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2012/02/13

人間が生存していくために「イケてる・イケてない」の感覚が存在する

写真は梅棹忠夫展で撮影したメッセージ「未来のことをかんがえる場合、いわゆる初期微動に敏感でなければいけません。」

時代によって、「カッコいい」という感覚、「ダサい」と感じるものは移り変わっていきます。環境に適応する種が生き残るといわれているように、この「イケてる」「イケてない」の感覚は、生存するために社会を調整していくための機能なのかもしれません。


今「イケてる」もの
・持たない生活/身軽な生活
・家族や親戚など仕事以外にも貢献する生活
・多様な価値観を理解しながらも、自分の軸を主張できる人
・一つの組織に依存しない自由を持っている人


今「イケてない」もの
・成金もしくは、燃費の悪い金銭感覚で成り立つ生活
・仕事ばかりで、家族や地域をないがしろにする生活
自分の生きてきたルールのヒエラルキーを他人に押しつける人
・給与をもらっている組織に縛られて、自分の気持ちに嘘をつき続けなければならない人


と、書いてみると今「イケてない」ものは、一昔前に「イケてる」とみんなが憬れたものです。そして、今アジアの新興国に行くと、日本で「イケてない」と感じていたものが「イケてる」ものになります。


あくまで上記の分類は、僕の感覚ですが、やはり自分が置かれている環境でこの「イケてる」「イケてない」の感覚は作られてくると思います。


経済成長が続く環境に置かれれば、その中で最適化するように自分の感覚がスイッチします。そして、今のように先行きが不透明なままだと思えば、生き残るために、節制することが「イケてる」というふうにして適応していきます。


上で書いた分類は、ロスジェネ世代の僕の感覚ですが、下の世代も同じような感覚を持つでしょうし、上の世代になればなるほど異なってくると思います。それと、環境には個人差もありますから、世代論だけでは語れない部分が出てきます。


この美的感覚が、社会を変えていく原動力になっているように思えてなりません。そういう意味では、ファッションやデザインなどの「イケてる」という方向性が未来を示唆してくれています。


パタゴニアがブラックフライデーにやった「Don't buy this jacket」キャンペーンもイケてる感覚の支持者だし、地元を盛り上げるためにデザイナーやアーティストが仕掛け(大学時代からの友人で、一緒によくチーム組んでいるデザイン事務所)ているのもイケてる感覚の実践者だと思っています。


これで、やっと上の写真の梅棹先生の言葉「未来のことをかんがえる場合、いわゆる初期微動に敏感でなければいけません。」に繋がりました。


みなさん、いかがでしょう?



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