は敵か、それとも味方か
「50年続くお店にしたい」
そこにある、目に見えないもの
傑作は、最初から傑作なのではない
現代は、定番商品が生まれない時代?
傑作を失うことで、ぼくらが失うもの
時間との戦い
30000回のペダル
仕事の正体は「時間」である
本とともにある時間
発刊の一年半後に開催されたイベント
愛されるものになるために必要な時間
「利益」の定義を変える
ガラガラのお店を開け続けて得た利益
ゆっくりいそげ
GDPを成長させる方法
コラム7 時間を味方にして生きるには?

あとがき


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2015/03/20

15年物のNewBalanceM1300Jがリペアサービスで蘇った!!


ちょうど1ヶ月前に2000年に発売されたニューバランスのM1300Jをメーカーが行っているリペアサービスに出したエントリーを書きました。

そう、ついにリペアが完成して手元にM1300Jが戻ってきました。期せずして、2015年モデルのM1300JP2の抽選販売や取り扱い店舗の発表と同じタイミングでした。


ニューバランスでは、フラッグシップモデルに関してはソール交換やライニング交換を受け付けてくれています。1500や996、576。1300、577、1400、1700などが対象です。
修理代は以下です。 
・オールソール交換:8000円(+税)
・オールソール交換+ライニング交換:13000円(+税)

直営店舗などでもリペアのお願いができるようですが、僕の場合は以下の連絡先に電話して書類を送ってもらい宅急便でM1300Jを送付しました。
■連絡先 
ニューバランスジャパンお客様相談室「リペアサービス係」
0120−85−7120
平日の10時〜17時の受付
さて、リペアによって戻ってきたM1300Jの状況です。まずは写真にて。

■Before

送付後リペアサービスから電話がかかってきました。ライニング交換を行うと、ポリウレタン部分がかなり破損しているので危険があるとのこと。リスクはあってもこのままだと履けなくなってしまうので、修理を続行してもらうことにしました。コレクターではなく、履ける靴が欲しくてリペアに出しているわけですから

■After

画像を見てもらってすぐにわかるように、交換したソールとライニング部分が真っ白に! 箱を開けた瞬間、一瞬新品かと思いますが、すぐに見慣れた傷や汚れの全体像から、自分のM1300Jだということがわかります。

以前は、ソールは加水分解し、ライニングはボロボロになっていて履ける状態ではありませんでした。これですっかり実用レベルに復活しました。

一番心配だったのが、送付後に連絡がきたポリウレタン部分ですが、修理の方は相当苦労したと思うのですが、問題なくできあがっています。かなり満足なできあがりです。

−−−
前回のエントリーでも書きましたが、メーカー自身がこのような修理サービスを行っていることは非常に好感が持てます。自信のある定番モデルを長く使えるものとして世の中に出している姿勢は素晴らしいと思います。

使い手側も、長く使える商品を購入したからには、使い捨てにならないように育てていく責任のようなものが生まれます。もちろん、堅苦しい責任ではなく、長く育てることを愉しめる権利です

ノームコアトレンドのおかげもあって、ニューバランスがたくさん売れていますが、その中からこうやって大事にリペアしながら使うという愉しさまで広まってくれたらなぁ、と一ファンとして思っています。

前回のエントリー:New Balanceリペアサービスに、15年前のM1300Jを出してみた。


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2015/03/13

買った後に、お礼のお手紙まで書かずにいられない商品


前回書いた「価値>価格」の話の続きです。

先月、気仙沼ニッティングのセーターを購入しました。漁業の街である気仙沼(宮城県)で、編みを編む女性たちが手編みで作ったセーターを販売している会社です。

気仙沼ニッティングでご注文いただくということは、
もしかしたら、気仙沼にひとり、
遠い親戚ができるようなことかもしれません。

あなたのために心をこめて、
あたたかいセーターやカーディガンを編んでくれる人がいる。
気仙沼にふらりと遊びに行けば、会いに寄れる人がいる。
その人を通して、気仙沼の季節を感じることができる。
そでがほつれたら、そうしたらいいのか相談できる。
カーディガンを着た写真を送って、
「うれしい」を伝えることもできる…。

そんな人が、東北の気仙沼にひとりできる。

気仙沼ニッティングは、
そのための「お店」になりたいと考えています。

僕が購入したのは「エチュード」というモデルで、価格は7万円強。普通に既成品のセーターと比べたら高いと感じるかもしれません。

しかし、作り手の顔が見える商品で、その人が費やした時間を考えると、7万円ってそれほど高いものでもないし、定番的なアイテムは10年ぐらい着ていたりするので費用対効果も悪くありません。さらに自分の出身地宮城の雇用につながるのであれば…。

さらに、本業が“価値の活かし方”を考える仕事なので、話のネタとしても充分元取れそうw

ということで、僕にとっては
気仙沼ニッティングのセーターの価値=商品の魅力(デザイン・クオリティ・耐用年数)+地元への貢献+話すことでの効用>7万円強という価格
という関係になったわけです。



−−−
商品が届いてから、もう一つ動きがありました。

編み手の名前入り(+似顔絵)で商品が届くと、なぜか「あなたの作った商品は、僕に届いていますよ」とこちらも開示したくなったのです。

気仙沼ニッティングにお手紙を出しました。宮城で育って、東京に出てきている僕の手元に同じような境遇のセーターが届いています、というような内容を。

これってすごいことだなぁ、としみじみと思いました。
お金を出して商品と交換する。これで価値の交換は終わっているはずなのに、こちらが払った分が少ないと感じて、メッセージを書いて送ってしまうとは!

