グローバル サイトタグ(gtag.js)

2014/08/27

「子供はスリルを好み、大人はやめさせたい」って我々の社会の縮図だよなぁ。


相変わらず双子に手を焼いている状態が続いています。。。たまには、示唆的なインスピレーションを子供からもらうこともあります。

例えば、「おもちゃ」よりも「おもちゃじゃないもの」のほうを喜び、長い時間遊ぶという傾向。大人としては、おもちゃを預けておいたら、夢中で遊んで欲しいのですが、意外とすぐ飽きて投げ出してしまします。

それよりも、大人にとって「触らせたくないもの」「危ないから遊んでほしくないもの」で遊ぶことを好むわけです。テレビやエアコンのリモコン、各種ライトのスイッチ、床暖房のスイッチw DVDやオーディオ機器、らせん階段、ガラス。もちろん家具類やコンクリートの壁にアタックするのも大好き。尖っているものを見つけたら、掴んで舐める。。。

大人が「危ないなぁ」「やめて欲しいなぁ」と思うもので遊んで、ドヤ顔してこちらを見てくる。。。

−−−
詳しいことはわかりませんが、もともと本能的に「スリルを楽しむこと」や「相手の期待値を超えること」が組み込まれているのかもしれません。

すでに「使い方が決められている」ものよりも、「別の用途のものを工夫して遊ぶ」ことのほうが、相手の期待値を超えることにつながっていることを、まるで知っているかのように。

何歳向けとか、この子たちにはこのぐらいという制限された環境は、相手を文字通り“子供扱い”しているのかも。

これを、いい大人向けにもあちこちでやっているのが、我々の暮らしている社会。「もし事故が起こったらどうするんだ?」「新しいことやってうまくいかなかったらどうするんだ?」という先回りしたおせっかいであふれています。

子供の様子を見ていると、制限されるよりも、少々危ないことにも挑戦させるルールに適合するように、人間はできているように思えます。

もちろん、本当に危険な状況になったときに、手を差し伸べられるバックアップは必要です。

我々の社会に置き換えると、バックアッププランは社会システムで作っておきながら、挑戦にも制限している状態。バックアッププランが仕組みとしてあるのであれば、本当はもっと温かく挑戦する人を眺められる余裕があってもいいのかもしれませんね。


RSSリーダーで購読する

follow us in feedly

にほんブログ村 経営ブログ 広告・マーケティングへにほんブログ村

2014/08/20

環境を作るとは、自分なりの「距離感」を保つこと。



お盆休みや夏休みを利用して、ネットとの距離感/SNSとの距離感について見直した人が多かったのではないでしょうか?

僕自信、世の中が静かな期間に、いろいろなものとの「距離感」を見なおしてみようかなぁと思い立ち、実践してみました。

0:健康診断/人間ドックに行った上での身体面での見直し

1:自分のテーマの再確認と優先順位の組み換え
2:1に基づいて自分の時間の使い方
3:インプットする情報の再設定(書籍:ネット:一次情報の比率)


…とブレイクダウンしていくと、やはり時間を割いてしまいやすい環境にあるネットとの距離感は意識しないとなぁ、とあらためて感じました。

人付き合いも同じですよね。かなり強い意志を持たないと、つい飲み会の予定をどんどん入れてしまう。。。

そして健康面はついつい後回しにしがち。今回異常がなかったのもある程度習慣的に走ったりできてるからだと思い、スケジュールをちゃんと確保できるように再確認しました。

−−−
自分で環境を作るとは、すべてのものとの「距離感」を見直し、意識して自分にとって適度な環境を保てるようにする必要があります。

人間はどうしても楽なほうに流れやすい。だからこそ、定期的に立ち止まって、大きな目的・自分の環境を俯瞰して評価する時間が必要です。

自分の仕事のポートフォリオも個人の時間の使い方も、何かとの距離感も、定期的に見なおさないと。これこそが本来のバケーション(vacant=空っぽの期間に、篭って自分を見直すこと)の正しい使い方だと、自分を励ましていますw




RSSリーダーで購読する

follow us in feedly

にほんブログ村 経営ブログ 広告・マーケティングへにほんブログ村

2014/08/08

ますます「一次情報」にこそ価値がある。



自分が直接関わっている業界・分野の報道やニュースを見ると、「ちゃんと取材してるのかな?」「結論ありきで、組み立ててない?」という経験をしたことがある人がほとんどでしょう。

でも、自分の知らない分野の話題だと、「へー、そうなんだ。」と納得してしまう。

もちろん、すべてのニュースや報道がそうだというわけではないので、害のないものならそれでもいいのかもしれませんが、自分や自社が事業としての意思決定をするときの情報ソースは、きちんと「一次情報」を集めて「自分の頭で考えたい」ものです。

念のため、一次情報とは、自分の目で見たもの、自分が直接聞いたもののことを指します。二次情報とは、本やメディアなど第三者が介在した上で仕入れた情報です。

−−−
そんなことを改めて考えたのも、週末に中国の西安を訪れたから。二年半ぶりぐらいの訪問でした。お世話になっている友人のお母様が亡くなったので、香典を渡して焼香するのが主目的。二番目に、日本ではネガティブな情報であふれている中国の地方都市の状況を自分の目で確認しておきたいという理由です。

前回訪れてからの間は、反日デモの報道だったり、中国のシャドーバンキング問題などネガティブな話題ばかりの時期でした。普通に考えれば当たり前ですが、中国とくくっても大きすぎるわけで、アメリカだって州や都市で全然状況が違うし、いろいろな階層・考え方の人がいるのは、人口的にも地理的にも大きくなればなるほど、一括りにはできません。

西安という都市に久々に行ってみた感覚では、都市への人口流入が続き、城壁の外側へ広まっていった新興エリアに住民も仕事をする人も、商売をする人も着実に拡がっているのを感じました。ニョキニョキと建っている高層レジデンス(だいたい40F建て)に下層階は商売エリアという組み合わせの便利さを謳歌し始めています。


ショッピングモールの広場には夜になると、踊りに来る団体が多数
各団体、自由に本当に楽しそうに踊っている
開発中のエリアでも人が住み始めると、飲食店を始める人がまずはお店を開き始める


若い人のマナーはすごく良くなっているし、年上の人達では旧来のままの人もいる。お店で働いている若い子たちの愛想もすごく良くなっていて、洗練されてきている。

もちろん、長安であった頃から国際都市であったため、異国の人たちを知っているということもあるのでしょうが、自分たちの社会の位置付け(発展度合い)を世界の目で俯瞰してみて考えている人達と話ができたのも興味深かったです。

お通夜やお香典、焼香などの風習だって、細かい違いはあるもののほとんど日本と同じ。(中国から伝わってきたものだから当たり前かw)亡くなった方を弔う気持ちに至っては、世界共通でしょうしね。

−−−
長くなりましたが、世の中でネガティブなことが言われている時こそ、自分の足で一次情報を集めて、本当かどうかを考えてみましょう。

もし、事実がポジティブであれば、価値があるものが不当に評価されていないタイミングかもしれません。商売にしても、事業にしても、企画にしても、本来の価値に気づかれていない状態こそが、チャンスなのだから。




まさにこの「弱いつながり」は、旅をして現地を訪れることで「検索ワード」を発見することのメリットを書いている、今の社会での情報リテラシーの新しいあり方を感じられる本で、おすすめです。

RSSリーダーで購読する

follow us in feedly

にほんブログ村 経営ブログ 広告・マーケティングへにほんブログ村