今日、会社で働いた帰りに渋谷で
アプレミディ・セレソンによってCDを購入。
このNETでなんでも買える時代で
なおかつ、本やCD、旅行商品なんかは
一番NETで購入するのに適した消財のはずなのに。
もちろん、本もCDもNETで大量に購入してますが、
アプレミディだけは来たくなるんですよねぇ。
ここには、ちゃんとクオリアがあって
自分が探している音楽やテイストのものの
保証がされているから。
橋本徹という人間のテイストを通したセレクトだから
ぜったいに裏切られない。
セレクトショップの時代になる気がするのは、こんなことがあるから。
明確に欲しい音楽が、アーティスト名などがないと
NETでは購入できない。購入できないというか、絞り込んでいけない。
一方で、自分の好きなテイストのセレクトショップに行けば、
そこに並んでいるものから選ぶだけだ。そこには検索という概念はない。
あとは、どうやって自分のテイストに合う
セレクトショップを見つけるかがキーになる。
NET化が進めば、リアル店舗がセレクトショップ化していくのか?
それともNETの中で、検索型の大型ショップと
ジャンルやテイストごとに商品を並べるセレクトショップ型が
今後増えてくるのか、ちょっとウオッチしていきたいと思う。
でも、今回考えてみたことの肝は
アプレミディにおける「橋本徹」のような
テイストの品質を保証してくれる人間の価値が
ますます重要になるということだよね。
グローバル サイトタグ(gtag.js)
2007/03/18
2007/03/04
10年前の人たちと会って感じる、安心感。
ほぼ10年前に会社にいた人たちでの飲み会があった。
同窓会のような、まるで昔にもどったかのような人間関係。
自分が新人だったころに
頼れる人たちがいて、自分は背負うものがまだ少なかった時代。
癒しとは
「欠乏しているものが充足したときに表れる」と考えると
今、背負うものが多くて疲れている状態で
10年前の人間関係に戻ったときに、安心感、心地よさを感じた。
今、自分がどんな状況に置かれているのかを
非情に明確に感じるいい機会になった。
僕は決定的に、ここから次に行かない限り
もうダメなのではないかと、とても感じた飲み会だった。
同窓会のような、まるで昔にもどったかのような人間関係。
自分が新人だったころに
頼れる人たちがいて、自分は背負うものがまだ少なかった時代。
癒しとは
「欠乏しているものが充足したときに表れる」と考えると
今、背負うものが多くて疲れている状態で
10年前の人間関係に戻ったときに、安心感、心地よさを感じた。
今、自分がどんな状況に置かれているのかを
非情に明確に感じるいい機会になった。
僕は決定的に、ここから次に行かない限り
もうダメなのではないかと、とても感じた飲み会だった。
暖かくなると、哀しくなる気持ち。
すっかり春のような陽気。
散歩している人たちもみんな浮き足立っている。
魚や鳥など、動物たちも活動的になっている。
この季節の風の匂い、甘いような冬とは明らかに違う匂い。
そのおかげでなんだか、毎年哀しくなる。
春には、なにか隠蔽された何かがある。
人の気持ちを哀しくさせる何かが。
自分がとどまっているのに
世の中が新しい生活を始める、芽が出る、など
次の生活に向かって希望を爆発させる季節だからだろうか?
なんだか自分がちっぽけで
置いていかれているように感じるからだろうか?
散歩している人たちもみんな浮き足立っている。
魚や鳥など、動物たちも活動的になっている。
この季節の風の匂い、甘いような冬とは明らかに違う匂い。
そのおかげでなんだか、毎年哀しくなる。
春には、なにか隠蔽された何かがある。
人の気持ちを哀しくさせる何かが。
自分がとどまっているのに
世の中が新しい生活を始める、芽が出る、など
次の生活に向かって希望を爆発させる季節だからだろうか?
なんだか自分がちっぽけで
置いていかれているように感じるからだろうか?
登録:
投稿 (Atom)