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2007/08/18

24時間テレビに見る 時代の空気の変化

1978年にはじまった「24時間テレビ 愛は地球を救う」も
今年で30回を迎えたようです。
長期間続いている番組は、時代の変化、
見ている人の求めている「時代の空気」を
読み取るにぴったりの題材。

「24時間テレビ 愛は地球を救う」から
時代の空気の変化を自分なりに考察してみます。

1978年〜1991年の第一期
まさに「愛は地球を救う」をコンセプトに
・饑餓に苦しむ難民への寄付
・身障者への寄付
この2本柱で、番組が構成されています。

なにより、各地での募金に並ぶ人の様子や
人気のあった萩本欽一さんが各地を訪れて
握手をする姿を中継することをメインにしていました。

この時代には、
日本の成長がピークに達しているタイミングで
「日本人が世界の貧しい人を助ける」という
余裕があったのかもしれません。
1年に1度は寄付を行う。
そして、テレビで流される飢えに苦しむ人を見て
募金することで、自分の汚い行いを清めるような
効果があったのかもしれません。
とにかく、硬派でした。

それが、視聴率を意識した番組づくりに変更されたのが1992年。
多くの人が「24時間テレビは、日本テレビを救う」
なんてことを言い出したのもここからだったように記憶しています。

しかし、それも時代の空気が変わったから
そうならざるをえなかったととらえられます。
むしろ、ここでうまく時代に合わせたことは
賞賛されることだと思っています。
1992年からリニュアルを行って、
マラソンのある今の形にばっさり変更。

それまでの時代とは変わって
日本はデフレに突入していきます。
人のことを心配する余裕があるわけでもない。
募金をする心の余裕がなくなっていく。

そんな中で、番組の内容も
・難病と闘う人、子供のドキュメンタリー
・芸能人がマラソンで走ることでの「感動」
・サライに代表される「助け合い」の歌
・一人一人が自分を変えた瞬間の発表
と変更していきました。

すでに時代は、上からの目線による善意の時代から
同じ目線、身近な人としての絆を感じられる「助け合い」に変化しました。
不特定の誰かに対しての募金ではなく、
もっと身近な助け合いにシフトしているのだ。

それと、世の中に対する取り組み方も
「そこそこ」で「地域」や「家族」など
目に見える人たちが幸福であればいいというふうに変わってきている。
(若年層でここのところ、日本語のレゲエ人気がどんどん高まってきているが
 気候的に熱くなって来ていることと、歌詞の内容が
 地域や家族、恋人など身近の人たちへの愛のメッセージ、
 そして「リスペクト」であることがはまっているのだと思う。)
そうキーワードは「絆」です。

テレビで芸能人がマラソンで頑張っている姿を見て
「プチ感動」をする。それで自分が走り出すわけではないが
自分も同じ「感動」を消費できるのだ。
そして、ちょっとでもハードルの高くない
募金に参加することで
身近な社会に貢献できればいい。
自分も助け合って生きて行ければいい、という構造です。

だから、飢えに苦しむ人の映像も減るし、
間違ってもメインキャスターに叶姉妹なんかもってきません。

随分と長くなってしまったが、
最後に1つだけ。
村上龍がこう書いていました。
やはり、この人も時代がよく見えている。
(以下引用)

現代を象徴するキーワードは「趣味」だろう。ありとあらゆることが趣味的になった。考え方や生き方の変更を迫るような作品は好まれない。その作品を見たあとで何か新しいことを始めたくなるような小説や映画やテレビの番組はほとんど消滅した。また現代のほとんどすべての表現は洗練され、何かをなぞるような性格を持っている。感動の精神的機序をなぞるだけだから考え方や生き方を変える必要はない。タレントがマラソンを完走したシーンを見て涙を流しても、せいぜいジョギングを始めたり募金に応じたりするだけで、その人が生き方を変えるわけではない。(すぐそこにある希望 村上龍)