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なぜそんな逆行したことを考えたのか?
上海が日本になる途中なのではないのか?
そんなふうに思われるかもしれませんが。
上海で一番感じたことは、この二極化の行く末です。
裕福な人たちは、世界とつながり
世界基準の生活を謳歌できる。
もちろん、仕事も報償も世界基準だ。
一方で、何もない人たちは
道に座り込み、お金を強請る。
みんなが貧乏だったころは、
何も感じなかったが、
裕福な人が出たことで相対的に
自分たちのあり方に怒りを感じる。
それは、どこに向けたらいいのかわからない怒りだ。
日本で今後ますます進行する「二極化」「格差社会」とはこういうことだ。
すでに、全体に富を配分できる時代ではない。
国が豊かになれば、自分もおこぼれを自動的にもらえる時代じゃない。
世界基準で働く機会が生まれる一方、
あきらめが慢性的に漂い、仕事も生活もできない人が出てくる。
幸福とは、相対的に感じることが多いため、
この人たちにとっては、許し難いことになるだろう。
上向きのベクトルの上海では「二極化」はなんとか溶け込んでいる。
一方で、下向きのベクトルの日本では
二極化が起こることを具体的にブレイクダウンして
語らないことで、イメージさせないことで蓋をしている。
格差社会と言っておきながら、その具体的な姿はイメージさせない。
どちらがヤバイかというと、それは日本だろう。
今回の上海行きのおかげで
言葉の上では理解したつもりになっていた「二極化」「格差社会」の
本当の意味が腹に落ちた。
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庶民向けの20元もあったら腹一杯になる食堂と
100元単位の料理が並ぶ高級店。
服の価格差だったて尋常ではない。
もちろん、質も違うってことだが。
その異なる層が同じところにごった返している。
上半身裸の人と、ブランドを身につけた人が一緒の道に存在する。
そんな社会をいままで見てこなかったから
特に感じたのかもしれない。