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2010/07/23

「笑っていいとも」に学ぶ、ソーシャルグラフの面白さを殺すやってはいけないこと



「笑っていいとも」は、ソーシャルグラフの面白さにいち早く注目して企画された番組だったんだ!ということに、時代がやっと追いついたおかげで気がつきました。

「笑っていいとも」のソーシャルグラフとは「テレホンショッキング」における有名人の交友関係の可視化であり、関係性が感じられることが面白さだと目を付けた先見性です。

意外な交友関係。上下関係や友達関係の近さ。カレンダーボードに貼られたときに「AさんとBさんはCさんを通してつながっているんだ!」と発見できること。すべて今ではソーシャルメディアで僕らが夢中になっていることが盛り込まれています。

さらに、まるでバナーのような「ポスター」。当然ゲストがもってきて貼るため、コンテンツマッチ広告となっています。また、芸能人をサポートしている人を感じさせる「お花」。事務所や近々やった仕事の関係者が送っているので有料広告枠です。名前を呼んでもらえるかもしれないし、スルーされるかもしれないけど。

そうそう。もう一つ重要なことが、「笑っていいとも」は28年間ずっと生放送です。リアルタイムで観客を入れてやっているのです。観客の反応で、ゲストとコミュニケーションが生まれる。まるでメインの番組に対してタイムラインが流れていて、そのタイムラインを見ながら反応を変えることができるUstreamの醍醐味が行われているのです!



と、ここまで「笑っていいとも」企画の先見性を絶賛してきましたが、一方でこんなにすばらしいプラットフォームでも、商業的側面を意識しすぎたがために、台無しになってしまった部分もあります。

ソーシャルグラフの面白さを殺すやってはいけないことを「笑っていいとも」を反面教師として学ぶことができます。

そう、「テレホンショッキング」の面白さはソーシャルグラフが見えることです。
しかし、いつの頃からか番組の宣伝(特にドラマや映画)のために「共演者」つながりでのブッキングが起こり始めました。

これが、ソーシャルメディアの面白さを殺すやってはいけないことです。

そりゃあ、共演者は当然知り合いです。でも、見ている側からは宣伝です。宣伝のためのソーシャルグラフは見たくないのです。「お金を払ったらこの著名人の知り合いになれますよ」ということをやってしまったら、そのソーシャルグラフの価値は一気に落ちます。

また、マスメディア自体を俯瞰すると、この時期に宣伝したい番組があるので、露出をこの時期に強めようという意図も見えます。

「テレホンショッキング」だけではなく、映画やドラマの番宣のために各種番組に出まくるのです。そのため、その芸能人自体に宣伝のために出ているという文脈がつくため、広告枠としてしか見えなくなってしまうのです。結果的に、番組というメディア自体の価値や発信内容の信頼感を落とすことにつながってしまいます。


今多くの人がソーシャルメディアで「どうマネタイズするんだっけ?」ということを考えていると思いますので、やってはいけないことを学ぶために「笑っていいとも」でも見ながら、過度なマネタイズ思考を正す材料にしましょうね。



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2010/07/12

次の通貨が「信頼」になれば、起業する人が増える社会が到来する!?

先日、ふと以下のようにtwitterで考えていることをはき出してみました。いろいろと反応をいただきながら、自分の考えをまとめるきっかけになったので、御礼にみなさんにもシェアします。(これも「受け取ったもの」を「自分が返せるカタチで社会に還元する」方法かも?)


次の通貨が「信頼」になるまでの流れを考えてみようかな、とふと思った。顔が見える社会になれば、信頼を通貨にする仕組みが自然と生まれる気がする。まだ、うまく言えないけど。less than a minute ago via Echofon





そうなんです。まだ、うまく言えないけど繋がる気がするときってありますよね?そこに以下の反応をいただきました。


@atobeck ツイッターのリストが、通貨にもなりえるんですよねー。もともと、信頼性の担保のために人はいろんなものを発明してきたと、会社、お金........less than a minute ago via web





そうなんです。信頼性の担保のために、法人であれば決算書。個人であれば確定申告or源泉徴収のレコード。キャッシュや不動産、有価証券などもお金という数値化できる「ものさし」に置き換えられるので「信頼」として使われてきました。そうそう、これはすべて信頼性の担保のためですよね。


そうですよね。一方で田舎に帰ると実感する非貨幣経済に未来のヒントがある気がしてます。RT @sayuritamaki: @atobeck ツイッターのリストが、通貨にもなりえるんですよねー。もともと、信頼性の担保のために人はいろんなものを発明してきたと、会社、お金........less than a minute ago via Echofon




実は豊かだと考えているのが、田舎に帰ったときに行われている「物々交換」や「労働を対価にする」ような非貨幣経済です。この非貨幣経済の存在を忘れて、都会と田舎もすべてひっくるめて平均年収とか可処分所得とか出してもまったく意味がないと思っています。


