ネットがつまらないのはつまらない自分のせい
今朝読んだBlogのフレーズが刺さりました。「ネットがつまらない」=「自分がつまらない」は言い過ぎとしても、「ネットがつまらない」=「自分のネットユースがつまらない」「自分の眺めているネットがつまらない」なので、ネットそのものが問題というより、その人自身の所業によるところ大な問題だと思う。
シロクマの屑籠:「ネットがつまらない」≒「自分がつまらない」ある意味、ネットは自分の人間関係・情報源を映す鏡になってます。自分がフォローしている人、フィードに登録している情報源・・・自分が選択した結果が自分の見ている情報となります。だからこそ、「ネットがつまらない」と発言するのは、「自分がつまらない」ということをわざわざ宣言してしまっているようなものです。
ネットの仕組みが、人間社会の真理を可視化した?
でも考えてみると、この法則はネットの社会にとどまらないですよね。「何か面白いことない?」って聞いてくる人は、面白いこと教えても、なんだかんだいって動かない。一方で、好奇心丸出しで面白いと思ったことを求めて走っていく人は、次から次と面白いコトや人との連鎖を起こしていきます。
ご機嫌にしている人には、ご機嫌な話題を提供したくなるし、不機嫌な人には厭世的な話題でもするしかないか・・・と同調してしまう。
自分という受信機が情報をキャッチするのではなくて、自分という受信機にあった情報が集まってくるように社会はできているのかもしれません。
以前「お呼ばれ」する人でいることの「ありがたさ」というエントリーを書きましたが、「あの人、呼んでおいたほうが場が楽しくなるよね」と思ってもらえることはすごくありがたいことです。
特に僕のような、自分で仕事をつくっていくタイプの働き方をしている人には、お呼ばれされる愛嬌は不可欠だと思います。
仕事だって、プロジェクトに対して自分自身が主体的にのめり込む、自分ごととして貢献していくことで、何らかの信用や実績を積み重ねていくことで、次の面白い情報がやってくるようになります。
だからこそ口が裂けても「ネットがつまらない!」「人生なんてつまらない!」なんて、言えませんw 大変なことはたくさんあるけど、明るい面を見ながらご機嫌に過ごしていきたいものですね。
関連エントリー:過去の自分の好奇心が、今の自分の武器になっている
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