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2013/01/25

「量が質に変わる」のは「ものさし」ができて「解像度」が高まるから


輝いて生きている人の、今に至るまでのストーリーを聴けるのは、この上ない喜びです。

昨日も自由大学で「東北復興学」、「東京・日帰り登山ライフ」の教授の大内征さんとじっくり話をする機会が持てました。合計3時間にもわたって。(お互い暇なのかw)

独立して「故郷・地方・地域社会・自然」をテーマにコンテンツ・プロデュースを行っているローカライズ・プロダクションを立ち上げたタイミングでもあり、ちょうどここまでの経緯を振り返るいい時期でした。


インタビュー内容に関しては、今準備している脱藩者インタビューメディアに掲載していくので、ここでは省略します。

ただ、タイトルにした「量が質に変わる」ということについて、インタビューでお話を聞いているうちに、自分の中でしっくりと整理できたことがあるので、ここに書いておきます。

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「量が質に変わる」


小さいころからよく言われた言葉で、ちょっとスポ根的な響がして、あまり好きな言葉ではありませんでした。

質は、あくまで価値で判断されるべきで、そこまでかけた量(つまり時間やコスト、労力)で判断すべきことじゃないよなぁ、と。

しかし、昨日インタビューをしながら、「量が質に変わる」って、質を作るために必要な応用可能な法則をいろいろ省いて説明しているということに今更ながら気がつきました。

省かれているのは、「ものさし」であり、「ものさし」ができることで自分の眼の「解像度」が高くなるというこの流れなんだ、と。

量をこなす
 ↓
自分の中にものさしができる
 ↓
ものさしが増えてくると、良い悪いの違いに気がつける
 ↓
自分が見たものから得る情報の解像度が高まる
 ↓
作るものの質が高まる

この一連の流れを「量が質に変わる」と、課程を省いて説明していたことが、やっと理解できました。

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大内さんもそうですし、僕もそうだったのですが、経験がまだ少ないころには、自分の中に「ものさし」がないから世の中の常識的なルートが絶対だと信じてしまう。

それが、仕事や失敗などを通して、いろいろな「ものさし」ができてくると、自分が重視していること、嫌なことがはっきりと見えてくる。

そうしているうちに、自分の道・自分の社会的な役割が見つかっていく。


未来が見えなかったり、自分の役割や道がわからないと感じている人は、まだまだ「ものさし」づくりの時期なのかもしれません。見つからないと焦らずに、「量が質に変わる」と思って、体験量を増やすことに注力してみることをオススメします。

関連エントリー:僕が、わざわざ現地視察することで得られる3つの理由


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2013/01/17

両方いることで、僕らはシステムとして最適化している


ネット論壇は、対立構造で盛り上がっている。それぞれの意見がぶつかりあうからこそ、面白い。

とはいえ、個人で何かを選択したり、意志決定しなければならないときには、いつまでもこのような議論に振り回されていても時間の無駄なんだと思う。

だって、議論がおこっているトピックスは、まだ答えが見えない分野だから。

共通のものさしが共有されていない中での議論は不毛だ。「何のために?」「何を望んでいるのか?」が握れていないままに、方法論を議論しても仕方がない。


ノマド論争や働き方、生き方、評価経済についての議論は、まさしくこのような不毛な状態に陥っているように思える。


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社会が不安定であるほど、元気になる種類の人間がいる。僕も、間違いなく、その中の一人だ。

このような人間は、ダーウィンの言う

最も強い者が生き残るのではなく、最も賢い者が生き延びるでもない。唯一生き残るのは、変化できる者である

という格言を信じているので、現時点の環境への最適化よりも、未来の環境(予想でしかすぎないのだけど)への最適化を優先する。

一方で、現実派の賢い人たちは現時点の社会システムの中で最適化を優先する。見えているものの枠組みで、勝つ方法を考えて論理的に実践している。

未来予測に基づいている人は、人より先に動いてしまうため、現時点での利害関係でみると最適ではない行動をとってしまう。そしてその説明は未来予測に基づいているため、論理的ではない。

現時点での最適な戦略をとっている人はロジカルだ。議論に向いている思考だ。一方で、未来に基づいて動いている人は「青く」見えるし、議論の土台が未来予測だからふわふわしてしまう。

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結局、どっちが正しいのかは、未来にならないとわからない。

未来に基づいて行動した人が生き残るのか?
それとも現時点に最適化した人が生き残るのか?
どちらも生き残るのか?だれも生き残れないのか・・・。

ただ一つわかっていることは、両方必要だということ。
未来予測に基づいて、群れを離れてチャレンジする変わり者が一定数いないと、新しい環境に適応できない。一方で、全員が奇異な行動をとれば種が全滅する可能性がある

