台風が来るたびに、自分のスケジュールを自分でコントロールする「自由と責任」について考えてしまいます。
以前、台風が来ることが確実にわかっているのに出社して帰宅困難に陥る不思議さについてエントリーを書いたことがありました。昨夜の台風で再び認識させられた「リスクを取ったジャッジができない」日本の空気
起こってしまったことを全力で以前の形に戻すことは迅速に機能するし、素晴らしい復旧作業が行われます。 昨夜も倒れた木を撤収して、道路を通れるようにしたり、線路を元通りにして早く復旧できるために多くの人が各持ち場で素晴らしい仕事をしていたと思います。本当に頭が下がります。
しかし、なぜか、未然に防いだりするための判断を行うことは苦手なようです。台風が直撃する日に、自宅待機という判断もあり得たと思いますし、逆に出勤したからには中途半端な時間ではなく台風が行き過ぎてから帰宅するような指示を出すという判断もあると思います。もしくは、そんなことは会社に頼らずに、自分個人の判断として、情報を集めて自己責任でジャッジすべきですよね。
さて、本題です。 前者と後者の大きな違いは、「起こってしまったことを全力で以前の形に戻すこと」が、「元通りにすばやく戻す」ということのために、合意形成がしやすいのに対して、「未然に防ぐための判断」は「もしも起きなかったら?」などとケチが付き、合意形成が行われづらいことです。
正直、日本のこの倦怠感というか気持ち悪さは、この「もしも?」という不確実性が高いことについて、合意形成ができない空気が蔓延していることのように思います。
自分で未来のことに関して、予防策を取ることも無視することも、自分で100%責任を負うからこそできることです。この「自由と責任」を放棄してしまっている人が多いように思います。
そして、合意形成ができないことを「自分の責任で」とリスクをとって判断する人が少ないことからきています。 リスクとって決めて実践するってことは、この「未然に防ぐための判断」を行うときと同じ行動です。情報を集めようと思えばいくらでも集められます。でも、最後は「えいや!」で人がジャッジを下すしかないんですよね。
会社や組織に「帰宅するかどうか」の判断を委ねていながら、その判断のせいで混乱に巻き込まれると文句を言う人達。消費者意識が変に高く、自分の判断で購入したものなのに、過剰なサービスを求めクレームをつけまくっているモンスター消費者。行政にも教育にも、自分たちがなんら参加していないのに、完璧さばかりを求める人達…。すべて同じ所でつながっています。
「自由と責任」を放棄しておきながら、文句だけ言う人達を「カッコ悪い」と大声で言える社会に僕は住んでいたい。文句言っている暇があったら、自分たちで未然に防ぐ努力や改善策を出して動ける大人たち側にいたい。
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