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2012/03/22

依存から脱却するために「自分マルチアカウント」化のススメ




自分がいままでやってきたことを、あらためて振り返ってみると、何か一つに依存することを避け続けているようです。(TechWave塾9期の講演資料を作っていて、気がつきました)。


僕だけでなく、今多くの人が潜在的に求めていることに「依存からの脱却」がある気がしています。



■依存することを避ける理由

当たり前のように思える福祉国家、エネルギー、誰かが保証してくれる安全、収入源と所属先を与えてくれる会社という組織...いつの間にか依存関係になっているものが沢山あることに気がつきます。

わかっていて、「自分で何とかしよう!」という人と「今頃、そんなこと言われたら困るよ。なんとかしてよ!」という人に表面上は分かれていますが、根底には共通した問題意識が流れていると思います。(参照:「生き方のスタンス」が違うと友達になれない? 自己責任派と他人依存派の埋められない溝

私たちは、いつのまにか固定概念として「依存してきた」ものを疑い、自分の頭で考えて、個々人が選択し直すタイミングに来ています。

コミュニティにしろ、組織にしろ、職業にしても、何か一つに依存してしまうと、盲目的になります。自分たちの所属する場所のルールで、他のコミュニティや組織を見て、攻撃しがちです。新しく入ってきたと、古くからいる人の間でヒエラルキーをつくりたがります。しがみつく人にとっては、その組織やコミュニティが存続することが目的となっていきます。

一つに依存すればするほど、「自由な思考」も「客観的な視点」からも遠くなっていきます。「洗脳」もきっと同じ構造でしょう。

現在依存している組織のルールが、時代と合わない・おかしなものだと気が付き、他のものに乗り換えようと気が付いたとしても、一つに依存していれば身動きが取りづらくなります。

だからこそ、「依存することの危険性」を感じた人たちにとって、一つに依存しないということを選択して生きる方法が求められているのです。

■自分をマルチアカウント化すること



「依存からの脱却」の一番現実的な手段が、分散化・複数化です。


一つの仕事ではなく、複数の仕事。一つの収益源ではなく、複数の収益源を持つ。人間関係も、職場だけでなく、信頼でき相談できる複数のコミュニティを持つ、といった状態です。


私のように独立している状態であれば、分散化・複数化を行うことができますが、企業に所属している人にとっては、環境的になかなか難しいと思います。

企業に所属している人でも、自分をマルチアカウント化してしまえばいいのです。


会社だけでなく、趣味でも、興味ある分野に関しての勉強会でもいいので、自分がつながりたい軸ごとに複数のコミュニティに参加するのです。


「○○会社の××さん」という一つのアカウントだけでなく、「○○に詳しい××さん」としてマルチアカウント化するのです。


各々のコミュニティで勉強を続け、他者への智の共有を心がけ、会社の肩書き以外のエッジを立てて、その分野での信頼を蓄積するのです。


もちろん、所属する会社コミュニティでも、自分の信頼を蓄積していくのも忘れずに。他のコミュニティで高い評判を構築出来ている人は、企業コミュニティでも評価が高いことが多いですし、人はどこで繋がっているかわからないですからねw


リアルの世界で難しいのであれば、自分が信頼を蓄積したい分野でのBlogを構築していってもいいと思います。


依存状態から自由独立状態になるには、時間が必要です。


複数のコミュニティで信頼を構築していくのですから、当たり前です。「悠々として急げ」という言葉が一番しっくりくると思います。すぐには到達できません。しかし、時間をかけながら信頼を構築しているということは、自分が間違いなくバージョンアップしていっているはずです。


もう一つ、自分の損益分岐点を下げておくという手段も並行してやっておくと、依存状態から早く脱出できるように思います。


一つのゲームのルールだけで生きるのでなく、いつでもそのゲームから外れて、他のゲームにいつでも参加できるように虎視眈々と準備しておくのは悪いことではないと思いますよ。


■蛇足
ノマドに関しても、多くの人を魅了するのは本来のノマドは「依存しない状態」になっているからだと思います。本田直之さんの「ノマドライフ」を読んで、気がつきました。本田さんは15年かけて構築したと言っていますが、この感覚はすごく理解できます。






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2012/03/16

「中国化する日本」:日本の未来は、グローバル中華民主主義or再江戸化?


