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2013/05/28

目の前にあるものを紡いでいくのが、フリーの日常


あっという間に今年も6月がやってくる。6月は会社の決算月。ホントは切れ目なんてないのだけれど、気分的にはあと一ヶ月で今期もおしまい。

勤め人を卒業して、自分の足で走りはじめて早5年! 一番変わったのは、目の前のことに集中して、一つ一つ丁寧に紡ぐようになったことかもしれない。

会社員時代は、そんなに意識しなくても「やらなくちゃいけないこと」「やっておくべきこと」が溢れていた。しかし、一度会社から離れてしまうと、自分で仕事を作ったり、チャンスを掴んで次につなげていくことを日々の中でやっていかなければならない。

「やっていかなければならない」なんて、書いちゃったけど、実はこれが自分で自分会社をやっていることの一番の醍醐味。「知人から、一緒に仕事できる友達になったねぇ」とか「最初は遊びみたいに面白がっていたら、いつのまにかビジネスになったね〜」というふうに。

目の前にある「今」をちゃんと向き合い、夢中で楽しむ。そうすると、「未来」の仕事に自然に繋がっていく。言葉にすると簡単そうだけど、頭じゃなくて身体でちゃんと掴めたのは、本当に最近かもしれない。

安定ではなく、流れの中で浮き沈みを乗りこなす。しなやかに変化しながら、自分の想いや役割を紡いでいくことが、今、素直に愉しい。これが5年目の感想です。

こっちの世界は「横乗り系スポーツ」。この流れにもうちょっと乗っていこう。

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2013/05/23

人生を“何か”に捧げた老人が今一番ヒップ!


ビル・カニンガム&ニューヨーク』。まさか、この地味なドキュメンタリー映画が、こんなに話題になるなんて!!

ニューヨーク・タイムズ紙の人気ファッション・コラム「ON THE STREET」と社交コラム「EVENING HOURS」を長年担当するニューヨークの名物フォトグラファー、ビル・カニンガム。ニューヨークの街角で50年以上にもわたりファッショントレンドを撮影してきたニューヨークを代表するファッション・フォトグラファーであり、ストリートファッション・スナップの元祖的存在だ。

雨の日も風の日もニューヨークのストリートに自転車で繰り出してはファッションスナップを撮り続け、夜になればチャリティーパーティーや社交界のイベントに出かけて行き、ときにはパリのファッション・ウィークにも遠征し撮影する。その鋭いセンスと独自の着眼点が、世界中のファッション・ピープルから注目され、84歳の現在でも現役ファッション・フォトグラファーとして多大な影響を与え続けている存在だ。

しかしビル自身はいつもお決まりのブルーの作業着姿で、雨の日にかぶる安物のポンチョはやがて破れてしまうからと、新調することもなくテープで修繕して着続けている。コーヒーは安ければ安いほど美味しいと言い、ニューヨーク・タイムズ紙の写真家としての客観的な立場を保つために、パーティー会場では水一杯すら口にしない。50年以上暮らしていたカーネギーホールの上のスタジオアパートの小さな部屋は、今まで撮影した全ネガフィルムが入ったキャビネットで埋め尽くされていて、簡易ベッドが置いてあるのみ。キッチンもクローゼットさえもない。仕事以外のことには全く無頓着で、頭の中はいつもファッションのことだけでいっぱいといったような質素な生活ぶりなのである。 
ストリートファッションを記録し、伝えることに生涯を捧げている老人の生活と仕事観を知るための映画です。「私は働いていません、好きなことをしているだけです」と言い切る彼の生活は、本当に潔いものです。

彼がどれだけ普通のことを犠牲にしているかは、「誠実に働くだけ。それがニューヨークではほぼ不可能だ。正直でいることは風車に挑む、ドンキホーテだ」という言葉の重みで伝わってきます。

一見古くさく見えるリタイアせずに一生現役で働くことの喜びと、自分の人生をやるべきことに捧げている姿は、これからの生き方として、一番輝いて見えました。

奇しくも、本日、80歳でエベレスト登頂を果たした三浦雄一郎さんの人生からも、同じようなメッセージを感じます。ドキュメンタリー映画として話題となった「ハーブ&ドロシー」も、現代アートのコレクションに人生を捧げた質素な夫婦の姿が、すごく魅力的に見えました。

