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2012/10/23

未来に不安を感じる人ほど「教養」を学んだほうがいい。


自分の「視点」を鍛える、コミュニケーション能力を高めることは、実用的な自己投資だ。


同じ対象物を見ても、文脈の情報を持っている人と持っていない人では見えてくるものが違ってくる。それによって、戦いに勝つ者が現れたり、新しい商売を始める人がいた。話がうまい人が周囲を巻き込み多くの仲間を作ることができた。

だから、昔から人間は自分に投資するときに「教養」、リベラル・アーツを学んだ。「教養」は視点を鍛える・コミュニケーション能力を高めるための実用的な学問だったからではないだろうか。


同じ絵を鑑賞しても、見えてくる情報量が変わってくる。同じ音楽を聴いても、得られる情報量が変わってくる。同じ文学作品を読んでも、違う意味が読み取れる。「教養」によって得られる視点が「文脈」で、文脈を読み取れる能力がある人が、素晴らしい人格者と尊敬されてきた。

文脈を理解することで、自分の置かれている環境を正しく把握できる。全体の流れの中で自分がやること・やりたいことをどう訴求していけばいいのか、どう協力者を得ていけばいいかを掴むことができる。今で言えば、コミュニケーション能力と定義されるものが、「教養」を学ぶことで手に入れられる。



”今”必要とされているものを身につけたいのであれば、“今”稼げる技術や“今”重宝される技能を学ぶほうが手っ取り早い。しかし、昔から「教養」が尊重されてきたのは、時代が変わっても、流行が変わっても必要とされる普遍的な自己投資が必要だと考えていたからだろう。

だったら、特定の技能を鍛えたい明確な欲求を持っていない人で、未来に不安を感じている人こそつぶしのきく「教養」を学んだほうがいい


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ちなみに、僕の場合は「天の邪鬼」であることを信条としているので、もしも「教養」が流行してきたら、みんなが見向きもしないものに鞍替えするだろうw

そのタイミングで「価値>注目度」となっているもったいないものを見つけて、「価値<注目度」となる前に身につけておきたいし・・・。

そうか!この「価値>注目度」を見つける視点を手に入れるために、結局相場観を得るために「教養」を身につけなくちゃいけないのかもなぁ。。。やっぱり「教養」は普遍的に必要かも。




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2012/10/11

職業は、自分で作っていいんだよ。

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気が付かないうちに囚われている「フレーム(文脈といってもいいかも?)」を明示して、その上で顧客の文脈にあわせた解決策を出すのが僕の職業。

例えば、技術ありきで新規事業を始めるケースでは、技術オリエンテッドのフレームに陥っている場合が多い。でも、利用してくれる顧客のフレーム(文脈)にあわせて提示しないと認めてもらえない。下手すると、ただの自慢話に付き合わされているようなものだ。


相手の文脈にあわせて、話し、提案する。この部分を会社名ともしている「空気読み」と呼んでいる。自分の文脈で考えていても、解決策は見出せない。


当たり前のことだけど、ずっと自分たちの「フレーム(文脈)」に浸っていると、そのフレームが見えなくなる。そのおかげで僕のような外部の「空気読み」のニーズが発生する。僕がやっていることは、デザインしないデザイナーなのかもしれない。「空気読み」は勝手に僕が作った新しい職業だ。

文脈を理解して企画をつくる人、文脈を理解して事業をつくる人、文脈を理解して伝え方をつくる人。

クライアントの持っている伝えられていない・活用されていない「もったいない」部分を感じて、「だったらこうすればいいのに!」ということをつくっていてる。


Hate something,Change something!
気に入らないものがあったら、変えちゃえばいいんだよ!

そう。職業だって、なければ勝手に作ればいい。


僕が「空気読み」という職業を作ったように、自分が得意なことで、世の中にあったほうがいいと思ったら、それを仕事にしてもいいはず。


無理矢理、誰かが作った既存の職業から選ばなくちゃいけないわけじゃないんだよ。





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2012/10/05

失敗談ほど美味しい経験はない。

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成功話をわざわざ人に話すのは自慢になってしまうが、失敗談であれば話しやすい。聞く側も、自慢げに話された成功談は、うがった捉え方をしてします。「本当にこの人の手柄なの・・・」と。

しかし、失敗談であればアイスブレイクにもなり、そこでその人が体験したこと、学んだことがすんなりと心に入ってきます。失敗談を話してもらえると、初対面の人でも、一気に信頼感が高まることまでありますよね。

自分がよく使う失敗談は、入社二年目で任された雑誌の関西版で「表紙の定価ミスが、印刷会社で深夜に発覚し、翌日昼までにピックアップに来るトラックに、正しい定価の雑誌を積み込まないと掲載している広告費などが損害賠償になるという恐怖体験」です。

まさしく修羅場であり、どうやってトラブルをシューティングするか機転も実行力も求められる話でありながら、雑誌の流通構造・本が書店に並ぶまでの仕組みを伝えられるお話です。(と、自分では思っています・・・)

会社のプリンターで大量に出力した正しい定価を明記したステッカーシールと、社員&臨時アルバイトをかき集めての人海戦術で事なきを得ました。あのとき、正しい定価が貼られた本を新大阪駅の書店で見つけたときの感動は一生忘れないでしょう。

情報を編集して、社会に届けることの責任や影響力も慣れてくると麻痺してしまいます。しかし、この事件を思い出すことで、初心に戻れます。

多くの方々に迷惑をかけることで、トラブルを沈静化できたことなので、もちろん反省も感謝もしています。しかしだからこそ、多くの人に迷惑をかけたせっかくの事件を失敗談としてネタにして、使わないともったいない。

話がうまい人は、一つや二つの失敗談をもっているものです。(僕はもっとあるけどw)

何かをはじめるときに失敗したらどうしようと躊躇する人もたくさんいるでしょう。会社で失敗したら自分のキャリアに傷がつくとか気にしている人もたくさんいるかもしれません。

でもね。時間がたつと失敗談って、美味しい経験談になるのです。誰かに話しても嫌みにならず、みんなが面白がって聞いてもらえて、さらに自分の印象を残すことができる。いいことだらけです。

何かに挑戦してみて、成功したら褒められるし。失敗したって数年後の自分に感謝してもらえるんだよね。



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