本を読んで得られるもので、一番嬉しいのが、事象に「新しい視点」を提供してくれることです。切れ味の鋭い「補助線」を一本引くことで、世界の見え方が変わってくる。それが僕にとっての知的好奇心です。

先日読んだ「中国化する日本」は、まさしくそんな切れ味の鋭い補助線を提供してくる一冊でした。


どうやら、切れ味が鋭い補助線ほど、賛否両論が巻き起こるようです。その様子こそが、著者の提示している日本で1000年も続いている対立の構図の縮図のリアルタイム版のように見えます。(アマゾンの書評コメントなど)


中国化とは?
宋朝時代に、身分制や世襲制を撤廃された結果、移動の自由・営業の自由・職業選択の自由が確立されたもの

1:権威と権力の一致・・・皇帝が名目上の権威者に留まらず、政治的実験をも掌握する

2:政治と道徳の一体化・・・儒教思想=普遍主義的なイデオロギーによって正統化したため、政治的な「正しさ」と道徳的な「正しさ」が同一視される

3:地位の一貫性の上昇・・・皇帝が行う科挙=「徳の高さ」と一体化した「能力」を問う試験で官僚が選抜されるため、「政治的に偉い人は、当然頭もよく、さらに人間的にも立派」(逆もまた真なり)という建前が成立する

4:市場ベースの秩序の流動化・・・貨幣の農村普及などの政策により、自給自足的な農村共同体をモデルとした秩序が解体に向かい、むしろ商工業者が地縁に関係なく利益を求めて動き回る、ノマド的な世界が出現する

5:人間関係のネットワーク化・・・科挙合格者を探す上でも、商売上有利な情報を得るためにも便利なので、宗族(父系血縁)に代表される「広く浅い」個人的なコネクションが優先される


裏返すと日本文化論


1:権威と権力の分離・・・権威者=天皇と、政治上の権力保有者は別の人物。政党や企業でも、名目上のトップと、運営の実権は組織内の複数の有力者に分掌されている

2:政治と道徳の弁別・・・政治とは複数の有力者のあいだでの利益分配だと見なされ、利害調整のコーディネートが為政者の主たる任務となる。当時体制の外部にまで訴えかけるような高邁な政治理念や、抽象的なイデオロギーので出番はあまりない

3:地位の一貫性の低下・・・たとえ「能力」があるからといってそれ以外の資産(権力や富)が得られるとは限らず、むしろそのような欲求を表明することは忌避される

4:農村モデルの秩序の静態化・・・前近代には世襲の農業世帯が支える「地域社会」の結束力がきわめて高く、今日に至っても、規制緩和や自由競争による社会の流動化を「地方の疲弊」として批判する声が絶えない

5:人間関係のコミュニティ化・・・ある時点で同じ「イエ」に所属していることが、他地域に残してきた実家や親戚への帰属意識より優先され、同様にある会社の「社員」であるという意識が、他社における同業者(エンジニア、デザイナー、セールスマン・・・)とのつながりよりも優越する


著者は、源平合戦も、中国化を推し進める平家と、反中国化を志向すう源氏の戦いと整理しています。結果、反中国化勢力が勝ち、日本文化として定着してきたという流れです。

明治維新で、一度中国化に振れたものの、明治政府の自由競争政策への不満と、江戸時代の不自由だが安定した社会への回帰願望の自由民権運動によって、再び反中国化(=江戸化)に戻ってしまう。小泉内閣で一度中国化に向かうものの、またまた反中国化へ戻っている。しかし、今後は・・・?

以下の当時の論点も、非常に現代と似ていますし、中国化に対して争った源平とも同じ対立軸です。

A:もっともっと自由化を徹底し、今は負け組の人でも戦い続ければいつかは自力で勝ち組に這い上がれるような、より競争的で流動的な社会を作る

VS

B:進展する一方の自由化をむりやり引き戻してでも、一人勝ち状態になっている一部の人間がやりたい放題の状況を抑制し、多数の弱者の人々もそれなりに尊重されているという実感を持てるような社会を作る

世界のスタンダード(中国化)に対して、反中国化としてぶつかることが1000年も続いているのが日本の状況だという切り口は、本当に面白いです。

正規非正規雇用の話と、江戸時代の農村の長男と次男以下の人たちの置かれている状況。反中国化でやってきた日本では、制度的に老人を守り、多くの若者が厳しい環境(機会の平等が得られない)状況に置かれてきたことも書かれています。

この切り口で考えると、ノマド論争も「中国化」を巡る戦いのように見えます。

・中国化を志向するノマド層
自分の能力を活かすためには、「イエ」から飛び出て活躍したい。厳しい環境であっても「イエ」に依存せず、自分の能力で戦っていきたい。正規雇用じゃなくても、能力で這い上がれる社会にしたい

・「江戸時代化」を維持したい層
お前達は仕事ができるからだろ!結局高学歴じゃないか!仕事ができない人はどうするんだ?「イエ」を大切にして、格差が少なく、そこそこでも食っていける社会がいいよ

日本が進む道として、こうやってちゃんと論点を明確にしないと、全体としては前に進みません。(個人は自分次第です)。「中国化」というワーディングに違和感を感じる方も多いかもしれませんが、ぜひ一度読んでみて欲しい本です。

関連エントリー:ノマド論に対して、会社員とフリーが対立することの不毛さ


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2012/03/13

なぜ会社組織は個人化していき、仕事はプロジェクト化していくのか?