もはやアーリーリタイアメントに魅力を感じられなくなった価値観を持っている人間にとって、“何か”に人生を捧げた老人の生き様こそが、一番のお手本となっています。

カッコイイ生き様をしている老人(あえて敬意を込めて老人と呼びます)に、もっと会って話をしてみよう。そう、思ったドキュメンタリー映画でした。

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2013/05/21

「山寺」で感じたエンタテイメントとしての仕掛け


山形県の山寺(立石寺)の本尊御開帳タイミングで、近くにいたため、50年に一度というチャンスを逃すまいと、参拝してきました。



本尊の「薬師如来坐像(ざぞう)」(国重要文化財)の御開帳が前回行われたのは1963年! 東京オリンピックの前年ってことかぁ。

次回この薬師如来坐像に会えるのは50年後。。。自分の場合生きていれば88歳になっているはず。体力的なことを考慮すると山寺まで来て見る可能性はかなり低くなります。(80歳でエベレストに三度目のチャレンジをしている三浦雄一郎さんのような方もいるわけですが・・・)

こうやって、自分の命の有限性を突きつけられます。御開帳という行為自体が、命の有限性を考えさせるためにあるものかもしれません。

もう次は見ることができないかも?という気持ちから、生きているうちに何を成さなくちゃいけないかを意識させられ、ますます神妙な面持ちになりました。

その後、山寺の1015段ある山道を登った一番頂上にある「奥の院」までお参りして、顔を上げると、中に鏡が設置してあるため、お参りしている自分が映ります。

「誰かに頼るんじゃなく、自分でなんとかしてみろ」というメッセージなのでしょうか?



こんな急な山の上に、お寺を沢山つくってしまうこと自体、ものすごいエンタテイメントです。さらに、お参りすることで(先ほどの鏡などのような仕掛けを)いろいろと体験できるように設計されていました。

子供の時に来たときには気がつかなかったなぁ。

つい最新のものばかり見てしまいがちですが、旧いもの味わってみると、長期的に魅力のある(心理的な)仕掛けを学ぶことができます

郵便局の人が、歩いて登ってきていました。ご苦労様です

他にも、頂上付近には郵便ポストがあり、そこからハガキやなぜか「通信こけし」が送れるようになっていました。この場所から送付されたという限定感や、その時に感じたことを書くリアル感がありがたがられるのでしょう。

こけしを郵便で送れるのが画期的?送られたほうはどう思うのだろう?

いろいろ調べてみると、一時期山頂から降りてくる用の「滑り台」が作られたそうです。遊園地並のアトラクションです。どうやら摩擦などの問題で廃止されたらしいのですが。。。※滑り台遺跡を探した人のレポートを発見しました





ちなみに、ご本尊は境内は撮影禁止となっているため、写真などでは残せないようになっているのですが、パンフレット表紙に、薬師如来の写真が掲載してあるのは興ざめでした。。。禁止されてないのだろうか?



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2013/05/13

考えてばかりいても、波には乗れないよ。

「波に乗る/波を待つ」


先週実施した自分がやっているコミュニティ(脱藩学)のゲスト2名の話がリンクしました。

1人は、東北復興新聞を出しているNPO法人HUG代表理事で書籍「ソーシャルトラベル」の本間勇輝さん。

もう1人は、フィリピンで飲食店を経営し、人気ブログ「所長サンの哲学的投資生活」を執筆している所長さんです。

本間さんからは以下のスライドで、波に乗る(なりゆきに委ねる力)の大切さを。世界を旅しながら、波に乗った感覚と、波が来ない時期に無駄に抵抗しないことの大切さをメッセージしてくれました。




所長サンからは、Skypeで、投資や商売の経験から悟った「波が来たときに攻める」「波が来ないときには、波が来ているところへ動く」話をしてもらいました。Blogにも以下のように勉強ばかりしていないで動くことの重要性を書いていました。


日本人は本当に勉強熱心とおもいます。
いまは、いろんな面でとても学びやすい。
学んでから行動する環境が整ってます。
ただ、整いすぎるとぼくらは学びすぎてしまう。
それは素晴らしいことだけども、
実際に現地でやっていることは逆でして、
学んでから行動することなんてまずない。
行動から学ぶことばかりです。
知恵は吸収するものでなく生み出すもの(blogより引用)  

共通するのは、体験してみないと「波」を「波」と認識する感覚はつかめないということです。波に乗っているときは、動いていると次から次と必要な知識を持っている人と出会えたり、チャンスがやってきたり・・・と説明されても、自分が波に乗った経験を持たない限り、わかりません。

一回目の波に乗る感覚を掴むためには、とにかく行動してみる。まずは飛び込んで始めてみる。波に乗ることはは、自転車に乗れるようになるのと同じこと。なのに、大人になるとつい頭でっかちになってしまうってことですよね。。。



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2013/05/08

「何にコミットメントするのか」を問われる自己選択時代の憂鬱?


