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2014/06/03
年間を通してコンスタントに働くのは、当たり前?
“年間を通してコンスタントに働かないといけない、という考えをやめました。ここは自然の力が大きくて冬は出歩けないから、さからわずに休むことにしています。”via.「思い通りにいかない」が暮らしをつくる。山を暦代わりにした暮らしを実践するカフェ「麦小舍」|greenz.jp
この記事を読んで、自然のサイクルによって悪天候の時や冬など、仕事ができない環境を与えてもらえるのは、人間にとってありがたいことなのかもなぁ、と思い始めました。
自然の影響を受けずにコンスタントに働けるようになったおかげで、現代人は生産量も増え、社会的な富も増えました。しかしながら失ったものもあります。
一番の損失は、もともと冬にあった“篭って自分と向き合う時期”を失ってしまっていることでしょう。
バケーションも“篭って自分と向き合う時期”として、機能しています。語源としても、「vacant=空っぽ」なわけで、その時期があるから新しい創造が生まれる種まきができます。
生産には、外から見ると「冬」のように見える休んでいる・遊んでいることが次につながる仕込みの時期が必要です。
自分に当てはめても、楽しいお茶飲み話や、会いたい人に話を聞いている時間、移動の時間、旅に出ている時間、そこで考えたこと、この時間が自分の生産活動を作っています。
知的労働をしている人にとって、この「冬」の期間を創ることが、生産性を高めることに繋がると思っています。自分の価値を高めていくには、休む・遊ぶことでしか生まれないと言い切ってしまってもいいかもしれません。
年間の“休み”や“学び”の時間を、“働く時間の残り”で必ずしも考える必要はないはずです。むしろ逆で、“遊ぶ時間”“休む時間“を優先することで、わきあがってくる“仕事欲”を仕事にぶつけて事を成す時代なんだと思います。
はやいところ、知的労働者は「休んだもの勝ち」「遊んだもの勝ち」ということが、社会的に認識されるようになってほしい。いや、そうか。自分が「遊んだもの勝ち」を証明していけばいいのか!
関連エントリー:"仕事のために"とか言い訳してでも、愉しんだり遊んだりしたほうがいい理由。
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