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2013/08/26

盲信するな、自己責任だよ人生は。


友人の宮嶋みぎわさんのblogにあった以下のセンテンスは、最近ずっと感じていたモヤモヤと繋がっていて、すっきりしました。

「自分で考えられるようになりなさい、そのための手伝いはなんだってするから」っていう先生を信用してほしい。「とにかく考えなくていいから、私が言う通りにやりなさい」っていう人は頼むから信頼しないでほしい。その人を信頼してしまうと、脳の筋力が落ちるから。(via.みぎわ的曲書き日記:若い方へ。

自分の経験上、何か新しいことを始めるときに、自分から飛び込んで、その中で学ぶことは本当に血肉になる。どんなに大変だろうと、必死になんとかしようとするから多くのことを学べるのだと思う。

一方で「○○さんが言っていたから」と盲信して始めた場合には、どこかでうまくいかなかっときに「○○さんの言ったとおりにやったのに・・・」という逃げ道が準備されている。そういった場合には、必死にもがいたり、工夫をしたりしない。

結局、人生なんて自己責任だと思う。
自由で他の人と違ったことやりたいなら、そのために犠牲を払えばいい。自由であるために、人の倍努力すればいいんだよ。誰のせいでもなく、自分のせいだから。

自分で自分を養う人生を歩んでいる人は、「自己責任」ということの厳しさと楽しさの両面を知っている。自分で決済して進めることのできる楽しさの裏返しは、自分のケツは自分で拭くという当たり前の厳しさが存在する。

自己責任で判断して、自分でケツが拭けるように、「自分の頭でちゃんと考える」訓練は若いうちからやったほうがいい。

上記の文脈で、危うい目に遭おうが、自分で選択して生きることを小さい頃から許してくれた親には感謝しています。



蛇足的に。。。自己責任で選択することを学ぶためにも、投資教育というかファイナンシャルスキルを高める教育がいいんじゃないかと思っています。ハイリスクハイリターン、ローリスクローリターンということもよくわからずに金融商品で騙される被害報告を聞くたびに、規制して取り締まるのではなく、ファイナンシャル的な勉強をしてこなかったからだよ・・・と、考えてしまいます。ちなみに、そういう僕はミドルリスク・ミドルリターンの自分が寄与することで、リターンも高まるような性質のものが好きです。自分の生き方や働き方の選択肢と同じ考えですよねw


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2013/08/20

日々の環境も「旅人」のように、今ここを意識しよう。


大阪の友人が、東京に3週間の”家族留学”に来ています。(さらには主催イベントまで開催してる!)その様子を見ていると、この限られた時間に多くの人に会い、子どもと東京で体験できるアトラクションを満喫し、多くの街を体感しながら、住み心地を観察し・・・本当に貪欲に楽しんでいるようです。

そう。僕らが普段住んでいる場所だって、旅行者や一時滞在者にとってみれば、見るべきもの、会うべき人が溢れている魅力的なロケーションです。

地方出身の私にとって東京は、情報にしてもイベントにしても溢れているうらやましいロケーションだったはずです。羨ましいなんて生半可なものじゃなく、大きな飢餓感を持っていました。「ああ、東京に居たら、あれもこれも行くのになぁ」と。

それが、東京在住も15年以上が経ち、その飢餓感をすっかり忘れてしまっている自分がいることに、気がつきました。

旅行先の注目のスポットは訪れたことがあるのに、自分が住んでいる都市は、いつでも行けるからこそ、観光で来た人よりも知らない場所がたくさんある。。。

海外の都市に行ったら、会いたい人には「この機会に会ってもらえませんか?」と言えるのに、いつも住んでいる場所では、逆に先延ばしして会いに行かない。。。

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人間にとって、この一度手にいれた環境や、一見お尻が決まっていない時間に関して「緩く」なる感覚は、共通のものなのでしょう。

だからこそ、以下の2つのアプローチが必要になります。

1:定期的に自分を好奇心が出る環境=いつもと違う環境を求めて、旅行することで新しいものを吸収する。

2:自分のいる環境を「旅行者」として訪れたとしたら、何をするのか?を自分に問い、時間は有限だということを痛感しながら切迫感を持って行動する。

今まで、自分は1ばかりを求めて動いていたように思いますが、ちょうど子どもが産まれて今までより長距離移動のフットワークが望めなくなったので、その分2のフットワークを意識していかなくちゃ。

いや、違うな。やっぱり1も2も「有限」な人生を意識しながら、貪欲に生きよう。そんな教訓を大阪の友人からもらえました。やばいやばい。好奇心に貪欲に生きなくちゃ。


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2013/08/06

実行しないことを学んでいても無駄じゃない?


実行することで学ぶこと、それにまさる学びはない。というか、本当に言いたいのは「実行しないことを、いくら学んでいても無駄じゃない?」ということだ。

もちろん教養的な分野や基礎学力、歴史について学んでおくことはすごく重要なことで、実はリターンがものすごく大きな分野。僕が言いたいのは、情報オタク・ニュースオタクに対して

今朝読んだ仲間の言葉がまさにこのことを代弁してくれている。
これはじぶんひとりでビジネスをしてきたぼくの体験だけど、
時間と思考をじぶんで支配できないとけっきょく上手くいかない。
合ってる間違ってるは別にしてじぶんのプランを思ったタイミングで実践できないと、結果にたいしていろいろ悔いが残ることになってしまう。
だから何か始めるときみんなから意見を聞きすぎるのもよくない。
勉強しすぎるのもよくない。と個人的におもう。
ひとつのプランに時間をかけすぎると「想定」っていうのがどんどん変わる。
2年前に頑張った情報収集がもうさほど価値がないのだから。

熱心に勉強するひとをみると、そのプランは「いつやる」ものか? ぼくは聞くのだけど、行動計画がセットになっていないひととは時間の進み方がちがうので、話が合わなくなる。 via.所長サンの哲学的投資生活 
余裕があれば、いろいろなことを学ぶのは悪いことじゃない。しかし、その分野でビジネスを行ったり、食ったりしていくための学びは、実践し体験することで得たことじゃないともはや通用しない

■一番価値のある学び方は、“実戦経験”


僕だって同じだ。今取り組んでいるプロジェクトは過去の経験をベースに、半分は新しい分野に突っ込みながら新しい能力を獲得できるように努めている。

個人的な具体例をあげるとイメージしてもらいやすかもしれない。

とある区の再開発に連動してやっているプロジェクトでは、「アクション型メディアとマネタイズ」の経験は自分にあるが、「行政と一緒にタウンマネジメント団体をベースに街を舞台に行う」部分はチャレンジ領域。

他のプロジェクトでは、「メディアや商品をプロデュースしたり、コンセプトを作る」経験はあるが、「工業製品・プロダクトの製造まで調査し実践する」部分は新しいチャレンジ領域だったりする。

やったことない部分が出てくるから、必死に調べ学びながら形にしていっている。形にすることで、次の出来事が起こりトライ&エラーを重ねている

これが、今一番身につく学び方なんだと思う。そして、インディペンデントとして働く人にとっては、こうして新しい技能・経験を積んでいかないとコモディティ化してしまう。

こう書くと暗い話にきこえるかもしれないが、そうじゃない。新しい知識・技能をトライ&エラーの実践経験を通して獲得していくことは、自分RPGとして結構楽しい!


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