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2011/06/27
校則が厳しい学校も、ルールでガチガチの会社も、規制の厳しい国も、悪いのは自分たちなのかもしれない。
高校のときに、私服で校則がゆるい学校に行きたくて、進学校を受験しました。こういっちゃなんですが、あの頃偏差値が低くなればなるほど、校則が厳しく、生徒が理不尽な扱いを受ける構造になっているように感じたからです。
会社に入るときにも、同じようなものを感じました。大学のときにリクルートでバイトしていたおかげで、いろいろな会社の人事に原稿チェックに行きました。某企業に行ったら、ちょうど三時で「ラジオ体操を全員でやっているから待ってて・・・」と言われて、すごく嫌な気持ちになった記憶があります。
記憶なので、間違っているかもしれないのですが、そのせいで三時アポなのにラジオ体操が終わるのを待たされた記憶と・・・意味もなく全員が同じ動きを社会人でもやらせていることへのすごい嫌悪感でクラクラしました。さらに、女性の制服がある会社は、こういうルールが多いという共通点を感じました。
当初はなんらかの目的があってはじまったことが、いつのまにかそのルールを守ることが目的になってしまう。来客が来てもラジオ体操を優先してしまう。。。制服を設定することで、ルールを守らせるのも容易になるのかもしれません。
そういった組織に共通しているのは、個人が自分の頭で考えなくなってしまうということです。既にあるルールをなぞることが目的になって、必要なものなのか、別のやり方をしたほうがいいのでは?ということを考えなくなってしまうことです。不思議なことに、ルールがあるから考えなくなるのではなく、考えたくないからルールや制服などを好んでいるのです。
ふと、日本という国にも重なるなぁと思いました。ルールを守ることが目的になり、別のやり方や止めた方がいいということを言わなくなる。それは偏差値の低い高校や、制服がありルールがガチガチの会社と一緒です。そして、国民も変わりたくないから、考えたくないから、自分でやり方や選択肢を考えろと言われたくないから、ルールや窮屈な社会システムを望んでいる人がたくさんいるから、今の社会システムになっているのかもしれない。
やはり、社会システムのせいにするのではなく、僕ら自身が変わって行かなくちゃ、現状のおかしいことにおかしいと言っていかないとダメなんだろうなぁ。湯川さんが書いたTechwaveミッションの熱い草稿を読んだら、すっかり伝染しました。がんばろう!
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