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2013/01/17

両方いることで、僕らはシステムとして最適化している


ネット論壇は、対立構造で盛り上がっている。それぞれの意見がぶつかりあうからこそ、面白い。

とはいえ、個人で何かを選択したり、意志決定しなければならないときには、いつまでもこのような議論に振り回されていても時間の無駄なんだと思う。

だって、議論がおこっているトピックスは、まだ答えが見えない分野だから。

共通のものさしが共有されていない中での議論は不毛だ。「何のために?」「何を望んでいるのか?」が握れていないままに、方法論を議論しても仕方がない。


ノマド論争や働き方、生き方、評価経済についての議論は、まさしくこのような不毛な状態に陥っているように思える。


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社会が不安定であるほど、元気になる種類の人間がいる。僕も、間違いなく、その中の一人だ。

このような人間は、ダーウィンの言う

最も強い者が生き残るのではなく、最も賢い者が生き延びるでもない。唯一生き残るのは、変化できる者である

という格言を信じているので、現時点の環境への最適化よりも、未来の環境(予想でしかすぎないのだけど)への最適化を優先する。

一方で、現実派の賢い人たちは現時点の社会システムの中で最適化を優先する。見えているものの枠組みで、勝つ方法を考えて論理的に実践している。

未来予測に基づいている人は、人より先に動いてしまうため、現時点での利害関係でみると最適ではない行動をとってしまう。そしてその説明は未来予測に基づいているため、論理的ではない。

現時点での最適な戦略をとっている人はロジカルだ。議論に向いている思考だ。一方で、未来に基づいて動いている人は「青く」見えるし、議論の土台が未来予測だからふわふわしてしまう。

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結局、どっちが正しいのかは、未来にならないとわからない。

未来に基づいて行動した人が生き残るのか?
それとも現時点に最適化した人が生き残るのか?
どちらも生き残るのか?だれも生き残れないのか・・・。

ただ一つわかっていることは、両方必要だということ。
未来予測に基づいて、群れを離れてチャレンジする変わり者が一定数いないと、新しい環境に適応できない。一方で、全員が奇異な行動をとれば種が全滅する可能性がある

そう考えると、未来派と現実派の論争なんて、どうでもよくて、両方いることで僕らはシステムとして最適化しているだけなんじゃないだろうか



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