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2015/01/23

モノを買わなくなっても、時間は消費させられている。


2015年になってから、子供の病気、嫁の肺炎、子供のインフル…と、次から次と襲ってきたお陰で、ネットやマスメディアなどのあらゆる情報洪水から離れる生活を送っていました。(正確に言うと、今なお継続中…)

時間的な問題や自由になれないもどかしさはたくさんありましたが、情報が取りづらくなったことに関しては、正直、まったく困りませんでした。もちろんメールのレスが遅くなったりなどでご迷惑をお掛けした方もいるとは思いますが。

気をつけていても、知らず知らずのうちにたくさんの情報を消費する習慣がついてしまっているのかを思い知りました。いわば、移動中の空き時間に…ソファに座りながら…という後継姿勢的な情報インプットは、まさに消費ですね。


時間がなくなることでインプットすること=自ら必要と思って前傾姿勢になって探すことに限定されました。こちらは、仕事上の必要に迫られて、手が家事などで動いていても頭の中で考えていたり、組み立てていたりするので、その上で必要な情報を探しに動いた結果の情報収集です。

家庭的な状況で、時間に制約が生まれることで、情報との距離感の見直すきっかけになりました。

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受動的に出会う情報のほとんどはノイズ。

テレビから流れてくるニュースのうち本当に必要な情報ってなんでしょうか? 情報番組といわれるもののうち本当に必要な情報ってなんでしょうか? タイムラインを眺めている中で得られる有用な情報ってなんでしょうか?

すでにメディアの作り手が平均的な読者を想定できない今、受動的に得られる“みんな向け”の情報は「知らないよりは、知っていたほうがいい」というレベルのものかもしれません。

「知らないより知っていたほうがいい」ものに時間を奪われているぐらいなら、「自分が知りたいこと」や「自分が実践できる、自分に関係する情報」と出会うのに時間を使いたいと気がつくはずです。

ノイズ情報をたくさん入れていないと不安になるのは、モノを買うことをさせづらくなった現代でもいまだに有効な消費のさせ方なんだなぁ、と。お金を払わなくても、時間を消費させるというのがすごく機能している社会だよなぁ、と。

無料の情報って、無料なのではなくその分時間を売り渡し、下手すると自分の将来の選択も売り渡している(住宅・保険とか多くのマーケティングはここですよね)ことがあるので注意が必要です。

自分が何をやりたいかわからないとか、やりたいことがないって言う人の多くはこの情報を受動的に消費するのに毒されているから起こっていることとも言えます。自分の頭で考えるのってパワーがかかるから、つい楽なほうに流れちゃうものです。


上記はすごく当たり前の社会の仕組みですが、今回のように情報収集に宛てられる時間が極端に減った環境に追いやられることで、また見直すことになりました。自分の頭で考えるめんどくささから逃れちゃいけません。

というか、今年はこんなことにならないように家族健康で暮らしたいなぁ。今年本厄の筆者よりw



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