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2012/07/12

「新しいだけ」では、もはや優遇されない。



「新しくないから・・・」「10年前に流行ったものでしょ・・・」と、新しいモノ原理主義の人は、たった一つの「ものさし」で、対象物を評価する。でも、それは対象物の他の面をまったく評価対象としてみていない。


日本人は「新しいモノが好き」と一般的に言われてきました。最新のガジェッド、新築の家、新車、新しくできたショッピングモール・・・etc.


でも、この「新しいモノ原理主義」から目が覚めつつあるのだと思う。
少なくとも、僕が今イケテるなぁと感じるものは、「新しいか古いかを気にせず」他の評価軸で戦っているモノたちです


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ミッドタウンやお台場などのハードから新規に作った場よりも、廃校になった建物や工場の跡を活用してソフトとしての人が集まって作り上げた場(ex.3331IIDTABLOID)のほうが輝いている。


日本人の僕がアジアの都市に行って惹かれるのは、上海のm50や台北の華山1914創意文化園区などのやはり工場跡地にクリエーターが集まって活動している場所であって、上海環球金融中心(上海森ビル)や台北101などの最新のビルじゃないんですよね。


新品のバッグや靴よりも、その人が何年もかけて馴染んできたモノや道具たちに、すごく惹かれます。新築の家よりも、古い家をリノベーションして暮らすことを選ぶ人たちにも同じ流れを感じます。


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昔、カーセンサーという中古車媒体をやっていたときにも感じたことだけど、新車を選ぶよりも中古車を選ぶほうが自由度が高いだけに難易度も上がる。


新車だと、今売っているものの中から選ぶので、現在の商品価値(=売値)で評価基準が一緒に提示されている。自分の用途×価格レンジ(という世の中尺度)で選ぶことができる。しかし、中古車だと今まで発売されて流通しているクルマすべてから、自分なりの優先順位で選ぶことできる。プライスという世の中基準から離れた「自分のこだわり」や「テイスト」を優先した選択できてしまう。こっちのほうが自由だけれども、その分難易度も高くなる。


これが、社会が成熟してきたことで我々が手に入れた新しい自由(選択基準の多様化)です。その分、トレードオフとして「自分が求めるものが何か?」を明確にしなければならなくなりました。




もちろん、だから「新しいモノは終わった」わけじゃなくて、「新しいだけ」の価値が相対的に下がっただけで、新しいということも判断基準の一つの項目として、ちゃんと冷静に観られる立場になったということ。
そして、「新しいだけ」では今までのように優遇されずに、過去に作られたモノたちと、並列に価値を比べられるようになっただけなんだ。




この話って、先進国の中では「モノ」だけじゃなく音楽や書籍などの「コンテンツ」にも当てはまるんだよね。考えれば考えるほど、深いよなぁ。。。



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