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2011/05/30

文句あるなら、自分で行動すりゃいいのにね。

大好きな言葉に"Hate something,Change something"というものがあります。
ホンダUKがディーゼルエンジンのCMで使ったフレーズです。



動画を見るとわかるように、Hate something,Change somethingのあとに
Make something better!というメッセージも加わっています。

「嫌な物や憎むものがあったら、いっそのこと変えてしまえばいい。そして、世の中を良くしようよ!」というとてもポジティブな勇気の出るフレーズです。


さて、一方で昨今感じるのは、頭良さそうに最もらしいことを言いながら、行動を起こさなかったり、できてない部分を指摘しあって足を引っ張り合っている政治が目につきます。

しかし、現実の社会には、目の前の課題ややったほうがいいと思うこと、変えたほうがいいと思うことに取り組んでいる人がたくさんいます。地味な話だけど、理想ばかり語らずにせっせと、改善している人たちが。

ここのところ強く思うのは、「文句あるなら、自分で行動すりゃいいのにね。」ということ。行動する能力や暇がなければ、資金を出す。せめて足を引っ張ったり、行動している人の足を引っ張るようなことはしなければいい。

別に震災のことだけじゃなく、社会のすべてに言えることだと思っています。
常に自分が、行動している側にいれるように今週もがんばろう。
Hate something,Change something,Make something better!!

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2011/05/27

エンドユーザーに遠い場所にいる人ほど、想像力が必要。

仕事の喜びって、自分がつくったものや、提供している(関わっている)サービスが誰かのためになっていることを認識できたときに、ジワジワと沸き上がってくるものだと思う。

だから、いつもユーザーに直接接する機会がある人や、対峙できる人は、本当は幸せな仕事だと思う。もちろん苦情もそれなりの苦労もあるだろうから。

でも、不思議なことに。大抵ユーザーとの距離が遠くなればなるほど、仕事の給与は高くなる。現場でユーザーに接している人と、ユーザーに接することができない経営層では数倍違うでしょう。

このことをこう考えてみたら、どうだろう?
ユーザーと直接触れあって、喜んでいる姿が見られる人は、それだけで仕事の喜びという報酬がもらえて、仕事の喜びを直接感じづらい経営層は報酬が高額じゃないとやってられない、と。

でも、結果的に一番報酬を得て、成功している起業家って、エンドユーザーとの距離は離れているのに、ユーザーのことを想像できる力をもっていたり、わざわざユーザーと触れる努力を払っている人なんだよね。


ソーシャルメディア時代のマーケティングについて原稿を書きつつ、ふとこのことが頭から離れずにblogに書いてみた。


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2011/05/26

幸福でも、経済的成功でもなく「自由になりたい」

たぶん、僕が「一人株式会社」という枠で働くことを指向しているのも、自由になるためです。

昨夜もふと気になり以下のようなつぶやきをしました。

「去年より今年のほうが自由になる人生」を目指している人と、「選択したり考えたりしなくていい人生」を目指している人に分かれる気がする。政党とかも、二分したらわかりやすくなるのに。僕は徹頭徹尾前者です。less than a minute ago via web Favorite Retweet Reply



本当に二つに分かれる気がしています。前者の思想で生きている人と後者の思想で生きている人に。
そして政治はこの両者を相手にしなくちゃいけないから、ややこしく、そしてこの争点をあえて明確にしないでやってきているような気がしてなりません。


ここで、「自由になる」って言葉のニュアンス自体を正確にしておきたいのですが、別に楽をするとか、身勝手に生きるとかそういうつもりではないのですよ。
人に強制されたり、社会的な圧力に関係なく、自分の考えや思想に基づいて選択肢を実行できるというニュアンスです。