今朝配信されたダイヤモンドオンラインの記事に、「村上春樹作品の“離脱する主人公”に見る時代遅れ感 新しい共同体のヒントは『ONE PIECE』にあり?」というものがありました。

正直、タイトルに詰め込み過ぎだろう・・・とか、村上春樹を叩いてONE PIECEに結論を持って行かなくてもいいだろう・・・という気もするのですが、読んでみるとすごく面白い考察が出てきます。

しがらみを気にする時代からいつでも「離脱」可能な時代に
バブル崩壊以前(正確には崩壊後数年まで)の日本社会では、人間関係は「黙っていても巻き込まれるもの」だった。 
 生まれたときから、様々な人間関係がすでに用意されていて、その関係の中でうまくやっていかなくてはならないプレッシャーに晒される。親戚関係で、学校の友人関係で、就職後の会社組織で、人間関係のしがらみを気にしながら生きていかなくてはならない人生を送る人が多かった。
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むしろ、今日本人が求めているのは、どのようにコミットメントするか――つまり、どのように自ら望んで関係を構築するか――であるはずだ。 
 しかし、その答えが見つからず、皆四苦八苦しているのが現状だ。「コミュ障」なる言葉がメジャーになったのは、コミュニケーションの苦手な人が増えたのではなく、関係を自分をつくらなくてならない、という新たなハードルが出てきたためなのだ。

自分探し、生き方・働き方を模索し、悩む人が増えている背景をすごく的確に捉えています。

もはや悩みは「しがらみの中で、どうやって生きるのか?」ではなく、しがらみから逃れることを選択することも可能となった今、「何をやるのか?」に移行してきているのです

「何にコミットメントするのか」を誰しもが問われる時代。どんな人と繋がって、時間を使うのかを自分で選択しなくてはならない。

与えられたものでなんとかやっていく時代と比べて自由度が増したために、自分で決断し、行動しなければならなくなったのです。


いかに我慢して馴染むかよりも、いかに我慢せずとも馴染むか 
村上氏は、最新作を「リアリズムへの回帰」と述べたが、本当にリアリズムに回帰するならば、この時代に、いかにして自ら能動的にコミットメントを形成するか、その行動を描くべきであると私は思う。
 そして、この問題はそのまま日本の会社組織の問題となる。終身雇用制と年功序列制に守られて、共同体としての会社組織に「いかに我慢して馴染むか」が重要だった時代は終わり、嫌になったら辞める、逃げる社会になっている。 
 そこでは、「いかに我慢して馴染むか」という悩みはない。その代わり、「いかに我慢せずとも馴染むか」を求めるようになる。


「いかに我慢せずとも馴染むか」を考えるためには、自分が求めているものは何なのか? 優先順位が高いものと、低いものを見極めなければなりません

自分がどうでもいいと思うことは我慢せずに従えるが、自分が大切にしていることは譲れない。すべてをわがままに生きることはできないからこそ、自分の中のトレードオフと合致する環境を選び取らなくてはならないのです。

その場合、世間的に優先順位が高いか低いかは関係ありません。“自分にとって”が大事になるのです。だからこそ、自分のものさしを持っていない人は、情報に振り回されたり、恐怖感を煽られて不安にさせられます。

この状況で必要とされるコンテンツは、「自分のものさし」に気がつくための物語です。それは小説というフォーマットよりも、現実の生々しい実話なのかもしれません。良い面だけをクローズアップするのではなく、「捨てていること」「諦めていること」というトレードオフの面も見せるドキュメンタリーが必要とされているのでしょう。

他人の葛藤して選択してきたストーリーを知ることで、逆に自分自身が見えてくることに繋がるから。





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2013/05/02

デザインの力で「福祉車両」をメッセージ媒体にできるのか?


※この記事は、BLOGOSの「ブロガーが見たソーシャルイノベーションのいま」に寄稿したものです。


皆さんは、福祉車両について、どんなイメージを持っているでしょうか?