私自身が、一人株式会社という「個人化した会社」形態で働いているので、会社組織の個人化の流れについて書くとポジショントークのように映るかもしれません。


しかし、それでも今の日本という環境では、大会社組織が時代に合わなくなってきているのでは?ということについて書かないわけにはいきません。


考えていることは、どの組織形態にもメリット・デメリットがあり、置かれている環境によって、最適なものを選んでいけばいいということです。題名にも書いたように、会社組織は個人化していき、仕事はプロジェクト化していくと考えています。


■大企業・会社組織の得意な環境


・環境:「こうすればうまくいく」という方程式が明確で、そのルールを活用できる期間が長く続く
・手法:方程式に則ったマニュアルを、社員に教育し、拡大・横展開。方程式が明確だからこそ、資金を集められる大資本が勝てる
・金融機関/投資家:方程式と手法が明確なので、説明し、拡大のために必要な資金を集めることができる
・人材:方程式を理解し、決められたことをキチンとこなす社員。うまくいく方法を誰でも利用できるようにマニュアル化する社員


■個人・プロジェクト型組織の得意な環境


・環境:「こうすればうまくいく」という方程式は不明確で、かつ使えるのは短期間
・手法:状況や環境に合わせて、最適と思えるビジネスモデルを作り、一定期間で撤退。資金がなくても、個人が持っている信頼や知名度を担保に差別化の要素を作る
・金融機関/投資家:方程式が不明確のため、金融機関や投資家に頼らない。自分たち個人が蓄積した信頼を元に、チームを組み活動
・人材:置かれている環境と、持っているリソースを組み合わせて、最適解を見つけ、自分たちで動く人材。自分の得意分野や能力を活かして協力できる人材


大会社組織という拡大再生産でまだまだ行ける産業構造が、日本では少なくなってしまいました。そのため、大会社組織が得意な部分を活かせることが少なくなったのです。この環境変化はより加速するように思えます。


ビジネスモデルの賞味期限が短命化すればするほど、組織ではなく、強い意志を持った個人が判断しなければならない場面が多くなるからです。徐々に大会社という組織よりも個人が重要になっていき、プロジェクト型組織に変化していく方向は間違いないでしょう。


■大企業も個人も過渡期には弱い部分を補完して適応


いままでは弱者だった個人・プロジェクト型組織が“相対的に”魅力に写り、注目が集まってきています。しかし、個人ではまだまだ大会社組織に比べて「信用」が低いのが現状。そのために、信用を上げることにつながる出版やblog、自分を担保してくれる人々による紹介が不可欠です。


まだまだ過渡期である現在では、個人・プロジェクト型組織が弱い「信用」部分を担保する活動を続けることで、弱みを補強してやっている段階です。


僕自身、この働き方で企業と組んで仕事をしています。その場合でも、大企業の組織はすでに「プロジェクト型」の仕事スタイルです。


チームメンバーそれぞれが何らかのプロフェッショナルであり、企業の中の人も、僕のように外部からプロジェクトに参加している人たちもいる状態です。


大企業組織も「プロジェクト型」の仕事を外部の人間と一緒にやり始めることで、この環境に最適化しようとしているのです。


まとめると、この過渡期において、大企業組織はプロジェクト型の働き方を取り入れて適応しようとし、個人は信用部分を担保する活動を組み合わせながら時代に適応しようとしています。



■残された課題・・・
「会社が個人化し、仕事はプロジェクト化する」が加速すると切実な問題が出てきます。「雇用」と「人材育成」の問題です。


このことに関して、僕はまだまだ考え切れていません。誰が雇用をするのか? 誰が人材を育成するのか? そのためには大家族制や、個人企業に近いファミリー企業が多く生まれてくるのか? 大会社でも意志決定が明確なオーナー企業が担っていくのか? しばらく考えてみる必要があると思っています。


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2012/03/05

「生き方のスタンス」が違うと友達になれない? 自己責任派と他人依存派の埋められない溝

※近所のタイ料理屋に掲示してあった黒板。なんでこの4語を選んだのか興味がわきます。彼らも考えてみたら日本に来て、頑張っている。きっと自分で自分の人生を切り開いていっている人たちに違いない


