みどり荘 目黒区青葉台の高級住宅地にありながら、豪邸よりも不思議と輝いている |
■「自分の人生」と「他人の人生」
「自分の人生」を生きてる人は、「決定権」を自分で握っています。どんな仕事を誰とするのか?どこに住むのか?どう時間を使うのか?の決定権を持っています。
一方で、「他人の人生」を生きるとは、判断基準を「社会のものさし」にし、言い訳をしながら、決定権を使わずに受動的に選択を行っている生き方です。
「他人の人生を生きる」人にとって、一番の言い訳は「不安定な状態・どうなるかわからないものを選べない」ということでしょう。
しかし、「自分の人生」を生きている人たちにとっても条件は同じです。視点が違うだけです。「一年後、どうなっているかわからない」という不安と「一年後、新しい計画を立てられる」という可能性は表裏一体です。
■「自分の人生」を生きたければ、チャンスを失わない状態に
目の前にあるチャンスを掴みたいのに、自分の今持っている権利や待遇を手放すのが嫌で、見逃してしまう人がいます。これは、やっぱりもったいない。
だから、チャンスを掴むために、僕がオススメしているのは「普段から自分の損益分岐点を低くしておくこと」。
固定費を低くして、収入に合わせて自分の生活をコントロールできる自信があったら、みすみすチャンスを見逃す必要はなくなる。
(別に貧乏に生きろというメッセージしているわけではなく、チャンスを掴めるだけの準備をしとけという意味です。数年間やっていけるキャッシュがあることもチャレンジには有効です)
会社からの給与を前提とした生活設計と、それに基づいて楽観的に組んだ住宅ローンは自分を縛り付ける「高い損益分岐点」をつくってしまう。フットワークが重くなるような選択をしないことが、機会損失をしない状態作りでは大事です。
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上で書いたような考えに惹かれるのはどうやら僕だけではないようだ。
自分の人生を生きるために、消費依存社会のあり方に疑問を抱き、自分で創ることで愉快に生きていくことを実践している人たちがいる。
アバンギャルドな取り組みが書かれている下記二冊の販売が好調なのを見ていると、現在の消費依存社会への「閉塞感」を感じている人が多いようだ。
独立国家のつくりかた/坂口恭平(著)
ナリワイをつくる/伊藤洋志(著)
二人に共通しているのは、「マイホーム」という世間で言う大きな買い物の意義を疑っていること。現代社会をサバイブするためには必ずしもお金が必要ではないと考えていること。
共通するメッセージは以下のようなものだ。
「買わなくても、創れる」を実践している人たち、手に職を持った仲間のネットワークを持っている人たちは強い。
なぜなら、買わないと必要な物が手に入らない人、自活技能を持った仲間がまわりにいない人は、市場で必要な物・スキルを手に入れなければならなくなる。その分だけ、生きるためにお金が必要になるから。
安定し持っている物が多い人ほど閉塞感を感じ、不安定でも時間と自活能力がある人は輝いている。この現象をどう考えたらいいのだろうか?
昔への憬れ? 高度経済社会への反動? それとも進化だろうか?
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