そう考えると、未来派と現実派の論争なんて、どうでもよくて、両方いることで僕らはシステムとして最適化しているだけなんじゃないだろうか



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2013/01/09

「お呼ばれ」される人でいることの「ありがたさ」

空気読み一人シンクタンクの跡部です。先日まで忘年会シーズンだと思ったら、すっかり新年会シーズンですね。写真は自由大学の教授・キュレーター新年会。



僕みたいに、一人株式会社をやっている人間にとって、忘年会や新年会・パーティなどクローズドな場に「お呼ばれ」することは、すごくありがたいことです。

クローズドな場に「お呼ばれ」するということは、コミュニティの一員として認めてもらえているわけであり、「あの人、呼んでおいたほうが、場が楽しくなるよね」と思ってもらっている証です。これは嬉しいですよね。

なによりありがたいのは「ハズレのない出会い」です。

コミュニティの一員であり、同じく「あの人は呼んでおかないと!」という幹事のフィルターを経て集まってきた参加者は、間違いなく興味深い人たちです。

共通の繋がりがあり、面白いネタ(知識・スキル)を持った人と出会える環境にいることは、ビジネス面でも重要な競争優位性です。実際、こういうところから、新しい企みや、事業が始まってきています。

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ちょうど、一年前に「過去の自分の好奇心が、今の自分の武器になっている」というエントリーを書いていました。

この季節になると、過去に自分が作った他人とのつながりが、新しいチャンスを運んできてくれることに感謝の気持ちを抱くようです。

未来の自分に、感謝してもらえるように、「お呼ばれ」する人であり続けるために、今年も頑張ろう!

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2013/01/04

神社で体験、クラウドファンディングの原点

今頃ですが、新年あけましておめでとうございます。今年も飄々と、粛々とやっていこうと思っています。

お正月は実家に帰省していたので、仙台の愛宕神社に初詣に行ってきました。お参りするまで約1時間半並びましたが、おかげでゆっくりと神社について考えることが出来ました。

気持ちよくお祈り(というよりお願い)するおもてなし、お財布を開いて奉納したくなる気分の作り方です。普段のお金の使い方とは違う「晴れ晴れ」とした気分にさせてくれます。


神社で体験するクラウドファンディング

今回、私が気持ちよく「財布を開いた」体験を順を追って写真で説明していきますね。

もともとクラウドファンディングの原点はこういった寄付や支援活動だと思いますが、リアルで体験すると、タッチポイント、説明方法など非常に勉強になりました。


クラウドファンディング英語:crowd funding)とは、不特定多数の人が通常インターネット経由で他の人々や組織に財源の提供や協力などを行うことを指す、群衆(crowd)と資金調達(funding)を組み合わせた造語である。[1][2] ソーシャルファンディングとも呼ばれる。[3] クラウドファンディングは防災市民ジャーナリズム、ファンによるアーティストの支援、政治運動、ベンチャー企業への出資 [4] 、映画 [5] 、フリーソフトウェアの開発、発明品の開発、科学研究 [6] などの幅広い活動の支援において利用されている。via.wikipedia


長く続く参道を登って、神門と呼ばれる天狗の像が両側に奉納された門がやっと見えてきます。しかし、今年は例年と違ってブルーシートがかかっています。昨年は市内の民家でもあちこちでこのブルーシートの屋根を見かけました。「もしや、東日本大震災の影響???」



近づいていくと、やはり東日本大震災の影響で、天狗像は修復工事に入っており山門の中は空っぽ。それにあわせて、この山門の屋根のふきかえをするようです。ブルーシート姿を見ると震災後のことを思い出してしまいます。


そこに、この看板。「なるほど、山門の屋根のふきかえには2000円で一枚の銅板瓦を奉納することができるんだ。せっかくだから、初詣ついでに、屋根のふきかえの支援をしようかなぁ。あのブルーシートを見るのは、やっぱり辛いし・・・」



さらに先に進むと、本殿の屋根のふきかえをしたときの銅板奉納者の名前が掲示されていました。「いままでも多くの人の寄付のおかげで神社が維持されてきているんだなぁ」と、ちょっと感慨深くなりました。



本殿で初詣のお参りが終了して、そのまま足は社務所の銅板奉納受付へ。2000円を納めて、自分が奉納する銅板にマジックで住所と名前を書くという単純な仕組みです。それによって「自分が奉納した銅板がこれから数十年、あの山門として活躍するんだ」と誇らしい気分になります。

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偶然かもしれませんが、上記の一連の流れは、神社に訪れる人の流入導線上のタッチポイント・順を追った説得材料がすごくよく設計されていました。こうやってまとめてみると、よくできた情報商材系の縦長のWebページを思い出させられますねw

初詣という一年分のお願いに来たタイミング(都合良すぎるよなぁと薄々感じているのでなおさら・・・)で、自分も神社に協力することができ、誇らしい気分にさせてくれる素晴らしいリアル・クラウドファンディングの取り組みでした。

あらためまして、今年もこのBlogよろしくお願いします。

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