グローバル サイトタグ(gtag.js)

2012/05/29

自分のダメな部分を見せたほうが得な時代


Nishikokun(Koenji fes 2011)
Nishikokun(Koenji fes 2011) / kanegen


「他人のあら探し」が、今の日本の共通の話題になっているようです。生活保護受給問題にしても、studygift議論にしても、国会の事故調でも、多くはその制度上の問題点や、仕組みとしての改善点への議論ではなく、「個人」の資質や個人のネガティブネタで盛り上がっているように思えます。

もともと有名人や著名人のゴシップ記事や、不祥事ネタは、古来から多くの人の興味を惹くキラーコンテンツでした。記事にするということは、不特定多数の人に見てもらうことが必要になるので、有名人や著名人が対称となります。

しかし、自分の周りにいる知り合いのゴシップネタや不祥事ネタ、不幸ネタだって、同じように興味をくすぐられるのです。人間には、他人の表に出していないこと、出したくないことに興味を抱くという性質があるとしか思えません。

今では、SNSによって有名人や著名人ではなくても、自分の行動がさらされる状況にあります。取り繕って、自分のマイナス部分を隠して、自分をより大きく素晴らしいものに見せる演出をしたって、すぐにメッキは剥がれる環境にあります。
だったら、自分のダメな部分、どうしようもない部分を「愛嬌」として公開していったほうが効果的です。完璧に見せようとすればするほど、あら探しにさらされます。最初から自分のあらを公開することで、「あいつだから仕方ないよね。でも、こういういいところもあるよね」と周りから支えられる人でありたいですよね。

まさしく、今人気の「ゆるキャラ」のように生きる。どこから切っても完璧な優等生キャラでやっていると、完璧を求められます。

ゆるキャラが人気なのは、ダメな部分や突っ込みどころがたくさんありつつも、自分と関係する部分では迷惑もかけないし、活躍してくれるからでしょう。そして、そんなゆるキャラが人気になっても、誰もひがんだり妬んだりしません。
ダメな部分を人間的な愛嬌にしながら、自分の価値を提供する部分では真摯に頑張る。ますます、それしかないんだろうなぁという気がしてきました。






にほんブログ村 経営ブログ 広告・マーケティングへ