ITによる通信コスト削減と航空券価格下落のおかげで、世界は狭くなり、海外の友人も増え、現地の人と交流しやすくなりました。物理的な距離はそのままでも、精神的な距離感はどんどん縮まっています。


一方で、同じ日本に住んでいたり、カフェで隣になった人であっても、別の種族だと感じ、精神的な距離がすごく離れているように感じることが多くなってきました。


この精神的距離を感じさせる、分水嶺は何なんだろう?と自分なりにずっと考えていました。僕なりの分水嶺は「生き方のスタンス」です。


<生き方のスタンス>
・自分で何とかしようとしている人たち(自己責任派)
・誰かに何とかしてもらおうとしている人たち(他人依存派)


このスタンスの違いによって、まったく異なる惑星から来た人のように、話が合わなくなってしまいます。


例えば、こんな感じです。


他人依存さん:「景気が悪いせいで、給料も下がる一方。仕事も年々きつくなってる。政治家もひどいし、日本はホントどうなっちゃうんだろうね?」


自己責任さん:「社会構造が変わってるんだから、新しいチャンスに挑戦していく必要があるよね。国内だったら、高齢者マーケットの課題解決に取り組んでもいいだろうし。新興国マーケットで、できることもまだまだあるし! はたまた、自分のライフスタイル自体を見直すチャンスかもね。」


他人依存さん:「それって、いままでのやり方も変えなくちゃいけないし。新しいことに取り組むのって、面倒だよ。自分の待遇が良くなる保証もないし。それにうまくいくかわかないからね。そもそも政治家がだらしないから・・・」


自己責任さん:「そんなこといっても、個人でできる対策なり、行動しなくちゃ、良くはならないよね? 政治家に文句言っていても何も変わらないよ。個人でできることは、どんどん試していけば? 年金が不安なら、自分で運用始めるとか。会社が不安なら副業をはじめてみるとか。」


他人依存さん:「お前は、そうやって個人でできることやれば?と軽々しく言うけど、誰が教えてくれるんだよ? 誰も個人で行動する方法とか何も教えてくれないし、そんなことできるのはもともと能力のあるやつだけ。」


自己責任さん:「やろうと思ったら、いくらでも情報取りにいったり、人に話を聞きに行ったりできるよね? きっと次には、時間がないとか言い出すんでしょ。もう、いいよ。お前と話していても埒があかない」


と、完全に敵対してしまって話があわなくなります。
学生時代は仲が良くても、「今」の話をするとこういった状況に陥ることが起こります。そんな場合は、話を「昔話」にして、ノスタルジーを満喫したほうが精神衛生上いいです。


前者の「自分で何とかしようとしている人たち」は、与えられた条件は所与として、改善したり、チャンスを捉えて挑戦していこうとします。全体とか確率とかよりも、より具体的な話やノウハウに興味を持ちます。


一方で、後者の「誰かに何とかしてもらおうとしている人たち」は、自分がやらない理由を探しながら、誰かがなんとかすべきだと考えています。与えられた条件に文句を言ったり、こだわることに時間を使っています。そして、一番困るのが、自分で何とかしようと行動する人の足を引っ張って引きずりおろそうとする人もいます。


個人的に面白いなぁ、と思うのは「新興国」に対する反応です。後者の人たちは、マクロデータ(国)やネガティブニュース(事件・事故)に反応します。前者の人たちは、ミクロデータ(都市や産業)やポジティブニュース(うまく行っている事例)に注目して調べます。


きっと、人生を楽しむコツって、「自分で何とかしようとする」ってことに尽きると思うのですよ。そして、自己責任派は、同じスタンスの仲間であれば、手を貸したり、知見を共有することをいとわないでしょう。


僕も同じで、自分が相談にのれることであれば、協力することが嫌いじゃありません。せっかくなんで、誰かに依存せずに、楽しんでやりましょう。



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「これまじ!」に登場させていただきました。


「これまじ!」これ買ってまじ良かったよ!にゲスト出演しました。


同志である大阪のベビログ板羽さんのメディアです。モノを紹介するときに、使っている人が想いを込めて紹介する。なぜその人が、そのモノをオススメするかで、その人となりが見えてくるメディアです。


詳細は、板羽さんに書いて頂いたインタビュー記事を読んでみてくださいね。


最後に自分の本を紹介するときに、自分が発した言葉を自分で引用しておきます。肝に銘じますw


「どれもそのタイミングで僕がメッセージしたいことであり根底には一つの共通した流れがあります。僕は仕事も人生ももっと愉しんでいいもので、そうなることがより素敵な社会になる方法だ!ということです。そして、そのために自分ができることをコツコツと提示していこうと思っています!」



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