・固定概念から自由になる
・何かに依存しない
・人のせいや社会のせいにして諦めない
というふうに言い換えられるかもしれないです。

個人的に、お金持ちになりたいわけでもないし、漠然と幸せになりたいとも思えない。
それも、なんか誰かの敷いたレールの上にいる気がするのです。

去年より今年のほうが「自由」になれているのか?
捉われることが減っているのか?が僕の中の基準です。


この「自由になる」という思想に捉われすぎて、
窮屈にならないように気をつけなくちゃ。。。
最近、仕事に忙殺されて、自由度が減っている気がしてのエントリーでしたw


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2011/05/23

個人の消費、投資にも「思想」が求められる時代。


企業にも個人にも「生き方の思想」が問われています。
つまり、自分が「どちら側」につくのかの判断が、一つ一つの行動に求められてきます。

例えば、
環境と共生する側なのか、略奪する側なのか?
価値を生み出す側なのか、誰かが作り出した価値を搾取する側なのか?
世の中に対して価値を増す活動をやっているのか? それとも誰かの価値を不当に利用しているだけなのか?

個人でも企業でも、「どちら側」にいるのかを意識する必要は大きいはずです。

なんで、急にこんなお説教くさいことを考え始めてしまったかというと、資本主義社会で行われる自由競争って、本来はすごく優れたシステムだと再認識したからです。
自由競争は、「生活者に支持された企業が結局は生き残る」という仕組みだからです。

ただ、そのために必要になるのが「個人」「企業」の両者が「思想」を持って行動していることが必須になっていきます。

そして、企業の本音が見える環境はすでに整いつつあります。「どちら側」の企業なのか、生活者は、気が付いて取捨選択できるはずです。


どんどん企業の活動が透明になっていくということは、「どちら側」の企業なのかという本音が見えてしまうということ。ここまでは、いままでもさんざんソーシャルメディア社会について語られてきました。

次に来るのは、個人もどんな行動をしているのか、本音が見えてくるということ。個人の活動にも思想が求められていきます。投資家もいままでは、匿名性が高かったのが、どんな思想をもった活動しているのかが求められてくるようになるでしょう。

結局、「資本主義社会×自由競争」が素晴らしく機能するために足りなかったのは、この投資家も個人も含めた「透明性」でしょう。

そう考えると、投資家として、お金というパワーをどう自分の信じる思想のために有効活用するかという教育も必要になりだろうし、選挙権も自分という商品をどう有効に使うかの考え方・活かし方も教える必要があります。

「会社で働いて、お金を得る」ために最適な人間教育から
「自分の信じる思想のために、社会活動を行う」ために必要な教育が決定的に足りてないんだろうなぁ。

孫さんの「太陽光発電所を建設」のニュースとか、ものすごくこのことを教育する面白い題材だと思うんですよね。


僕が「何かに依存しない」というスタンスが好きなのも、上記のような判断が、自分の意志通りにできることを重視しているからなんだろうなぁ。何かに依存していれば、どうしても曲がった判断をしなくちゃいけない時があるから。



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2011/05/20

消費者としても、生産者としても満足が得られる社会には、希望が溢れている。

暗いネオンが定着したここ東京で感じたことです。無理矢理ライトアップして、商品をキラキラさせて喚起できた消費は、そもそも不必要なものだったのかも、と。誰も幸せにしていなかったのかも、と。
社会全体が2倍ぐらいの労力をかけて、2割増しぐらいの成果をやっと出してきたのかもしれない? それによって、生産者としての自分が疲弊してしまい、消費者でもある自分も消費意欲がなくなっていく感じです。
競合商品との「微差」や前のモデルからの「微差」。そしてその「微差」を伝えるために
工夫して伝える広告やキャンペーン。ときには、商品じゃなくてキャンペーンに特徴を求めたり・・・。すべてのものが伸ばし続けなくちゃいけないなかで、無理してやりすぎてきたのかも?という疑問です。
下りのエスカレターに乗りながら、すごく大きな労力を投下しても成果は本当に限定的。
今の日本で生まれ育った僕らにとっては、仕事とはそういうものだと信じてきました。でも、足りないものがたくさんあって、これからまだまだ成長する国にいたら、こんな効率の悪いことをやっていないだろうなぁ。
もし、何もしなくても需要が爆発的に増えていくマーケットにいたとしたら、これほど「企画」や「マーケティング」の必要性はないのかもしれない。
無理してひねらなくても「みんなが欲しいから欲しい」で済む。バイクを買わせるために、ツーリングに行く場所やバイクのある生活シーンを提案する必要もない。ストレートに、欲しいから買って、うれしいから走る。アジアでは、それが普通ですよね。