多くの人は、「福祉車両」と言われても、ピンと来ない方が大半でしょう。なぜなら、外観からは普通の車両と大きな違いがないからです。

福祉車両には、大きく分類して二つのものがあります。一つは、介護を楽にすることを目的としたもので、車椅子や足の不自由な方の乗り降りを楽にするための機能が付いたもの。二つ目は、通常の運転方法(ハンドルやシフトチェンジを腕で、アクセルとブレーキを足で操作する)では運転が困難人のために、手だけでアクセルやブレーキも操作できるなど、運転補助装置を加えたものがあります。

どちらも介護者もしくは運転者にあわせて、従来の車両を改造しているため、外観からは、違いがわかりづらいのです。そのため、多くの人は、自分や親族などが介護が必要にならない限り、「福祉車両」という存在に気がつきません。

課題認識は、可視化されることから始まる

後者の運転者自身が、自分の身体の状態にあわせた運転方法が選べる形式の福祉車両は、一般の車に溶け込んで、個々人が楽しむもの。だからこそ、福祉車両だと認識させることよりも社会に溶け込んでいるほうが望ましいでしょう。

一方で、前者の介護を目的とした福祉車両。特に、個人所有ではなく自治体や各種NPO団体などが所有する福祉車両には、「可視化」することが大きなメッセージになるはずです。地域にいる介護を必要とする方、介護事業に従事している人の存在を意識してもらうことに繋がるからです。

上記のような問題認識を持ちながら、4月26日行われた日本財団の福祉車両お披露目式に参加していきました。事前に配布されたリリースには「~若者が、福祉を考えるきかっけに~ アパレルブランド“ベネトン”デザインの福祉車両、誕生」というタイトルだったため、デザインによってどんな「問題の可視化を社会に投げかけるのか?」を期待して、会場へ向かいました。

日本財団の福祉車両配備事業とは?

“「誰もが不自由なく地域で暮らせる社会の実現」を目指し、高齢者や障害者の移動や就労支援に用いられる福祉車両の配備事業”

1994年度から、昨年度までに累計31,234台を助成金を出すことで配備してきているとのことでした。日本財団のサイト上の福祉車両事業の紹介には以下のようなゴールとミッションが掲げられています。

“ゴール私たちは、障害の有無や年齢にかかわらず、すべての人々が地域で豊かに暮らせる社会を目指します!ミッション
  • 「介護を受けるなら、住みなれた我が家がいい」(在宅サービス)
  • 「仲間たちに会えるから、毎日さみしくない」(通所サービス)
  • 「いろんな人にありがとうって声をかけてもらえて、まちの中で働くって楽しい」(就労支援)
といった、障害者や高齢者の声に、福祉車両の配備を通して、応えていきます。”
ミッションに従って、在宅支援型(訪問介護や訪問看護のため、ヘルパーや看護師が利用)や通所支援型(福祉施設を利用する方の送迎)というものだけではなく、就労支援型(障害者の就労に活用)といったものまでラインナップしてありました。

2013年は、今回発表されるベネトングループの「FABRICA(ファブリカ)」による新デザインの車両を2000台配備する計画とのことでした。

1999年から現在まで利用されている車両デザイン


ベネトン社の理念を伝えるメッセージ表現

アパレルブランドのベネトン自体が、「社会から憎悪と憎しみをなくす」という理念を持っている会社です。広告キャンペーンやメディアコミュニケーションなどを仕事としてやってきた私にとっては、ベネトン社の社会に提言する企業広告の存在はお手本であり、憧れです。

特に、オリビエロ・トスカーニ氏による企業広告は、物議を醸し出す企業広告として非常にインパクトのあるものでした。出稿量で勝負するのではなく、インパクトとメッセージ性によって出稿量が少なくても、社会にメッセージを伝える手法は見事でした。


写真は1994年の広告で、ユーゴスラビア内戦によって亡くなったボスニアの兵士が来ていた服装です。このショッキングなグラフィックによって、戦争という自分とは遠く離れてたニュースを、一人の個人が殺し合いによって亡くなったという文脈で自分たちの問題として考えざるをえない表現を行いました。


最近の「UNHATE(アンヘイト)」と題されたキャンペーンでも、社会から憎悪をなくすための社会メッセージを発信しています。



2011年に発表されたキャンペーンで、各国首脳や指導者がキスをしているように見えるように合成することで、「憎悪を乗り越えて平和な世界を作ろう」というメッセージを発信しています。