子供の頃に、「日本昔ばなし」に感動して(何に感動したのかは今では覚えていません)、母親にお願いしてお礼の手紙を書いてもらったことがありました。TBSのプロデューサーから丁寧なお返事がきたことを今でも覚えています。

こういうやりとりが起こる仕事は、受け取り側・作り手ともに感情の交換まででき、すごく幸せな気持ちにさせてくれます。

僕にとって「日本昔ばなし」や「気仙沼ニッティングのセーター」は、やさしい気持ちにさせてくれるものになっています。


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2015/02/27

"ちゃんとつくって、売って、欲しい人とだけ会えればいい。しかも、それなりに繁盛してる"


先日読んだ日経ビジネスオンラインの糸井さんのインタビューの中に、こんなくだりがありました。
"ちゃんとつくって、売って、欲しい人とだけ会えればいい。しかも、それなりに繁盛してる"via.日経ビジネスオンライン:インターネットが“楽しさの寿命”を縮めている

近所のお店を例にとって、自分たちのやっていることを上のような言葉で表現したものでした。
糸井:仕事場の近所に紅屋っていう和菓子屋さんがあるんですけど、そこがもう、店主のお父さんが疲れちゃって、小規模にやることにした。で、ビルの9階でこぢんまりと売ってるの。1階は閉じちゃってて、9階に向かう案内板だけがある。わざわざ9階まで上って、大福を買うわけです。
Y:ちょっと行ってみたいですね。

価値>価格となっていれば、その価値に喜んでいる人はやってくるし、その価値を理解できない人とは関わらなくてもいい。なにより価値をわかってくれる人に喜んでもらえることが、仕事をすることの誇りとストレートにつながってきます。

これだと、買う側が売る側/作り手より偉ぶるのではなく、価格以上の価値を理解できる買う側は、売る側/作り手に敬意も感謝も伝えられます。

この価値観で回っている仕事に魅力を感じ、買う側から働く側になりたいという人もいるでしょう。

−−−

■企業だと悪くて、個人商店だと善という話ではない


この手の「価値>価格」で、価値を理解してくれる人だけ相手にすればいい商売の話は、勘違いされがちです。

例えがどうしても、こだわりのものを作っている商店が出てくるからかもしれません。

小規模で独立している店舗だと実現できて、大きな売上を上げている大企業だと実現できない価値観だということではありません。

問題は「価値<価格」となっているものを、実際以上の価値があるように見せるマーケティングによって販売するビジネスモデルです。

規模が大きな会社であっても、「価値>価格」となるビジネスモデルを構築できている会社はあります。本来のマーケティングは、この価値をちゃんと響いてくれる人に伝えて、その人達に買ってもらうことですから。逆にいうと価値を持たない人を排除することでもあります。

ファンがついているブランド・サービスは、すべからくその人達にとって価値>価格になっていますし、ね。さらに価値と価格のGAPが大きい!


■投資先・就職・転職先としても大事なのは「価値>価格」


長々と書いてしまいましたが、僕がどの会社に投資すればいいですか? どの会社に就職・転職すればいいですか? どんな起業をしたらいいですか? と問われれば、すべてはこの「価値>価格」となっている会社・サービスをおすすめします。

もちろん、買い手側として選ぶべき商品・サービスもね。


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2015/02/19

New Balanceリペアサービスに、15年前のM1300Jを出してみた。

なんだかBlogの更新が億劫になっている気がして、もっと気軽に“自分の消費傾向”的なものも残していこうと思い直しました。

上の写真ですが2000年に復刻したニューバランスのM1300Jです。ずいぶん大事に履いていたのですが、距離も歩いているし、そもそも15年も前のスニーカーですから、さすがにボロボロです。

M1300の復刻は1995年から5年おきに出ているのですが、2005年も2010年も、競争率が高く購入できませんでした。そしてもうすぐ出る2015年モデル(3月発売予定)も、このニューバランス人気ではきっと買えないだろうなぁ。

ということで、2000年モデルのM1300Jをニューバランスジャパンのリペアサービスに出すことにしました。

ニューバランスでは、フラッグシップモデルに関してはソール交換やライニング交換を受け付けてくれています。以下の写真のように1500や996、576。1300、577、1400、1700などが対象です。(1700も廃版になる前に買った何足かがソールの加水分解が起きているのでそろそろ出そうかなぁ)



靴は気に入ったものを永く履きたいので、こういうリペアサービスは本当にありがたいです。メーカー自体が、リペアサービスを提供できるのも、永く続く定番モデルが存在していることと、それを愛して大事に使う(高いリペア代を払ってでも修理したい)ユーザーがいるからでしょう。




気になる修理代は以下です。
・オールソール交換:8000円(+税)
・オールソール交換+ライニング交換:13000円(+税)

直営店舗などでもリペアのお願いができるようですが、僕の場合は以下の連絡先に電話して書類を送ってもらい宅急便でM1300Jを送付しました。


■連絡先
ニューバランスジャパンお客様相談室「リペアサービス係」
0120−85−7120
平日の10時〜17時の受付


修理から戻ってきたら、また紹介します。


ちなみに送付後リペアサービスから電話がかかってきました。ライニング交換を行うと、ポリウレタン部分がかなり破損しているので危険があるとのこと。リスクはあってもこのままだと履けなくなってしまうので、修理を続行してもらうことにしました。コレクターではなく、履ける靴が欲しくてリペアに出しているわけですから。


リペアに出すという消費。リペアに将来出せる商品を購入するという消費。修理担当してくれる職人さんと会話するという体験。この辺にすごく食指が動いてしまうのです。


関連エントリー:こだわりを持っている専門家に「叱って欲しい」。


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