2019年は制度疲労が目立った年のように感じました。
日本全国に張り巡らされたコンビニというプラットフォームの制度疲労、グローバル経済と政治の相性、家をベースとしたガラパゴス戸籍制度、社会保障や医療システム、働き方問題や世代間格差も制度疲労の結果起きていること。我々の周囲のシステムが、いかに前時代の前提に最適化されたものだったかを思い知らされた年だったのではないでしょうか。
続きをみる
source https://note.com/atobeck/n/nda9a4c0590b0
2019年は制度疲労が目立った年のように感じました。
日本全国に張り巡らされたコンビニというプラットフォームの制度疲労、グローバル経済と政治の相性、家をベースとしたガラパゴス戸籍制度、社会保障や医療システム、働き方問題や世代間格差も制度疲労の結果起きていること。我々の周囲のシステムが、いかに前時代の前提に最適化されたものだったかを思い知らされた年だったのではないでしょうか。
前回、Slow mediaの不便だけど愛らしいところについてのエントリーを書きました。紙メディアやカセットテープ、リアル店舗……というフォーマットだからこそ体験できる豊かさが再評価されているという話です。
以前、ここで手書き地図推進委員会として京都にトークショーに行ったときの模様を書きました。そのときに、再会&再開してしまったものがあります。もう、トップ画像を見れば、バレバレですね。はい、カセットテープです!
NETFLIXの人気コンテンツ、クィア・アイの日本編始まりましたね。
先日、10月27日に開催した『手書き地図のつくり方』出版記念トークショー@fab cafe京都の模様を時系列に記録しておきます。
生きていると、惰性でなんとなく・・・となっている習慣や癖ってありますよね。これを辞めてみると、意外と問題もなく、自分に自信がつくというか、コントロール可能だということに喜びに感じます。僕の場合は、お酒です。
何か合った場合や、取材などで味見をする必要があるときは飲みますが、基本的に、アルコールを飲むのを辞めました。僕の場合、もともと毎日飲んでいたわけでもないのですが、飲みの場に行くと、惰性でアルコールを選んでいました。
参議院選挙終わりましたね。公職選挙法があるので、どうしても決まったことしかできないのはわかるのですが、本来自分たちの主張を伝えて共感してもらうための工夫やデザインをしないとマズイのでは?という問題意識が生まれました。
一方で、プライド・パレードに遭遇すると自分たちの理想を体験してもらい、参加者だけでなく遭遇した人も共感してもらえるデザインが良くできていると、感心します。これからの時代は、デモなどでも、自分たちのメッセージを伝えるのにちゃんと体験的なデザインを取り入れていくのがスタンダードになっていくのかもしれません。
海外出張から帰ってきたからかもしれないし、帰国したら選挙期間だったからかもしれない。「身体で理解することの強度」というテーマを強く意識するようになった。「頭で理解して、口で話している」人が多いと感じるからだろう。簡単にいうと「薄っぺらい」言葉が溢れすぎているという感覚だ。
糸井重里さんと秀島史香さんの対談で出てくる、「FMしゃべり」というのは、まさに頭で話した薄っぺらい言葉のことを指摘しています。
来週から、また海外出張です。定期的に海外という異なる文脈の場所に行くことで、否が応でも自分が普段いる日本の特殊な文脈を意識させられます。
海外でふと「どうしてこうなっているんだろう?」「どうしてこうも異なるのだろう?」という疑問から、日本で育った自分たちの持つ無意識の文脈を意識してしまうのです。
人生100年時代と年金問題について、話題になっている昨今だが、2014年にこんなblogを書いていました。当時はnoteではなかったので、ここにも掲載しておきます。生涯現役で働けるほど、楽しいことを自分で選んでいくことが人生最大のリスクヘッジ。このことは2019年でもまったく変わらないどころか、ますます普遍になってきています。(以下再掲)
高倉健さんの訃報を聞いて思ったのが、“現役のまま亡くなる”というのが、最も幸せなことだという価値観の時代がやってきている、ということです。
ほぼ日21周年の挨拶として書かれた糸井重里さんの文章は、読んで終わりとすることができなかった。「かたちをちゃんとすることについて考え直す。」と書かれた短い文章。
何か、ここから考えないといけないような、自分もまさしくここに陥っているのではないかと、感じさせられるものだった。全部読んで欲しいけど、一部引用する。
ここ10年だけでも、価値観は大きく変わった。信じられないぐらい。。。
意休、子育てのスタンスだってセクハラ、パワハラ、LGBTQ。労働観や家族観だって、変わっている。昨今の自動車事故のニュースを見るに、人間が車を運転することも禁止されてもおかしくない。
この10年ぐらいで、環境が大きく変わってきたものの代表格、仕事のあり方。その中で注目されるのが「スラッシュキャリア」。副業ではなく、複数の仕事を並列に行なっているようなイメージでしょうか。以下のnoteエントリーから引用すると以下のように定義のようです。
知的生産者にとって、もっとも生産性の高い仕事は「雑談」と言っても過言ではないでしょう。無駄なことをどんどん減らして、雑談の時間を減らすのがおススメです。というのは、今週以下の記事を読んだから。
水野学(以下、水野) ぼくのまわりの人はだいたい「遊んでるの? 働いてるの? どっち?」みたいな人ばっかりです(笑)。多少は業界も関係あるけど、「仕事で遊んでいる」というのは、「チャラチャラやってる」という意味ではなく、仕事を楽しんでいるということ。
佐渡島さんと打ち合わせをしていても、仕事の話はだいたい数分から十数分ぐらいで終わって、あとはだいたい時間ギリギリまでずっとこういう雑談をしています。雑談で遊んでいて、楽しいから覚えていく。自分の頭の中にストックされていくんです。
と言われたら、あなたはどう思いますか?