今回の福祉車両のデザインを無償提供したのは、ベネトン社のグループである「FABRICA(ファブリカ)」です。

“1994年に創業者ルチアーノ・ベネトンの提案により企業文化活動の一環として誕生したコミュニケーション リサーチセンター。ラテン語で「ワークショップ」を意味し、「実践による取り組み」と「双方向コミュニケーション」を軸に映画・デザイン・音楽・出版など様々のセクションを介して世界各国から選抜された若い才能の育成を目指す。”

私にとっては、季刊誌である「COLORS」(http://www.colorsmagazine.com)を出版元として、認知していました。

説明が長くなってしまいましたが、ベネトン社が今まで取り組んできた事例を鑑みると、今回の日本財団の福祉車両デザインがどんなものになるのか、期待が膨らんでしまうのです。

「WORKING TOGETHER」というデザイン

前置きが長くなりましたが、今回発表されたデザインは以下のようなものでした。

左が日本財団会長の笹川陽平氏。右がベネトンジャパン代表取締役のパスカル・センコフ氏

デザインテーマは「WORKING TOGETHER」とのこと。デザインコンセプトの説明は以下のとおりでした。

“福祉事業車両の配備をする団体と、その車両を使って地域社会に合わせた介護に従事する人。どちらも「地域社会を良くしたい」。そこで働いてみたら、同じマインドを感じることができるはず。その彼らに加えて、サポートを受ける人も一緒になって「WORKING TOGETHER」。

両手を上げたカラフルな人々が幸せを抱きしめ、車を包みます。「社会とともに活動する」日本財団のカラフルなシェアマークの車が地域社会に幸せを運び、広げます。「社会とともに活動する」人々はカラフルなシェアマークをソロに向かって手をつないで、あなたの待ちに笑顔を連れてきます。”

今回の福祉車両デザインだけでメッセージが伝わるかのか?

今回の日本財団とベネトン社が共同で行った、福祉車両デザインリニュアルプロジェクトの目的が達成できたのかを考察してみたいと思います。

日本財団が伝えたかった「福祉車両の配備を通じて、より多くの人に福祉環境の正しい理解を深め、心理的距離を縮めること、特に若い世代の人たちの福祉への意識改革を提案する」という目的がありました。

それを福祉車両を配備するという媒介にして、今回のグラフィックデザインで伝わったのでしょうか?

デザインコンセプトを説明されれば、社会とともに活動するという意図は伝わりますが、このデザインを見て「何を意味しているのだろうか?」ということを自然に考え始めるでしょうか?ベネトン社の広告キャンペーンのように・・・。

私が、ベネトン社の企業メッセージの手腕に期待しすぎていたせいがあるかもしれません。広告という媒体と、実際の車両となった場合に制約の違いがあったかもしれません。しかし、それでも毎年2000台の台数で社会にメッセージを伝えられる絶好の機会を得たものとして、このグラフィックデザインだけでは、目的は達成できなかったのではないかと言わざるを得ません。

足りないのはコミュニケーションデザイン

もともとデザインだけで、提言するには難しい課題でした。福祉車両がある意味、福祉車両が活躍する背景、従事している人がいることの意味を考える「きっかけ」もあわせて設計する必要があったのではないでしょうか?

例えば、この福祉車両のバックウインドウ部分をのぞき込むと、バックウインドウ部分に年老いた自分の姿が映し出されることで、自分ごととしてヒリヒリと感じられるような痛みが与えることもできたと思います。(コストを無視した議論ですが・・・)

もしくは、生活者が福祉車両に対して「ありがとう」を伝えるなんらかのアクションを促す仕掛けをデザインで行うことはできたかもしれません。この福祉車両の写真を撮影して投稿することで、日本財団から該当団体への募金が行われる仕組みがあったとしたら、写真撮影と投稿を促す車両デザインをファブリカに依頼すべきだったかもしれません。投稿することで、その車両に関わる人々の活動を紹介することができると、さらに理解を促すことができるでしょう。

このように、多くの人が直視していない課題を認識してもらうためには、グラフィックデザインだけではななく、コミュニケーションまで含めた提案が必要な時代です。せっかくの素晴らしい取り組みだからこそ、もっと多くの人に知ってもらう工夫ができればと本気で思っています。

僭越ながら、私がこうしてこの記事を書くこと自体が、日本財団の福祉車両事業について、皆さんが考えるきっかけになればと思っています。



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