これまた、違和感を感じたことから話を展開します。ニトリが日用家電をラインナップに加えるということを聞いて、なんだか悲しくなりました。企業にとってみたら、家具類から日用家電にラインナップを増やしていくことは非常に合理的な選択だと思います。
ニトリさんのこの件がどうこう言いたいわけではありません。一般的にいろいろな企業が成長のために、合理的にラインナップを拡大していく戦略を取ってきています。そして、株主にとってみても、それによって増収増益の構造が続くと思えることは歓迎されます。常に右肩上がりになる、戦略が歓迎されるのです。当然ですが、横ばいを良しとはしません。
ラインナップを広げていくことが企業で働く人にとっても、経営陣としてもやりたいことであればどんどんやるべきことだと思います。しかし、いろいろな企業が経験してきたように、拡大したがために、人材要件が変わってしまったり、いままでの強みが活かせなくなり失敗した例はたくさんあります。そして、失敗したときには、こぞって「拡大に走った経営陣」を叩くのです。
僕が違和感を感じるのはここです。株主が自分たちだけだとしたら、「横ばい」という選択肢がとれます。右肩上がりの戦略よりも、自分たちが「本当にやりたいこと」や「好奇心を持てること」など自分たちの価値観で戦略を決定できます。
資本の独立があれば、自分たちにとって楽しい会社が創れるという発想は非常に重要です。会社を大きくしたい、もっと儲けたい、という人もいるので従来からの増収増益が偉いという考え方は否定しません。でも、私みたいな「好奇心を実現するための仕組み」としての株式会社を志向している人もいるのです。そして、その立場から世の中を見た場合に、ときどき増収増益のための戦略を見て、ときどき悲しく感じるのです。ユーザーやお客さんを満足させた結果の増収増益はすばらしいことです。しかし、増収増益のために企業を経営しているのであれば、とても気持ち悪いことに感じます。
行き過ぎた資本主義に違和感を感じ、株式会社の仕組みを自分の価値観で利用している一個人の意見でした。
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2011/01/03
2011年新年早々の気分。人と国家について今年は考えるテーマにしよう。
今年は比較的静かなお正月です。実家に1泊帰省して東京に戻り、北澤八幡に初詣。
たくさん本は買い込んであるのですが、読書をするわけでもなく、なんとなくつらつらと、考え事をしている状態が続いています。あ、原稿も進めております。
■カウンターカルチャー×ネット
デジタルヒッピーが時代を作っているという気がますますしてきているので。スティーブ・ジョブズにしろ、ジュリアン・アサンジにしろ、リーナス・トーバルズだって。みんなカウンターカルチャー魂から、現社会に大きな影響を与えている。
既存の仕組みに危機感を与えることをやっている人たちは、既得権益者にとって敵であり、犯罪者として報道されるんだよね。歴史を勉強したら、その時代では今とは異なった評価の人がたくさんいるだろうな。
カウンターカルチャーとして、仕掛けるためのツールがインターネットなのかもしれない。既存社会の置き換えのためにネットを使ってもおもしろくない。あるべき姿にしたり、無駄なことを取っ払うためにやんなきゃおもしろくない。
こんなことを考えている背景には、昨年「1984」のオマージュである「1Q84」が出版されて、ビックブラザー→リトルピープルが書かれたタイミングと、今回のwikileaks対国家という構図がいろんなことを象徴している気がしてならない。優秀な小説家は「炭鉱のカナリア」の役割を、自分たちも無自覚なうちに担っている場合があるから。
■現実逃避するためのツールを広める既得権益者
これもお正月のテレビ番組に辟易して再認識したこと。統治者としては、国民をある程度飼い慣らしていたほうが楽なんだろうな、と。そのためにテレビって、無料でものすごく影響力のあるメディアだということを再認識しました。
見ているだけという楽さ。時間がなんとなく過ぎてくれる。テレビを見ていれば、現実の諸問題について考えなくて済む。テレビで報道されていることや、紹介されていることがすべてだという気になってしまう。だから、電波の権利を持っている国がマスメディアをコントロール下に実質置いているもんなぁ。
他に、このポジションにあるのが各種娯楽産業。無料ゲームやアルコール、パチンコ。働くことと現実逃避の繰り返しだけになっている層がいることは事実ですから。考えることや疑うことを忘れちゃいけない。
写真は元旦に暇だったので、隣町の松島へ行ったときのもの。産まれてから何度も見た風景。ここが日本三景だと知ったときには、すでに自分にとって新鮮な風景ではなかった。自分が育った世界や習慣に疑問はなかなか持てないものです。
2011年には、国家についてもうちょっと勉強してみようと思います。2010年に人対人のつながりが一気にソーシャルメディアで広がったので、逆に国家と人の関係について考えてみよう、と。そんなことを新年早々考えています。
ってことを考えている自分も、もしかして多忙な毎日からの現実逃避?
たくさん本は買い込んであるのですが、読書をするわけでもなく、なんとなくつらつらと、考え事をしている状態が続いています。あ、原稿も進めております。
■カウンターカルチャー×ネット
デジタルヒッピーが時代を作っているという気がますますしてきているので。スティーブ・ジョブズにしろ、ジュリアン・アサンジにしろ、リーナス・トーバルズだって。みんなカウンターカルチャー魂から、現社会に大きな影響を与えている。
既存の仕組みに危機感を与えることをやっている人たちは、既得権益者にとって敵であり、犯罪者として報道されるんだよね。歴史を勉強したら、その時代では今とは異なった評価の人がたくさんいるだろうな。
カウンターカルチャーとして、仕掛けるためのツールがインターネットなのかもしれない。既存社会の置き換えのためにネットを使ってもおもしろくない。あるべき姿にしたり、無駄なことを取っ払うためにやんなきゃおもしろくない。
こんなことを考えている背景には、昨年「1984」のオマージュである「1Q84」が出版されて、ビックブラザー→リトルピープルが書かれたタイミングと、今回のwikileaks対国家という構図がいろんなことを象徴している気がしてならない。優秀な小説家は「炭鉱のカナリア」の役割を、自分たちも無自覚なうちに担っている場合があるから。
■現実逃避するためのツールを広める既得権益者
これもお正月のテレビ番組に辟易して再認識したこと。統治者としては、国民をある程度飼い慣らしていたほうが楽なんだろうな、と。そのためにテレビって、無料でものすごく影響力のあるメディアだということを再認識しました。
見ているだけという楽さ。時間がなんとなく過ぎてくれる。テレビを見ていれば、現実の諸問題について考えなくて済む。テレビで報道されていることや、紹介されていることがすべてだという気になってしまう。だから、電波の権利を持っている国がマスメディアをコントロール下に実質置いているもんなぁ。
他に、このポジションにあるのが各種娯楽産業。無料ゲームやアルコール、パチンコ。働くことと現実逃避の繰り返しだけになっている層がいることは事実ですから。考えることや疑うことを忘れちゃいけない。
写真は元旦に暇だったので、隣町の松島へ行ったときのもの。産まれてから何度も見た風景。ここが日本三景だと知ったときには、すでに自分にとって新鮮な風景ではなかった。自分が育った世界や習慣に疑問はなかなか持てないものです。
2011年には、国家についてもうちょっと勉強してみようと思います。2010年に人対人のつながりが一気にソーシャルメディアで広がったので、逆に国家と人の関係について考えてみよう、と。そんなことを新年早々考えています。
ってことを考えている自分も、もしかして多忙な毎日からの現実逃避?
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