「笑っていいとも」は、ソーシャルグラフの面白さにいち早く注目して企画された番組だったんだ!ということに、時代がやっと追いついたおかげで気がつきました。

次の通貨が「信頼」になるまでの流れを考えてみようかな、とふと思った。顔が見える社会になれば、信頼を通貨にする仕組みが自然と生まれる気がする。まだ、うまく言えないけど。less than a minute ago via Echofon跡部 徹
atobeck
@atobeck ツイッターのリストが、通貨にもなりえるんですよねー。もともと、信頼性の担保のために人はいろんなものを発明してきたと、会社、お金........less than a minute ago via web玉置沙由里
sayuritamaki
そうですよね。一方で田舎に帰ると実感する非貨幣経済に未来のヒントがある気がしてます。RT @sayuritamaki: @atobeck ツイッターのリストが、通貨にもなりえるんですよねー。もともと、信頼性の担保のために人はいろんなものを発明してきたと、会社、お金........less than a minute ago via Echofon跡部 徹
atobeck
.@atobeck そうなんですよ、私畑仕事手伝うから、そのかわり野菜ちょうだいねーの世界ですよね。ソーシャルメディア使えばお金ぜんぜんなくても生きていけるんですよ。less than a minute ago via web玉置沙由里
sayuritamaki
そのとおりなのですよ〜。そして気持ちいいし、そこに再び戻る気がするので。RT @sayuritamaki: .@atobeck そうなんですよ、私畑仕事手伝うから、そのかわり野菜ちょうだいねーの世界ですよね。ソーシャルメディア使えばお金ぜんぜんなくても生きていけるんですよ。less than a minute ago via Echofon跡部 徹
atobeck
トフラーのプロシューマの概念に近いのかな? RT @atobeck: 気持ちいいし、そこに再び戻る気がするので。RT @sayuritamaki: .@atobeck 私畑仕事手伝うから、そのかわり野菜ちょうだいねーの世界ですよね。ソーシャルメディア使えばless than a minute ago via HootSuiteToshihiko Kobayashi
kobayashi314
そして透明性の時代、ですよね。企業同様、個人も隠し事が出来ない時代になると思います。“@atobeck: 次の通貨が「信頼」になるまでの流れを考えてみようかな、とふと思った。顔が見える社会になれば、信頼を通貨にする仕組みが自然と生まれる気がする。まだ、うまく言えないけど。”less than a minute ago via Twitter for iPhoneatsushi
spinalcode
知っておきたいと思うことがあると、
つい本を買ってしまって、
本を買ってしまったのに読む時間がとれないと、
そのままいわゆる「積ん読」として溜まっていきます。
これでいいのか、と思いはするものの、
何十年、そのことを考えてきたのに
なかなかいい方法が考えついていませんでした。
そこに、「電子書籍化」なんて潮流がきて、
あたかも「本がうまく整理できる」ような気になる人も、
いっぱいいるようですが、ぼくは、待てよと考える。
部屋を本棚を埋め尽くすような本を、
「限りなく小さい空間に閉じこめる」
のが電子化だとすれば、本は少しも減ってないのです。
場所はとらない、軽々と運べる....それはわかる。
だけど、買った本があり、
読んでない本が蓄積されていくという現実は、
なんにも変わっちゃいねぇぜ、なのです。
「知っておきたいと思う」こころとは、なにか?
「いちおうおさえておきたい知識」って、なんだ?
「知らないと恥ずかしいかもしれないこと」とは?
「読んだらおもしろいらしい物語」って、なに?
すべて、それまで無くても済んでいたものなのです。
そんなに多くの本が、ほんとうに要るのか。
その知識は「必須アミノ酸」みたいなものなのか。
ひょっとしたら、あなたの家で
積ん読状態になっている大量の本とは、
飲みかけで飽きてやめてしまった
サプリメントのボトルではないのか?
飲んでなくてもまったく「お変わり御座居ません」の。
誰に脅かされて、ぼくらは本を買うのか?
誰でもない、じぶん自身が、
「読むだけで向上するじぶん」に期待するからだ。
それは、果たして、いつまでも治らない病ではないのか?
....以上のようなことを、何年も何年も考え、
すっかりわかったつもりでいるのに、まだ本を買う俺よ。
今日も言おう、ここでも言おう「おれのばか」。