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2014/10/08

"痛い目にあわないと、わからない"あらため"愉しい経験しないと、かわらない"


「痛い目にあわないと、わからない」 の意味は、失敗することで人間は一番学習するということでしょう。

不安やリスクを避けるための情報はたくさんある

注意するという意味では、マニュアルや ルールブックのようなものも「痛い目にあわないと、わからない」ものに対して「痛い目にあわないように、対応策まとめておいたよ。守ってね」というコミュニケーションをしているもの。いわば、人生におけるディフェンスです。

マニュアル型のルールが成立するものは、"痛い目にあう不安への代償"としてルールを守ることを求めるものです。

よくネットで、不安系のワードで検索されるのが、この類です。そのため、こちらの情報は「失敗しない」ノウハウとしてたくさん流通しています。日々のお茶飲み話でも、結局アドバイスしたがりの人がしてくるのは、この手の「失敗しないため」「安全でいるため」の規範です。


愉しく暮らすための情報は経験しないと探せない

一方で、オフェンス側である"愉しく生きる"だったり、自分にとって"愉しく暮らす"ということを考える 情報を 探すのは容易ではありません。

難しいのは情報がないということではなく、"自分が求めているものは何か?"ということを言語化しなければならないから。

自分の周囲に"愉しく暮らしている大人"や"こういう生活をしたい"という憧れを抱かせる人がいないと、なかなか明確には描けないものです。

先日も、自分たちの環境で、肩の力を抜いて暮らしを素敵に楽しんでいる大人たちを紹介するツアーを行いました。なぜわざわざそんなツアーをするのかというと、自分の目で見て、その人達の空気感、話し方、家族や友人たちとのコミュニケーション…を体験してもらわないと、こういう世界もあるということを理解してもらえないから。腹落ちしないと、自分の生活・環境に置きかえて、自分ならどうするのかを考えないから。

今、一番足りないのは"夢のある対案"を見せる・体験してもらう仕掛けでしょう。

ことわざにはその社会が 古くから大切にしている思想が染み付いています。"痛い目にあわないと、わからない"と言い続けてきた社会に、"愉しい経験しないと、かわらない"という新しいことわざが定着したらどうなるのでしょう?

私は、自分たちの環境(制約条件)を利用して、 愉しく暮らせる大人こそ、クリエイティブな人間だと考えています。

関連エントリー:「ないものねだり」から「あるもの活かし」へ


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