現在のいわゆる「お仕事」は、利便性を上げたり、不満をなくしたり、時間を短くできるとか、コストを落とせるとか、効率化できるなどなど、「役に立つこと」が前提で動いています。効能があることをお金でやりとりしています。
新しい元号決まりましたね。自分は公文書などはすべて西暦だけにして、元号はサブ的にあくまで時代の区切りを共通化して語れるものとして運用すればいいのに…ぐらいの考えの持ち主です。
今回の元号「令和」ですが、出典となる万葉集の言葉がビジュアルが浮かぶ素敵なシーンです。
春だからなのか、社会の閉塞感からなのか、報道でもネット上でも他人を非難できるトピックスは、一段と注目が高いようです。有名人や経営者など社会的に優位な人であればあるほど、非難する人たちがいっせいに群がってきます。大変、残念なことですが。。。
子供を育てていると、人間には自分よりできない人を見つけて、そこを指摘することで、優越感を得るプログラムがそもそも備わっているようです。うちの5歳児たちも、「のび太は寝てばっかり」「のび太は0点ばかり」「のび太はドラえもんがいないと何もできないよね」と言うことで自分の優位性を示しています。もなぜかのび太に矛先が向かっているのも、彼らにとって話が盛り上がる共通の対象がのび太なんでしょうね。親としては、のび太は架空の人物だから、まだ笑っていられます。
新人時代に先輩から言われた「手の抜き方を覚えろ」というアドバイスは、一番役に立った。それまでは、真面目に一生懸命やることが正しいことだと勘違いしていた。それからは自分のタスクを俯瞰的に見て、どこに力を配分するのかを考えらえるようになっていった。当事者は目の前のものに全力投球してしまうが、上の人から見たら、大事な仕事とどうでもいいタスクがあるのは明白だ。
今の日本の働き方改革で一番間違っているのは、頑張って仕事を早く終わらせようとしたり、真面目にやることで時短しようとしていることだ。本当は、手抜きやサボる精神を最初にインストールしたほうがいいと思う。
ニュースで取り上げられる話題のほとんどが、官公庁や大企業の偽造、捏造、不祥事、ブラック企業にブラックバイト。。。不動産、金融を中心とした詐欺まがいの取引、、、子供の虐待などなどネガティブな話題が多くなっている。感覚が麻痺してきて一つ一つのニュースに怒ることもなく「組織というものは倫理感よりも内部の論理で悪いほうに走ってしまうものなのかなぁ、、、」と不信感だけが蓄積している。
そして消費者保護とか、再度同じことが起こらないように・・・という名目で商売相手、取引相手、関係者を信用せずに、システム的に手続き的に不祥事が起きないためのガチガチの仕組みだけが積み重なっていく。その結果、仕事はどんどん非効率的になり、仕事相手やお客さんはは仲間や協業者ではなく、単なる事象として扱われていく。売り上げデータ、取引データの一つのセルのように。。。
よく「なんて紹介すればいいですか?」とか、「肩書はなんと表記すれば?」なんて言われたことはないでしょうか。もちろん私は多々ありますw もちろん求められていることの文脈に則って、この肩書でお願いします…ということにするのですが。(結局、こういうときに必要とされている肩書って、発言する人ととしてそのことに詳しいとか当事者として語ってますよという記号ですよね)
一方で、現実はそんなにシンプルではありません。同じ人間だって、複数の仕事、複数の役割を持っているのが当たり前。さらに家庭での役割や仲間での役割、趣味でやっていること、地域でやっている…と複数の顔を持っています。
今一番、ほしい能力は「バカになる力」。もちろん、昨今問題になっているSNSにバカをやっている(迷惑行為)をアップすることを言っているのではない。
大人になると自然と合理性を意識するようになり、自分にストッパーをかけやすくなってきているように感じる。何をするにも”コスパ”というものさしで測られる社会では当たり前の行動なのだが、何かワクワクしない。そんな中で、どうなるかわからない未知のものに、突っ走れるバカさに憧れてしまう。
今の社会で、一番足りないもの。それは余裕だろう。
時間の余裕がないから。。。お金の余裕がないから。。。心の余裕がないから。。。健康の余裕がないから。。。
ネットで販売するチャネルが定着し当たり前になってきている中で、リアル店舗が再度評価されている。さらに進んで、ブランドの世界観の入り口としてまるで「アミューズメント施設」のようなエンタテイメントの場が注目されている。ブランド価値を体験してもらう場として、リアルな体験ができる場ほど強いメディアはないからだろう。
いくつかの事例をピックアップしよう。