.@atobeck そうなんですよ、私畑仕事手伝うから、そのかわり野菜ちょうだいねーの世界ですよね。ソーシャルメディア使えばお金ぜんぜんなくても生きていけるんですよ。less than a minute ago via web




実は、この「非貨幣経済」に「信頼」が通貨になる社会のヒントがある気がしています。いままでは、数値化しやすいものだけがお金として信頼の尺度にしてきました。上にも書きましたが、現金、有価証券、不動産などです。銀行が評価するものはすべてお金に置き換えられるものです。結局、技術などについても評価するといいながらも、できないのは金額に換算するところに無理があるのかもしれません。


そのとおりなのですよ〜。そして気持ちいいし、そこに再び戻る気がするので。RT @sayuritamaki: .@atobeck そうなんですよ、私畑仕事手伝うから、そのかわり野菜ちょうだいねーの世界ですよね。ソーシャルメディア使えばお金ぜんぜんなくても生きていけるんですよ。less than a minute ago via Echofon



1対多、もしくは不特定多数との取引のときには、一度共通の物差しで評価する必要があるので、現在のお金換算での仕組みが必要になっているのはよくわかります。しかし、ソーシャルメディア時代になり、一番に変わってくるのは「1対1」の取引がどんどん成立してくることです。貨幣って1対多の取引を行うために産まれたんですよね? 相対取引ができる相手を見つけるプラットフォームがあれば、貨幣の役割も変わって来る気がしています。


トフラーのプロシューマの概念に近いのかな? RT @atobeck: 気持ちいいし、そこに再び戻る気がするので。RT @sayuritamaki: .@atobeck 私畑仕事手伝うから、そのかわり野菜ちょうだいねーの世界ですよね。ソーシャルメディア使えばless than a minute ago via HootSuite





アルビン・トフラーが『第三の波』で提示した「プロシューマー」の概念はまさしくピッタリだと思います。そして、プロシューマーになるということは、現代のマスプロダクト・マスサービスの会社に勤めて、顔の見えない役割を担うという生活から離れる人が増えてくるのではないか?と考えています。つまり、信頼をベースに相対取引が成立するようになれば、Independentな生き方を選択する人が自然に増える気がしています。このことが、自分が最初に直感した「顔の見える社会」と「信頼が通貨になる仕組み」との関連性なのかもしれません。


ちょっと話はそれますが、起業する人が少ない原因は、小さい頃に「雇われずに食っている親戚や大人を見る機会」がないからだと思います。プロシューマーが増えるということは、小さい頃から「雇われるずに食べている大人」を見ることになります。正直、自分がそうでした。親も含めて親戚はみんな自営業だったので、何かを提供して、その対価としてお金をもらうということに慣れ親しんで育ちました。そして、お客さんとのやりとりも「こびへつらう」ものではなく、友達関係のように対等なものなんだということも感じていました。



そして透明性の時代、ですよね。企業同様、個人も隠し事が出来ない時代になると思います。“@atobeck: 次の通貨が「信頼」になるまでの流れを考えてみようかな、とふと思った。顔が見える社会になれば、信頼を通貨にする仕組みが自然と生まれる気がする。まだ、うまく言えないけど。”less than a minute ago via Twitter for iPhone




いい商品を作る。いいサービスを提供する。そのことで「人への信頼」が記録されていく。それを相対取引を行う市場を通して透明化されていく。結果的に「信頼」が商品価値に反映されていく。従来も独立して成功している人や、商売を長く続けている人は、実際「信頼」を積み重ねてきた人です。だから、また仕事が戻ってくるし、お客さんが戻ってくる。しかし、それが可視化されていなかったから、その世界を経験したことがない人にとっては、起業することに恐怖感があったのだと思います。しかし、透明化されて法則が外からも見えることで、ハードルを低くすることができそうな気がしてきました。そんな社会がすでに始まってきているのかもしれません。


ちょっとした僕の独り言から、思った以上に深い意見交換となってしまいました。
なんだか、まだうまくまとまっていませんが、ひとまず何か考えるきっかけになれば。。。



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2010/07/11

【Idea source】写真メモからの気付き。

ここのところ、気になって保存した写真メモから。

■下北沢の縁側を活用した飲み屋
気軽な立ち飲みや、オープンカフェ的なものが随分と定着してきましたが、あらためて今見ると「縁側」って素敵な空間ですよね。とても惹かれます。誰と誰が一緒に飲んでいるかが見えるのみいいですね。socialmediaのよう。立ち飲みやオープンカフェとの一番の違いは「靴を脱いでくつろげる」ってことかな。この力の抜けた雰囲気が今みんなが欲しがっているものだと思うんですよね。





■JR渋谷駅のウィークエンドパス広告
ここまでシンプルだと、目をひきますよね。引き算の美学とかじゃなくて、こんなお金のかかるスペースに(まあ自社広ですがw)ここまで雑な広告を出すか!という驚きですよね。しかし、ウィークエンドパスの内容はまったくわかりませんが。せっかくだったら印刷じゃなくて、本当に手書きで一枚づつ書いてあって欲しかったですね。カタカナだから、アンマッチ感がいいんだろうね。








