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2010/07/05

糸井重里さんに学ぶ「そもそも」を思考する方法

糸井重里さんの尊敬すべき点は「そもそも」をきちんと見つめて、それを突き詰めて言葉にすることではないでしょうか?
ほぼ日を読んでいても、twitterを読んでいてもその片鱗が感じられて、いちいち「深いなぁ」と感嘆しながら、何度も読み直し反芻してしまいます。

たとえば、先日のほぼ日に出ていた糸井さんが「積ん読」について考えた文章を読んでみてください。

知っておきたいと思うことがあると、
つい本を買ってしまって、
本を買ってしまったのに読む時間がとれないと、
そのままいわゆる「積ん読」として溜まっていきます。
これでいいのか、と思いはするものの、
何十年、そのことを考えてきたのに
なかなかいい方法が考えついていませんでした。

そこに、「電子書籍化」なんて潮流がきて、
あたかも「本がうまく整理できる」ような気になる人も、
いっぱいいるようですが、ぼくは、待てよと考える。

部屋を本棚を埋め尽くすような本を、
「限りなく小さい空間に閉じこめる」
のが電子化だとすれば、本は少しも減ってないのです。
場所はとらない、軽々と運べる....それはわかる。
だけど、買った本があり、
読んでない本が蓄積されていくという現実は、
なんにも変わっちゃいねぇぜ、なのです。

「知っておきたいと思う」こころとは、なにか?
「いちおうおさえておきたい知識」って、なんだ?
「知らないと恥ずかしいかもしれないこと」とは?
「読んだらおもしろいらしい物語」って、なに?
すべて、それまで無くても済んでいたものなのです。
そんなに多くの本が、ほんとうに要るのか。
その知識は「必須アミノ酸」みたいなものなのか。
ひょっとしたら、あなたの家で
積ん読状態になっている大量の本とは、
飲みかけで飽きてやめてしまった
サプリメントのボトルではないのか?
飲んでなくてもまったく「お変わり御座居ません」の。

誰に脅かされて、ぼくらは本を買うのか?
誰でもない、じぶん自身が、
「読むだけで向上するじぶん」に期待するからだ。
それは、果たして、いつまでも治らない病ではないのか?

....以上のようなことを、何年も何年も考え、
すっかりわかったつもりでいるのに、まだ本を買う俺よ。
今日も言おう、ここでも言おう「おれのばか」。

「積ん読」が起こる構造を、飲みかけになっているサプリメントのボトルと同じと発見し、その理由は「読むだけで向上するじぶん」に期待するから、と一言で説明しています。
だから、電子書籍になろうが「積ん読」はなくならいということです。

ここには、「そもそも」なぜ起こっているかの構造を「深層心理」との関係で捉えることで新しいものや技術によって、影響されるものと変わらないものを見抜く技術が詰められています。

上の文章から、私が抽出した糸井さんの思考方法は以下の流れです。
空気読み企画術」も同じような考え方を紹介しましたが、「人間の気持ちを優先する」ということがポイントだと思っています。


1:題材は、普段の生活の中、身の周りで起こったことで引っかかったことで考え始める
2:常に「自分がどう感じたのか?」を自分に問う
3:「自分が感じたことは、他の人にとっても当てはまるのか?」を自分に問う
4:その仮説が、世の中で言われていることと矛盾するのであれば、どちらが正しいのかを考えてみる
5:似たような状態になっている「他の物」=メタファーを見つける
6:メタファーとして選んだ物が、なぜそうなっているのか?「人間の気持ち」との関係を考えてみる
7:結論として、「そもそもの問い」の答えを「深層心理」として一言にまとめる


世の中の構造や経済状況など、難しい数式で説明することができるのかもしれませんが、世の中は「人間の気持ち」が創っていると信じています。

そこには「なんとなく嫌だなぁ」とか「めんどくさいなあ。楽したいなぁ」とか「こっちのほうがいいなぁ」とか「できれば怖い目にあいたくないし、安心なほうを選びたいなぁ」などの気持ちのほうが数倍影響しているはずです。



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