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2014/09/26

コンパクトシティ化のキモは、効率じゃなく混沌化。



前回のエントリーで、「日本はモノカルチャーで構成された空間が圧倒的に多い」という投稿をしたところ、いろいろな反応をいただきました。

もうちょっと考えてみると、 ビジネスマンはビジネスマン、子供は子供、高齢者は高齢者…と分けて空間設計・都市の機能設計になっているのは、日本の社会システムが"効率化"を目指すことがコンセプトになっているからだと言えます。

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現在人口減少局面において、"コンパクトシティ"というコンセプトが提唱されています。

例えば、国土交通省の「集約都市(コンパクトシティ)形成支援事業」に関しては以下のように書かれています。


都市機能の近接化による歩いて暮らせる集約型まちづくりの実現に向け、拡散した都市機能を集約させ、生活圏の再構築を進めていくため、医療施設、社会福祉施設、教育文化施設等の都市のコアとなる施設の集約地域への移転や、移転跡地の都市的土地利用からの転換を促進する支援制度 (引用先:http://www.mlit.go.jp/toshi/toshi_machi_tk_000054.html


また、セットで語られているのが「低炭素まちづくり」や「グリーンシティ」と言われるものです。コンパクトシティ化することで、歩くことの促進、公共交通機関利用などメリットを謳うのは大賛成です。

とはいえ、コンパクトシティという次の社会システムのビジョンが、またもや「効率化」という側面だけで語られています。それは、本当に我々が住み働きたい都市なのでしょうか?

社会が効率化を求めて、同じカテゴリーの人ばかりだけと時間を過ごす社会設計から、都市がコンパクト化することで、大人も子供も高齢者も、アーティストもビジネスマンも混ざって混沌とする中から、新しいものが生まれるのが、本当のメリットです。

新しいシステムを導入するときに、既存の人たちに導入してもらいやすくするために「効率化」というわかりやすい切り口で進める戦術なら、もちろん賛成です。

しかしながら、コンパクトシティ化して起きたことが、またもやすべて「効率化を目指して、各属性の人達が固まって過ごす都市」になってしまうことを危惧しています。

コンパクト化することで、混じって混沌とする中から、新しいサービスや新しい産業が生まれる方が、古くて新しい次の社会のあり方だと思うから。



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