前回書いた「価値>価格」の話の続きです。
先月、気仙沼ニッティングのセーターを購入しました。漁業の街である気仙沼(宮城県)で、編みを編む女性たちが手編みで作ったセーターを販売している会社です。
気仙沼ニッティングでご注文いただくということは、
もしかしたら、気仙沼にひとり、
遠い親戚ができるようなことかもしれません。
あなたのために心をこめて、
あたたかいセーターやカーディガンを編んでくれる人がいる。
気仙沼にふらりと遊びに行けば、会いに寄れる人がいる。
その人を通して、気仙沼の季節を感じることができる。
そでがほつれたら、そうしたらいいのか相談できる。
カーディガンを着た写真を送って、
「うれしい」を伝えることもできる…。
そんな人が、東北の気仙沼にひとりできる。
気仙沼ニッティングは、
そのための「お店」になりたいと考えています。
僕が購入したのは「エチュード」というモデルで、価格は7万円強。普通に既成品のセーターと比べたら高いと感じるかもしれません。
しかし、作り手の顔が見える商品で、その人が費やした時間を考えると、7万円ってそれほど高いものでもないし、定番的なアイテムは10年ぐらい着ていたりするので費用対効果も悪くありません。さらに自分の出身地宮城の雇用につながるのであれば…。
さらに、本業が“価値の活かし方”を考える仕事なので、話のネタとしても充分元取れそうw
ということで、僕にとっては
気仙沼ニッティングのセーターの価値=商品の魅力(デザイン・クオリティ・耐用年数)+地元への貢献+話すことでの効用>7万円強という価格
という関係になったわけです。
−−−
商品が届いてから、もう一つ動きがありました。
編み手の名前入り(+似顔絵)で商品が届くと、なぜか「あなたの作った商品は、僕に届いていますよ」とこちらも開示したくなったのです。
気仙沼ニッティングにお手紙を出しました。宮城で育って、東京に出てきている僕の手元に同じような境遇のセーターが届いています、というような内容を。
これってすごいことだなぁ、としみじみと思いました。
お金を出して商品と交換する。これで価値の交換は終わっているはずなのに、こちらが払った分が少ないと感じて、メッセージを書いて送ってしまうとは!
子供の頃に、「日本昔ばなし」に感動して(何に感動したのかは今では覚えていません)、母親にお願いしてお礼の手紙を書いてもらったことがありました。TBSのプロデューサーから丁寧なお返事がきたことを今でも覚えています。
こういうやりとりが起こる仕事は、受け取り側・作り手ともに感情の交換まででき、すごく幸せな気持ちにさせてくれます。
僕にとって「日本昔ばなし」や「気仙沼ニッティングのセーター」は、やさしい気持ちにさせてくれるものになっています。
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