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2014/10/30

経済合理性のある選択肢に流されないように、企業でさえも"自分の軸"を掲げている



■経済合理性で動く社会

社会のルールが「経済的価値を高めること」で動いているので、経済合理性のあることはどんどん進んでいきます。

例えば、投資した分のリターンが見えやすいものや、今使っているものより安くなるもの…同じ値段でも永く使えるとか…。

太陽光発電が固定価格買取制度によって、あっという間に広がっていったのも、白熱電球がLEDに入れ替わっていったのも、経済合理性があるからです。


一方で、経済合理性に反することを第一義としていることは、強い意志やそれなりの説得コストをかけないと広まっていきません。

そのために"エシカル・マーケティング"や"ソーシャル・グッド"と呼ばれるような「経済活動を行うことで、社会貢献活動につながるような仕掛け」をすることで、経済合理性だけでは選ばれない選択肢を提供することが行われています。

Table for twoのようなレストランで対象となっているメニューを選択することで20円分が開発途上国の給食として寄付されるという仕組みだったり、フェアトレードと言われる生産者の利益を守って適正な価格で継続的に購入した商品を購入するのも、安い選択肢ではないものを選ばせる仕組みです。

■経済合理性を牽制する“宗教/道徳と文化の役割”

さて、何を言いたいかというと。。。
上に書いたように経済合理性ではない選択肢を取らせようとすると、やはりややこしい。「お得だから買う」とか「値段の割にうまいから買う」という単純さの強さを再認識してしまう。

ボーっとしていると、経済合理性に流されてしまう。

そのために社会システムに組み込まれているものが、宗教(日本だと道徳や自然への畏怖だったり)や文化(粋や芸術、パトロンやタニマチによって支えられる経済合理性とは別の価値観)だったりするわけです。

コンプライアンスにあたるような、「人を欺く商品を売らない」ということも道徳的なものですし、「同じ道具でも、より素敵なモノ、身につけてみたいものを選ぶ」というのも文化的な力が担っているものです。

■自分の軸が必要と言われるのは、流されないため

こうやって整理していくと、“自分の軸”とか“ブレない自分軸”を持つことを欲している人がなんとなく目に付く理由がわかってきました。

経済合理性だけで物事を決めていったり、人生の選択をしなくて済むような「原理原則」が欲しいからなんですね。それは何かを購入する場面というよりも、もっと大きな人生の選択で決断するときに必要にかられるものです。

経済合理性のある選択をした場合には、みんなが「いい選択だね」と讃えてくれるだろうし、違うものを選んだ時には「なんで○○を選ばなかったの?もったいない」と言われることの気持ち悪さであり、そこに反論できないことの悔しさが残ります。

"自分の軸"を明文化できる人は、こういった場面でも経済合理性ではない選択肢を選んだことを、他人に説明できるようになります。

個人ではなく、企業であれば、"自分の軸"という部分が企業理念であり、ヴィジョンにあたる部分になるわけです。つまり、経済合理性のある選択肢だけを取らないようにするために、企業でさえも"自分の軸"を掲げているのです。

実は、経済的合理性の選択肢だけで、物事の判断をしないことを多くの人も企業も(内心では)求めているということかもしれませんね。





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2014/10/20

人生を愉しむ秘訣は、結局「絡む力・絡まれる力」なんじゃないの?


コミュニケーション力が重要なスキルとしてとり上がられるようになって、ずいぶん経ちます。

コミュニケーション能力の面白いところは、勉強ができるようなアカデミックスマート側の人間よりも、ストリートスマートと言われるようなたたき上げの人間のほうが、得意なスキルだということ。

もちろん、プレゼンテーションスキルや説明能力という意味では、学校教育で修得することが役に立つ分野ですが、面白いのが“愛嬌”だったり“可愛がられる能力”などは、学校教育というよりも商売人の家で育ったり、大人の中で小さい頃から注目を集める必要がある環境(世間的にはあまり羨ましがられない環境)の人のほうが高くなるということです。

愛嬌とか言ってしまうと、再現性が不可能な天性のもののように取られてしまいますが、そうではありません。“絡む力・絡まれる力”と言い換えたほうが、スキルとして認識してもらいやすいかもしれません。


学校教育の世界では「突っ込まれずに、全員の承認を得ること」が重視されるのに対して、コミュニケーションが産まれるためには、「他人との接触面を増やすための違和感」が必要になります。これが、学校教育で教わるような突っ込まれず、無難にこなす方向とは逆の「絡まれる力」です。

また、見ず知らずの人と接触をはかるための「絡み力」も同じです。見ず知らずの人に話しかけるには、隙を見つけて、気持よく心を開いてもらうための きっかけづくりが必要です。その人が本当は誰かに話したいポイントを見出すことから始まります。

◼︎
この「絡む力・絡まれ力」は仕事だけで役立つものではありません。むしろ、人生を愉しむためには仕事のスキルよりも、この絡む力・絡まれる力のほうが効いてきます。

例えば、同じ場所に旅行しても、人によって体験すること見られるものには差が出ます。その差がどこから生まれるのかというと、結局この「絡む力・絡まれる力」です

普通に知らない商店街を歩いていて、店主に絡んでもらったおかげで、知らない知識が得られる。地元の人がよく利用する穴場の美味しいお店を教えてもらえる。 飛行機の隣の席になった人と話したことで、永く交流が続く友達ができたり。。。