■従来のブランディング広告は、もう終わり?
この牛乳石鹸の広告ですが、梅田で見つけたものです。いままでだったら、「ブランディング広告なのね。いまだにお中元タイミングに大丸とかの近くにこうやって出広しておくのね。」というふうに流していたと思います。しかし、なぜか猛烈な違和感を覚えました。

昨今のソーシャルメディアを活用したエンゲージメント広告をたくさん見ているからだと思います。なぜ、こんなところで誰か見てくれるのを待っているの?どうして、自分から絡みにいかないの?絡みに行かないと、だれも覚えてくれないよ。この情報が溢れる世の中で。。。






まあ、こんなこと書いて何になるかわかりませんが、意外とこういう気付きや違和感がのちのち自分のアイデアソースになるのですよ。気がついたり、違和感を感じたら、迷わず撮影しておきましょう。iPhoneのカメラには本当に重宝してます。


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2010/07/05

糸井重里さんに学ぶ「そもそも」を思考する方法

糸井重里さんの尊敬すべき点は「そもそも」をきちんと見つめて、それを突き詰めて言葉にすることではないでしょうか?
ほぼ日を読んでいても、twitterを読んでいてもその片鱗が感じられて、いちいち「深いなぁ」と感嘆しながら、何度も読み直し反芻してしまいます。

たとえば、先日のほぼ日に出ていた糸井さんが「積ん読」について考えた文章を読んでみてください。

知っておきたいと思うことがあると、
つい本を買ってしまって、
本を買ってしまったのに読む時間がとれないと、
そのままいわゆる「積ん読」として溜まっていきます。
これでいいのか、と思いはするものの、
何十年、そのことを考えてきたのに
なかなかいい方法が考えついていませんでした。

そこに、「電子書籍化」なんて潮流がきて、
あたかも「本がうまく整理できる」ような気になる人も、
いっぱいいるようですが、ぼくは、待てよと考える。

部屋を本棚を埋め尽くすような本を、
「限りなく小さい空間に閉じこめる」
のが電子化だとすれば、本は少しも減ってないのです。
場所はとらない、軽々と運べる....それはわかる。
だけど、買った本があり、
読んでない本が蓄積されていくという現実は、
なんにも変わっちゃいねぇぜ、なのです。

「知っておきたいと思う」こころとは、なにか?
「いちおうおさえておきたい知識」って、なんだ?
「知らないと恥ずかしいかもしれないこと」とは?
「読んだらおもしろいらしい物語」って、なに?
すべて、それまで無くても済んでいたものなのです。
そんなに多くの本が、ほんとうに要るのか。
その知識は「必須アミノ酸」みたいなものなのか。
ひょっとしたら、あなたの家で
積ん読状態になっている大量の本とは、
飲みかけで飽きてやめてしまった
サプリメントのボトルではないのか?
飲んでなくてもまったく「お変わり御座居ません」の。

誰に脅かされて、ぼくらは本を買うのか?
誰でもない、じぶん自身が、
「読むだけで向上するじぶん」に期待するからだ。
それは、果たして、いつまでも治らない病ではないのか?

....以上のようなことを、何年も何年も考え、
すっかりわかったつもりでいるのに、まだ本を買う俺よ。
今日も言おう、ここでも言おう「おれのばか」。

「積ん読」が起こる構造を、飲みかけになっているサプリメントのボトルと同じと発見し、その理由は「読むだけで向上するじぶん」に期待するから、と一言で説明しています。
だから、電子書籍になろうが「積ん読」はなくならいということです。

ここには、「そもそも」なぜ起こっているかの構造を「深層心理」との関係で捉えることで新しいものや技術によって、影響されるものと変わらないものを見抜く技術が詰められています。

上の文章から、私が抽出した糸井さんの思考方法は以下の流れです。
空気読み企画術」も同じような考え方を紹介しましたが、「人間の気持ちを優先する」ということがポイントだと思っています。


1:題材は、普段の生活の中、身の周りで起こったことで引っかかったことで考え始める
2:常に「自分がどう感じたのか?」を自分に問う
3:「自分が感じたことは、他の人にとっても当てはまるのか?」を自分に問う
4:その仮説が、世の中で言われていることと矛盾するのであれば、どちらが正しいのかを考えてみる
5:似たような状態になっている「他の物」=メタファーを見つける
6:メタファーとして選んだ物が、なぜそうなっているのか?「人間の気持ち」との関係を考えてみる
7:結論として、「そもそもの問い」の答えを「深層心理」として一言にまとめる


世の中の構造や経済状況など、難しい数式で説明することができるのかもしれませんが、世の中は「人間の気持ち」が創っていると信じています。

そこには「なんとなく嫌だなぁ」とか「めんどくさいなあ。楽したいなぁ」とか「こっちのほうがいいなぁ」とか「できれば怖い目にあいたくないし、安心なほうを選びたいなぁ」などの気持ちのほうが数倍影響しているはずです。



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