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2011/05/20

消費者としても、生産者としても満足が得られる社会には、希望が溢れている。

暗いネオンが定着したここ東京で感じたことです。無理矢理ライトアップして、商品をキラキラさせて喚起できた消費は、そもそも不必要なものだったのかも、と。誰も幸せにしていなかったのかも、と。
社会全体が2倍ぐらいの労力をかけて、2割増しぐらいの成果をやっと出してきたのかもしれない? それによって、生産者としての自分が疲弊してしまい、消費者でもある自分も消費意欲がなくなっていく感じです。
競合商品との「微差」や前のモデルからの「微差」。そしてその「微差」を伝えるために
工夫して伝える広告やキャンペーン。ときには、商品じゃなくてキャンペーンに特徴を求めたり・・・。すべてのものが伸ばし続けなくちゃいけないなかで、無理してやりすぎてきたのかも?という疑問です。
下りのエスカレターに乗りながら、すごく大きな労力を投下しても成果は本当に限定的。
今の日本で生まれ育った僕らにとっては、仕事とはそういうものだと信じてきました。でも、足りないものがたくさんあって、これからまだまだ成長する国にいたら、こんな効率の悪いことをやっていないだろうなぁ。
もし、何もしなくても需要が爆発的に増えていくマーケットにいたとしたら、これほど「企画」や「マーケティング」の必要性はないのかもしれない。
無理してひねらなくても「みんなが欲しいから欲しい」で済む。バイクを買わせるために、ツーリングに行く場所やバイクのある生活シーンを提案する必要もない。ストレートに、欲しいから買って、うれしいから走る。アジアでは、それが普通ですよね。

需要喚起に頑張っている携帯型ガスパワー発電のエネポカタログより ※エネポ自体は新しいマーケットを見つけたいい企画だと思うのですが、いかんせんシーン提案がやりすぎだったため例として使いました

「ベトナム バイク」で画像検索して出てきた「無邪気な」バイクへの喜び溢れる画像

なんだか、みんなでこねくりまわして、パワーをかけて需要を生み出している気がしてきてどうも、気持ち悪い。そして、爆発的に需要が伸びているときには、買う側に枯渇感があるから、商品を発表したときに、生産者側は顧客から喜びのフィードバックが戻ってくるのを体感できるでしょう。

きっと、希望に満ちた社会とは、消費者として「ストレートに欲しい物が出てくるし、買える!」という喜び生産者として「自分が作ったものや企画したものが社会に本当に役立っているし、求められている!」という両輪があって成立するんだろうなぁ。

あ、別にネガティブになっているわけではなく、元気がなくなってしまった日本社会が、再び「無邪気に」なるためにどうしたらいいのかヒントを考えているだけです。

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