需要喚起に頑張っている携帯型ガスパワー発電のエネポカタログより ※エネポ自体は新しいマーケットを見つけたいい企画だと思うのですが、いかんせんシーン提案がやりすぎだったため例として使いました

「ベトナム バイク」で画像検索して出てきた「無邪気な」バイクへの喜び溢れる画像

なんだか、みんなでこねくりまわして、パワーをかけて需要を生み出している気がしてきてどうも、気持ち悪い。そして、爆発的に需要が伸びているときには、買う側に枯渇感があるから、商品を発表したときに、生産者側は顧客から喜びのフィードバックが戻ってくるのを体感できるでしょう。

きっと、希望に満ちた社会とは、消費者として「ストレートに欲しい物が出てくるし、買える!」という喜び生産者として「自分が作ったものや企画したものが社会に本当に役立っているし、求められている!」という両輪があって成立するんだろうなぁ。

あ、別にネガティブになっているわけではなく、元気がなくなってしまった日本社会が、再び「無邪気に」なるためにどうしたらいいのかヒントを考えているだけです。

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「自分のこととして」意識できる補助機能が必要なのかも?

ここのところ、6月発売の書籍が最終段階になっており、パワー不足のためどうしてもblogが後回しになってしまっています。結局、一日に使える自分のパワーは、決まっていてその中で優先順位をつけながら、やりくりしていくしかないんですよね。
一方で、頭のほうはすっきりしていて、先のことや興味あることをどんどん考えてしまいます。だからこそ、中期的にやりたいことと、目の前でやらなくちゃいけないことをうまくバランスとりながらやっていくしかありません。。。
個人だと、自分の肉体と意思決定がつながっているので、優先順位をつけてやっていかないと痛い目にあうことを常に意識せざるをえません。たくさんを手をつけて、ニッチモサッチモいかなくなるのは、自分ですから。しかし、大きな会社だったり国とかの規模になると、この「優先順位をつけなくちゃ」という感覚が鈍くなってしまいます。
人間には、自分の感覚として把握できる規模の限界があるからでしょうか? 一定以上の人数や一定以上の金額になってくると、肉体的な感覚と結びつけて把握するという方法は難しくなります。そのために数値管理やモニタリングする方法が重視されています。現場の声をヒアリングしたりするのも、同じですよね。現場から遠くなればなるほど、肉体的な感覚や自分のこととして感じる機会から離れてしまいますから。
大きな政府は、どこもどんどん債権が増え、お金を刷って、職員を増やし、そして・・・。という状況を見るにつれ、やはり肉体的な感覚と結びつけた状況把握方法が必要になるように思えて仕方がありません。みんな「自分のこととして感じる」機会が少なくなってきているから。
たとえば、国会議員になると、「負債の重さ」を感じられるスーツを着用することが義務付けられるとか。誰かの気持ちになって、「自分のこととして感じる」機能を定期的に義務付けられるとか。提言する内容に連動して、「効果が得られたときの爽快感」が信号としてフィードバックされるとか。。。
かなりサイバーパンクやSFチックな想像になってしまいましたが、きっとどこかで意思決定や状況を肉体的に体験できる仕組みを真剣に研究している人がいるはずです。少なくとも、今の意思決定が50年後、100年後に与える影響を直感的に把握することができたら、世の中は今のようにひどいことになっていなかったかもしれないので。
震災タイミングで、日本にあった「自分のこととして感じる」ヒリヒリしたような危機感がまた薄まってきている気がするので。自戒も込めて。

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2011/05/17

6月刊の書籍の入稿が終わりました!

