2020年上半期が終わろうとしています。世界的になかったことにしたいぐらい(経済的にも文化的にも、スポーツ的にも)空白の期間が終わろうとしています。
しかしながら、価値観が大きく動いたという意味では、必要だった期間だったと認めざるをえません。価値観がどう変わったかと一言で表現すれば、「日常の価値の再発見」だと思います。
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source https://note.com/atobeck/n/nd9071d301831
2020年上半期が終わろうとしています。世界的になかったことにしたいぐらい(経済的にも文化的にも、スポーツ的にも)空白の期間が終わろうとしています。
しかしながら、価値観が大きく動いたという意味では、必要だった期間だったと認めざるをえません。価値観がどう変わったかと一言で表現すれば、「日常の価値の再発見」だと思います。
ニュースでご存知のようにジョージ・フロイド氏暴行死を受けた抗議のためです。 サブスクリプションサービスに契約している私も、以下のように表示され、自分のライブラリ以外の曲は聴けず、 #TheShowMustBePaused に賛同する特別プログラムを聴くことができます。
緊急事態宣言の続く東京で、夫婦WFHしながら小学一年の双子男子と毎日てんてこ舞いで暮らしています。学校もいよいよ宿題本気出してきて、親も大変です……。いままで、いかに学校や保育園などにアウトソーシングしてきたことで、ギリギリで回っていた生活だったんだなぁと反省しました。
さて、ひさしく書いていなかったのですが、そろそろ現状考えていることを吐き出しておいたほうがいいような気がしてきました。
2019年は制度疲労が目立った年のように感じました。
日本全国に張り巡らされたコンビニというプラットフォームの制度疲労、グローバル経済と政治の相性、家をベースとしたガラパゴス戸籍制度、社会保障や医療システム、働き方問題や世代間格差も制度疲労の結果起きていること。我々の周囲のシステムが、いかに前時代の前提に最適化されたものだったかを思い知らされた年だったのではないでしょうか。
前回、Slow mediaの不便だけど愛らしいところについてのエントリーを書きました。紙メディアやカセットテープ、リアル店舗……というフォーマットだからこそ体験できる豊かさが再評価されているという話です。
以前、ここで手書き地図推進委員会として京都にトークショーに行ったときの模様を書きました。そのときに、再会&再開してしまったものがあります。もう、トップ画像を見れば、バレバレですね。はい、カセットテープです!
NETFLIXの人気コンテンツ、クィア・アイの日本編始まりましたね。
先日、10月27日に開催した『手書き地図のつくり方』出版記念トークショー@fab cafe京都の模様を時系列に記録しておきます。
生きていると、惰性でなんとなく・・・となっている習慣や癖ってありますよね。これを辞めてみると、意外と問題もなく、自分に自信がつくというか、コントロール可能だということに喜びに感じます。僕の場合は、お酒です。
何か合った場合や、取材などで味見をする必要があるときは飲みますが、基本的に、アルコールを飲むのを辞めました。僕の場合、もともと毎日飲んでいたわけでもないのですが、飲みの場に行くと、惰性でアルコールを選んでいました。
参議院選挙終わりましたね。公職選挙法があるので、どうしても決まったことしかできないのはわかるのですが、本来自分たちの主張を伝えて共感してもらうための工夫やデザインをしないとマズイのでは?という問題意識が生まれました。
一方で、プライド・パレードに遭遇すると自分たちの理想を体験してもらい、参加者だけでなく遭遇した人も共感してもらえるデザインが良くできていると、感心します。これからの時代は、デモなどでも、自分たちのメッセージを伝えるのにちゃんと体験的なデザインを取り入れていくのがスタンダードになっていくのかもしれません。
海外出張から帰ってきたからかもしれないし、帰国したら選挙期間だったからかもしれない。「身体で理解することの強度」というテーマを強く意識するようになった。「頭で理解して、口で話している」人が多いと感じるからだろう。簡単にいうと「薄っぺらい」言葉が溢れすぎているという感覚だ。
糸井重里さんと秀島史香さんの対談で出てくる、「FMしゃべり」というのは、まさに頭で話した薄っぺらい言葉のことを指摘しています。
来週から、また海外出張です。定期的に海外という異なる文脈の場所に行くことで、否が応でも自分が普段いる日本の特殊な文脈を意識させられます。
海外でふと「どうしてこうなっているんだろう?」「どうしてこうも異なるのだろう?」という疑問から、日本で育った自分たちの持つ無意識の文脈を意識してしまうのです。
人生100年時代と年金問題について、話題になっている昨今だが、2014年にこんなblogを書いていました。当時はnoteではなかったので、ここにも掲載しておきます。生涯現役で働けるほど、楽しいことを自分で選んでいくことが人生最大のリスクヘッジ。このことは2019年でもまったく変わらないどころか、ますます普遍になってきています。(以下再掲)
高倉健さんの訃報を聞いて思ったのが、“現役のまま亡くなる”というのが、最も幸せなことだという価値観の時代がやってきている、ということです。
ほぼ日21周年の挨拶として書かれた糸井重里さんの文章は、読んで終わりとすることができなかった。「かたちをちゃんとすることについて考え直す。」と書かれた短い文章。
何か、ここから考えないといけないような、自分もまさしくここに陥っているのではないかと、感じさせられるものだった。全部読んで欲しいけど、一部引用する。