2011/05/20

「自分のこととして」意識できる補助機能が必要なのかも?

ここのところ、6月発売の書籍が最終段階になっており、パワー不足のためどうしてもblogが後回しになってしまっています。結局、一日に使える自分のパワーは、決まっていてその中で優先順位をつけながら、やりくりしていくしかないんですよね。
一方で、頭のほうはすっきりしていて、先のことや興味あることをどんどん考えてしまいます。だからこそ、中期的にやりたいことと、目の前でやらなくちゃいけないことをうまくバランスとりながらやっていくしかありません。。。
個人だと、自分の肉体と意思決定がつながっているので、優先順位をつけてやっていかないと痛い目にあうことを常に意識せざるをえません。たくさんを手をつけて、ニッチモサッチモいかなくなるのは、自分ですから。しかし、大きな会社だったり国とかの規模になると、この「優先順位をつけなくちゃ」という感覚が鈍くなってしまいます。
人間には、自分の感覚として把握できる規模の限界があるからでしょうか? 一定以上の人数や一定以上の金額になってくると、肉体的な感覚と結びつけて把握するという方法は難しくなります。そのために数値管理やモニタリングする方法が重視されています。現場の声をヒアリングしたりするのも、同じですよね。現場から遠くなればなるほど、肉体的な感覚や自分のこととして感じる機会から離れてしまいますから。
大きな政府は、どこもどんどん債権が増え、お金を刷って、職員を増やし、そして・・・。という状況を見るにつれ、やはり肉体的な感覚と結びつけた状況把握方法が必要になるように思えて仕方がありません。みんな「自分のこととして感じる」機会が少なくなってきているから。
たとえば、国会議員になると、「負債の重さ」を感じられるスーツを着用することが義務付けられるとか。誰かの気持ちになって、「自分のこととして感じる」機能を定期的に義務付けられるとか。提言する内容に連動して、「効果が得られたときの爽快感」が信号としてフィードバックされるとか。。。
かなりサイバーパンクやSFチックな想像になってしまいましたが、きっとどこかで意思決定や状況を肉体的に体験できる仕組みを真剣に研究している人がいるはずです。少なくとも、今の意思決定が50年後、100年後に与える影響を直感的に把握することができたら、世の中は今のようにひどいことになっていなかったかもしれないので。
震災タイミングで、日本にあった「自分のこととして感じる」ヒリヒリしたような危機感がまた薄まってきている気がするので。自戒も込めて。

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