このblogでも数度紹介してきた6月にDiscover21から出る書籍の入稿が先ほど終わりました。

タイトルなども発表したいのですが、まだちゃんと決定しているわけではないので、詳細を紹介できないのですが、ダグラス・パーヴァイアンスさんの経験をもとに、日本の読者に「前に進む」勇気をあたえる本になる予定です。


昨年の9月頃にスタートした書籍化プロジェクトなので、311後の日本に必要なメッセージを伝えるために作っていたようで、とても不思議な気分です。

ここから出版まで、ゲラもレイアウトも装丁も、チェックしなくちゃいけないことは多々ありあすが、執筆者としての大きな山は乗り越えたようです。

いやー。本当に宮嶋みぎわさん(@MiggyMigwa)と編集の千葉正幸さん(@chibama)には、お世話になりました。また、素晴らしい戦友ができた気がします。

トークショーの楽屋でダグラスとおどけていた頃が遠い昔のようw
撮影:弐宮憲吾さん(@kengo_luceat
宮嶋さんがトークショーをきっかけに、ダグラスと出会う機会を作ってくれ、その後常見陽平くん(@yoheitunemi)が編集の千葉さんを紹介してくれました。こうやって、人との出会いで物事は進んでいくんだなぁ。

最後まで、しっかり作って、ダグラスのメッセージを皆さんに届けますね。

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2011/05/10

本質を重視して、型にこだわらない。


ちょっと前になりますが5月6日に、
面白いところに面白い人たちと集まりました。
日本愛妻家協会チーフエバンジェリスト&キャベツ大使の小菅隆太さん(@ryutak2009)と
週に仕事3日育児4日に切り替えた篠原広高さん(@sunaf)。



自分の人生を自分でコントロールすることを選んだ人たちということで。
いろいろと震災後の意識の変化について、MTGをしました。
自分のアンテナで違和感を感じて、一歩踏み出し、かつ社会にメッセージを発信している人たちと
ブレストすると、元気になるし、アイデアもたくさんもらえました。
で、MTG場所も一つの大きなヒントでした。
「ツナガルお寺」というコンセプトで活動している神谷町にある浄土真宗本願寺派梅上山光明寺
お寺の境内にあるテラスに椅子やソファを置いて
オープンテラスとして、近所の人たちの交流の場として提供しています。
(よく見ると、上の写真も背景はお墓ですw)
おもてなしとして、コーヒーなどの飲み物や手作りのわらび餅までいただいてしまいました。
さらに、震災復興イベントとして「お坊さんレッドカーペット」という
10人のお坊さんが各10分お話をするという、講演会も開催されていました。


お寺の役割が「教えを伝えること」や「悩んでいる人たちに勇気を与えること」とすると、こうやって外の世界に対して開いて、入りやすく親しみを持てる場を提供することで、「教えを伝える」きっかけになったり、「悩んでいる人たち」とコミュニケーションすることができるのです。
お寺という型を守ろうとすると、境内でオープンカフェをやるなんて・・・とか、「お坊さんレッドカーペット」って・・・という拒絶反応もあることでしょう。残念ながら、本質的なことをやろうとすると、必ずネガティブなことを言ってくる人はいます。
しかし、お寺の役割という「本質」から考えたら、今の時代に必要なお寺のあり方は、この型破りのほうでしょう。立地も神谷町の駅から徒歩1分ですから、この場所を使わないほうがバチがあたります。
実際、普段はお寺では見ないような若い人たちが、ランチを持ち込んで楽しんでいましたし。
(まあ、私もお寺なんてめったに来ないですし)
といことで、MTG場所からも、いろいろとインスピレーションをいただきました。
僕個人としても「本質を重視して、型を疑問視できる人」でいたいし、そういう人たちを応援できる人でいたいですね。


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