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2011/05/23

個人の消費、投資にも「思想」が求められる時代。


企業にも個人にも「生き方の思想」が問われています。
つまり、自分が「どちら側」につくのかの判断が、一つ一つの行動に求められてきます。

例えば、
環境と共生する側なのか、略奪する側なのか?
価値を生み出す側なのか、誰かが作り出した価値を搾取する側なのか?
世の中に対して価値を増す活動をやっているのか? それとも誰かの価値を不当に利用しているだけなのか?

個人でも企業でも、「どちら側」にいるのかを意識する必要は大きいはずです。

なんで、急にこんなお説教くさいことを考え始めてしまったかというと、資本主義社会で行われる自由競争って、本来はすごく優れたシステムだと再認識したからです。
自由競争は、「生活者に支持された企業が結局は生き残る」という仕組みだからです。

ただ、そのために必要になるのが「個人」「企業」の両者が「思想」を持って行動していることが必須になっていきます。

そして、企業の本音が見える環境はすでに整いつつあります。「どちら側」の企業なのか、生活者は、気が付いて取捨選択できるはずです。


どんどん企業の活動が透明になっていくということは、「どちら側」の企業なのかという本音が見えてしまうということ。ここまでは、いままでもさんざんソーシャルメディア社会について語られてきました。

次に来るのは、個人もどんな行動をしているのか、本音が見えてくるということ。個人の活動にも思想が求められていきます。投資家もいままでは、匿名性が高かったのが、どんな思想をもった活動しているのかが求められてくるようになるでしょう。

結局、「資本主義社会×自由競争」が素晴らしく機能するために足りなかったのは、この投資家も個人も含めた「透明性」でしょう。

そう考えると、投資家として、お金というパワーをどう自分の信じる思想のために有効活用するかという教育も必要になりだろうし、選挙権も自分という商品をどう有効に使うかの考え方・活かし方も教える必要があります。

「会社で働いて、お金を得る」ために最適な人間教育から
「自分の信じる思想のために、社会活動を行う」ために必要な教育が決定的に足りてないんだろうなぁ。

孫さんの「太陽光発電所を建設」のニュースとか、ものすごくこのことを教育する面白い題材だと思うんですよね。


僕が「何かに依存しない」というスタンスが好きなのも、上記のような判断が、自分の意志通りにできることを重視しているからなんだろうなぁ。何かに依存していれば、どうしても曲がった判断をしなくちゃいけない時があるから。



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