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2015/06/22

丁寧に暮らすために、家事はどんどん自動化し、楽すりゃいいんじゃない?


丁寧に暮らしている人は、便利に暮らしている人を羨み。便利に暮らしている人は、丁寧に暮らしている人に憧れる。人間は、ないものねだり。

そんなことを2〜3年前の自分のエントリー(楽でも、派手でもなく「丁寧に暮らしたい」)に書いてありました。

さて、その時とくらべて"地方出身・共働きの爆走双子育児"という環境になった今、考え方がアップデートしました。丁寧と便利は二項対立じゃないよなぁ、と。

人間を解放するテクノロジー(=便利)はどんどん導入して、それによって生まれた時間や余裕がないと、もう人間らしく行きていけませんw さらには、Blogを書く時間も持てませんw

テクノロジーの進化と人間性をトレードオフで考えている人が多いようだけれど、むしろテクノロジーを活用することで、動物から人間らしさを手に入れてきたのが我々です。

なんでそんな堅い言いまわしをしているかというと、育児や家事に関わることは、苦労するのが大事…手間を省くのは愛情が…的な固定概念が強すぎるからです。

他にもテクノロジーが職業を減らす的な文脈にも、みなさんネガティブですよね。


上のtweetにも書いているように、自分の生活で考えたって、仕事を減らすテクノロジーは導入しているし、それがない世界に戻れてと言われても、絶対嫌ですよね。ルンバや食洗機がなかったら、生活の快適度はぜんぜん異なるわけです。洗濯機やエアコンの話まで戻らなくても、私達の生活はテクノロジーを導入することでここ数年でも変わっていますよね。

どうしても極端な未来の話が盛り上がりますが、実際に我々は新しいテクノロジーを自分たちの生活にうまく取り込んで社会的にも適応してきています。

アップルウォッチだって、スマホ中毒から必要な通知だけ気がつけて、その分自分に向き合う時間だったり、家族との時間だったり、自分の人生を豊かに過ごすという思想が見えますよね。

僕らは、生活にテクノロジーを導入することへの変な後ろめたさを感じる必要はなく、どんどん入れてみて、それによって人間らしい生活を送ればいいだけです。

手間をかけたくないルーチンワークをテクノロジーにアウトソースする。それでできた時間や心の余裕を、自分があえて手間をかけたいことに使う。

大事なのは、テクノロジーを使って省いた分の時間や労力を何に使うのか?をコントロールする自分ですよね。

ルンバ万歳!食洗機万歳!!










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2015/06/05

幸福って自分でリスクを取れることじゃないかな?


寛容ではない社会では、ルールのほうが幅を利かせている。安全のために…事故がおきないように…心配だから…と、どんどん禁止ルールが増えていく。

管理している側の都合もあり、何かあった時困るから…と禁止事項は増えていく。

最近ホワイトカラーの生産性向上の話やら、創業する人を増やす話やら、働き方の多様性の話などをしていると、すべては自己責任をとって動ける個人がいるのか?その人を認める土壌があるのか?ということに行き着く。

禁止事項を減らして、自己責任にシフトしただけで、この辺の課題は解消していく気がする。むしろ、自己責任を伴わずに制度やら、補助などをいくらしても、ほぼ意味がない。

先日、MarketHackのエントリー「企業ばかりが儲かって、賃金が上がらないのはテクノロジーのせい? IT革命の敗者はオフィスワーカーだ」の以下の部分をシェアしたところ反響が大きかった。それも自分たちが置かれている環境について、うすうす気がついているからなんだろうな。

サラリーマンとして「自分の時間を切り売りする」……そしてその代償としてお給料をもらう……こういう古い発想で生き抜こうと思ったら、ディケンズの物語に描かれているような悲惨な人生が待ち受けています。

リスクをとって自ら自分の人生を愉しくしていくのか?それとも安定をとった分スポイルされるのか? これって真実だと思うんだけどなぁ。幸福って自分でリスクを取れることじゃないかな? 


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