すでに、僕らはこっち側の世界で暮らし始めているので、「パブリック」で紹介している自分を曝していく世界観には驚きはありません。しかし、ジェフ・ジェービズが書籍として、新しい社会にルールを垣間見せてくれることで、この流れが理解されるきっかけになると思います。
いくつか気になった部分を以下に引用しておきます。
■パブリックとプライベートについてのザッカーバーグの言葉
「インターネットやフェイスブック以前の世界では、誰もが無名であるがゆえに膨大なプライバシーが存在した」
「人は生産者か消費者のどちらかでしかなかった。そのふたつがはっきり分かれた社会、ある意味で自然に反する社会だった」。<パブリック>というツール、たとえばメディアは少数の手に握られていた。今ではそれがみんなの手のなかにある。「だから、問題は『完全にプライベートかどうか』じゃない。『何をシェアし、何をシェアしたくないか』だ」たしかに、僕らは何をシェアするかによって、パブリックな顔を作っている。一方で、シェアしないことによって見せない顔も存在している。
■パブリック時代の企業のあり方
企業は、自社の価値を、所有物の値段ではなく、つながりの質で測るようになるだろう。つながりは企業秘密より大きな価値をもつようになるだろう。四半期収益よりも、つながりが企業の将来性を表すだろう(つながりが真の長期的価値を海、ライバルへの参入障壁を築くからだ)。ブランドはつながりそのものだ。
物事を公開しオープンに議論すれば、ライバルにも秘密が漏れ、良いアイデアが盗まれると恐れる企業があると聞く。自分たちの価値は製品のなかだけに存在し、隠すことに意味があると思っているなら問題だあなたの会社が顧客と協力し、彼らの欲しいものを提供する企業として知られれば、忠実な顧客が増えるだろう。もしあなたが顧客なら、コラボレーションを通じてより良い製品をつくる企業、あなたに耳を傾ける会社を選ぶのではないだろうか?来月出版する本でも、このソーシャルメディア時代のそもそもの企業のあり方について書いています。個人以上に、企業はより透明性を求められます。もう企業が裏の顔を持つことや隠し立てをする時代に逆戻りすることは難しくなるでしょう。
■全員がパブリックになる必要はないのかもしれない
パブリックな存在になることでのみ、人はこの世界に足跡を残せる。政治思想家のハンナ・アレントは、人間はパブリックでなければ、森の中で誰にも聞こえず倒れる木と同じだ、と言う。プライベートであることで、「人生そのものよりも永遠に続く何かを手に入れる機会を奪われる・・・・・・。プライベートな人は、表に現れない。だから存在しないようなものだ」と。自分の名前で主張していくこと、作品を出していくことで、ネガティブな面も当然あります。でも、主張したいのであれば、パブリックにならざるをえません。一方で、主張もなにも必要なく市居の人として一生を全うすることも悪いことではないと思います。
さきほどの企業のあり方と同様に、より影響力を持つものほどパブリックにオープンにならざるをえない時代になります。一方で、これから影響力を持つようになる人や企業は、オープンにしていくことで支持を得て、影響力を持つようになっていく時代です。
結果的に、「正直は最大の戦略」の世界に向かっています。猜疑心や駆け引きが入り乱れた時代から、正直に包み隠さずの世界へ。ちょっと飛躍しますが、日本の外交はそういう意味で先を行っているのかもしれません。
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