寛容ではない社会では、ルールのほうが幅を利かせている。安全のために…事故がおきないように…心配だから…と、どんどん禁止ルールが増えていく。
管理している側の都合もあり、何かあった時困るから…と禁止事項は増えていく。
最近ホワイトカラーの生産性向上の話やら、創業する人を増やす話やら、働き方の多様性の話などをしていると、すべては自己責任をとって動ける個人がいるのか?その人を認める土壌があるのか?ということに行き着く。
禁止事項を減らして、自己責任にシフトしただけで、この辺の課題は解消していく気がする。むしろ、自己責任を伴わずに制度やら、補助などをいくらしても、ほぼ意味がない。
先日、MarketHackのエントリー「企業ばかりが儲かって、賃金が上がらないのはテクノロジーのせい? IT革命の敗者はオフィスワーカーだ」の以下の部分をシェアしたところ反響が大きかった。それも自分たちが置かれている環境について、うすうす気がついているからなんだろうな。
サラリーマンとして「自分の時間を切り売りする」……そしてその代償としてお給料をもらう……こういう古い発想で生き抜こうと思ったら、ディケンズの物語に描かれているような悲惨な人生が待ち受けています。
リスクをとって自ら自分の人生を愉しくしていくのか?それとも安定をとった分スポイルされるのか? これって真実だと思うんだけどなぁ。幸福って自分でリスクを取れることじゃないかな?
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