結局、人生の愉しみって「人との交流」が醍醐味だったりするわけですから。

もちろん、「絡まれる力」によって、危ない人や事件に巻き込まれたら問題ですが、そういう時こそ「絡む力」の目利き力を活かして早めに距離を取るようにしましょうねw


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2014/10/08

"痛い目にあわないと、わからない"あらため"愉しい経験しないと、かわらない"


「痛い目にあわないと、わからない」 の意味は、失敗することで人間は一番学習するということでしょう。

不安やリスクを避けるための情報はたくさんある

注意するという意味では、マニュアルや ルールブックのようなものも「痛い目にあわないと、わからない」ものに対して「痛い目にあわないように、対応策まとめておいたよ。守ってね」というコミュニケーションをしているもの。いわば、人生におけるディフェンスです。

マニュアル型のルールが成立するものは、"痛い目にあう不安への代償"としてルールを守ることを求めるものです。

よくネットで、不安系のワードで検索されるのが、この類です。そのため、こちらの情報は「失敗しない」ノウハウとしてたくさん流通しています。日々のお茶飲み話でも、結局アドバイスしたがりの人がしてくるのは、この手の「失敗しないため」「安全でいるため」の規範です。


愉しく暮らすための情報は経験しないと探せない

一方で、オフェンス側である"愉しく生きる"だったり、自分にとって"愉しく暮らす"ということを考える 情報を 探すのは容易ではありません。

難しいのは情報がないということではなく、"自分が求めているものは何か?"ということを言語化しなければならないから。

自分の周囲に"愉しく暮らしている大人"や"こういう生活をしたい"という憧れを抱かせる人がいないと、なかなか明確には描けないものです。

先日も、自分たちの環境で、肩の力を抜いて暮らしを素敵に楽しんでいる大人たちを紹介するツアーを行いました。なぜわざわざそんなツアーをするのかというと、自分の目で見て、その人達の空気感、話し方、家族や友人たちとのコミュニケーション…を体験してもらわないと、こういう世界もあるということを理解してもらえないから。腹落ちしないと、自分の生活・環境に置きかえて、自分ならどうするのかを考えないから。

今、一番足りないのは"夢のある対案"を見せる・体験してもらう仕掛けでしょう。

ことわざにはその社会が 古くから大切にしている思想が染み付いています。"痛い目にあわないと、わからない"と言い続けてきた社会に、"愉しい経験しないと、かわらない"という新しいことわざが定着したらどうなるのでしょう?

私は、自分たちの環境(制約条件)を利用して、 愉しく暮らせる大人こそ、クリエイティブな人間だと考えています。

関連エントリー:「ないものねだり」から「あるもの活かし」へ


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2014/10/03

iPhone6 Plusと3週間過ごして。アップルのライフスタイル提案が見えてきたw

iPhone6 Plusを使い始めて、今日で3週間。あまりの大きさに、正直戸惑いが隠せなかったのですが、だんだんとiPhone6 Plusとの距離感がつかめてきました。

■iPhoneが出るたびに良く言われることその1
「最初は違和感あっても慣れるんだよね…」

iPhoneが新しくなるたびに、最初は違和感があっても使っていると、慣れてしまうということを繰り返してきました。新しいものに慣れてしまうと、昔のサイズには戻れない。それが、道具としてのiPhoneの優れたところでした。

しかし、今回iPhone5sからiPhone6 Plusに 変更してみて、しばらくたってiPhone5sに触ってみると「こんなにコンパクトなiPhoneがあるんだ!」という逆の驚きが感じられてしまいます。

きっとこの一見使いづらい大きなサイズである理由があるはずです。(その2に続く)

■iPhoneが出るたびに良く言われることその2
「スペックじゃなくて、ライフスタイルの提案だから」

iPhone6のテレビCMのクリエイティブが、ライフスタイルの提案じゃなかったことからも、ついにスペック競争に陥ったのではないか…と言われています。

しかし、今回のiPhone6 Plusは僕にとって、いままで一番のライフスタイルの提言があったモデルでした。iPhoneをずっと使ってきて、知らず知らずのうちに陥っていた課題を一気に解決してくれたモデルでした。


iPhone6 Plusのアップルからの提案
「目の前にいる人との時間や現実社会をもっと楽しめ」

ポケットに入れられて、どんなときにでもチェックできる。目の前に誰かがいるのに、ついノーティフィケーションが気になってスクリーンを覗いてしまう。。。

iPhoneによって生み出された新しいライフスタイルだったわけですが、いつのまにか現実社会よりもスクリーンの向こう側に偏っていたのかもしれません。

iPhone6 Plusがすごいのは、大きいため、ポケットに入れていたら曲がってしまうかもしれないのでカバンに入れることになるというアフォーダンス。

そうするとノーティフィケーションが飛んできても、なかなか気が付きません。その分、目の前にいる人との話にも集中でき、移動中の風景や見ていなかったものに気がつくことができます。

リアルの社会とのバランスを再び取れという提案なのでしょう。

ついついスマートフォンを触ってしまう人こそ、使うときは落ち着いてじっくり使え、ちょっとの空き時間とかであれば、カバンから出すのがめんどくさい。そして、ちょこちょこメッセージのやりとりをやるのも、大きくてバランスを崩しやすいiPhone6 Plusのほうを選んだほうがいいですよ!






初期にiPhone6 Plusを(実物も見ずに)購入した人はiPhoneが出たらすぐに購入するイノベーター層でしょうから、アップルが一番伝えたかった人に、iPhoneとの距離感を考えさせることに成功したとも言えますよね。

追伸:iPhone6 Plusのこと、本当に褒めてますよw(念のため)

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