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2012/01/30

評価経済時代のリーダーのあり方が橋下徹市長なわけ。

先週木曜日、岡田斗司夫さんとTechWave塾OBの公開討論会に参加してきました。議題は「評価経済社会」で、事前に岡田さんの本を読んだ上で質疑応答のみ2時間ぶっ飛ばしの会でした。





非常に刺激的な議論ができ、理解が深まったお陰で、次なる疑問もいろいろと生まれてきました。blogに書くには、多岐に渡りすぎるので、その中で話されたことから、1つだけピックアップして自分の考えを展開しておきます。


視点1:評価経済時代の政治家像=橋下徹市長(以下、岡田さんのコメント※湯川さんの講義メモより)
評価が上がれば、影響力を持つことができる。これまでは資金力などでしか影響力を行使できなかったのが、知名度や評価などの人気投票に近いもののほうが影響力を行使できるようになってきた。 
   橋下徹さんは、大阪府知事から市長になったのはおもしろい動き。普通なら府知事の次は国政を狙う。でも橋下さんは、評価を高めるほうが影響力を持つということを理解している。橋下さんは、絶対に負けないようにしている。負けないためには、勝てる戦場でしか戦わない。なので府知事から市長になった。そこで集まった評価をレバレッジして国政すら動かせることができる、というのが橋下さんの読みだと思う。読みとしてはすごく正しいと思う。 
 ほかの政治家は、政治を評価経済的に考えずに、だれにどのような得をさせるのかを考えている。貨幣経済的に考えている。こんな状態だからほかの政治家は橋下さんには勝てない。


つまり、評価を集めることで、全員のコンセンサスを取ることに時間をかけるのではなく(そもそも確実に答えがあるわけじゃないからコンセンサスなんかとれっこない)、実験をするチャンスを獲得できる。そして、うまく行けばまた次のチャンスを得ることができるということです。確かに、もはや最大公約数を見つけてシステムを作る時代ではなく、新しい仕組みを見つけていく時代には、政治家も評価経済型でなければ、対応できない気がします。


視点2:今の政治に「リーンスタートアップ」を応用する橋下市長
いつもマニラから鋭い視点でblogを書いている所長さんのエントリーより
橋下市長に「ついてゆけない」ひとたち。


ビジネス脳がないと、橋下市長の行動則はたぶん理解しにくいのではないのか。ビジネスをやってる人間からすると、橋下市長のやってることは至ってふつーのことだ。
・カスタマーへフォーカスする。・細部をつめないで前にすすめる。・やりながら最適化する。・手法に執着しない。・状況は変化してあたりまえ。・言ってることも変化してあたりまえ。・やってることも変化してあたりまえ。・目標達成の最短行動をえらぶ。・ぜんぶをコンセンサスとる必要はない。・決定してから手法をかんがえる。
たしかに、こう表現されると「リーンスタートアップ」です。先日のMITメディアラボ所長の伊藤穣一さんの講演でも以下のように話していました。(日本経済新聞より引用


「BI(Before Internet)の世界では“権威”と呼ばれる組織や人が分厚い仕様書を作り、その後サービスを開発していたが、AI(After Internet)では世界はフラットになり誰でもサービス開発に参加できるようになった」と時代の変化を語り、AI時代には「アジャイル(俊敏)で、アドホック(その都度の対応)な方が勝利を収める」とした。 
 その背景には、サービスを作り、配信し、コラボレーションするためのコストが圧倒的に小さくなったことがある。伊藤氏は、著名人の言葉を引用しながら、「小さいパーツが緩やかにつながる」「モノをあまり持たない」「ざっくりとした合意の上で、動いていくものを見ながら軌道修正する」のがよいとした。これらは、いずれもLean Startupの基本的な考え方になっている。 
 さらに、大企業はビジネスを始める際に事業全体の“地図”を作製、それを俯瞰(ふかん)してリスクを回避しようとするが、「そのコストと時間が惜しい」と指摘する。「社内で会議をしている間に、やってしまった方が安く済んでしまうことがある」(伊藤氏)。


で、再び所長さん(マニラのほうです。メディアラボの伊藤穣一さんではなく)は、以下のように「ついてゆけないひとたち」を表現しています。
反対派は橋下市長の目標値の設定よりもプロセスがどうしても気になるらしく、しきりに「言ったこととちがう!」と唱える。ビジネス脳がない彼らは「先に決定がくる手法」についてゆけないのだ。
薬師院やら香山リカやらの「ついてゆけないひと」は、少数を切り捨てる勇気をもてないかわいそうなひとだ。少数を切り捨てるというだけでおそらく「大問題」になるのだろう。結果、多数の最適化がとれないことになっても、それ自体にも不満をもつのでおんなじだ。これが日本の縮図で、けっきょく、「ついてゆけないひと」というのは「決定できないひと」のことなんだ。決定するための判断軸が多すぎて、しぼりこめないのだ。だから、決定するひとが現れると、「保証」を要求する。「保証」がないと前に進めない人間なんだ。橋下市長があたらしいことを打ち出すだけで恐怖し安全かどうか担保をしろという彼らこそ「モンスター」にちがいない。 
まさしく、そうなんですよね。決定する人が現れると「保証」を要求するけれど、今の時代に「保証」を示せるわけがない。そこで、視点1で書いたように「評価」を「保証」として実験を行なう必要があるのです。政治家に求められるのは、自分の持っている評価をチャンスとして投資して、試すべき仕組みの実験を行うことなのでしょう。


橋下市長の動きは、評価社会経済へ移行する中で、いろいろなことを示唆しています。政治で起こる前に「企業」内でも、この動きは始まっています。リーンスタートアップ的にプロジェクトを進めるためには、プロジェクトリーダーが今まで獲得した評価をテコに、「アイツが実験しながらやっているなら任せてみるか!」と信託をもらうほかありません。


明確な答えが見えない時代の「リーンスタートアップ」と、決定するのに保証がない時代のリーダーシップのヒントが「評価経済」にありそうな件。僕には、ものすごくつながっているように感じてなりません。


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2012/01/24

過去の自分の好奇心が、今の自分の武器になっている

「一人株式会社」という自分にとって働きやすい環境で、生計を立てられているのは、過去の自分がその都度仕入れをしてきたおかげだなぁと、ふと感謝することがあります。

先日も、そのことをtwitterでつぶやきました。

過去の好奇心の動きが、自分の知識の蓄積、実践経験になり、今僕を食べさせてくれている。そう考えると、自分の好奇心の源泉がなんなのかって、すごくすごく重要なことなんだろうな。
痛感するのは、今までの人生で自分の好奇心がやってきたことすべてが、自分個人をラベリングするときの「引っ掛かり」になってくれるということです。まさしく、スティーブ・ジョブズのコネクティング・ザ・ドッツの話です。




過去の自分の好奇心が重要だと思うのは、以下の3つになります。

1:自分の得意分野という「のれん」を掲げることで、知識と経験の集積が起きる
・その都度、目の前の課題に好奇心いっぱいに取り組むことが、未来に活きる

私の場合、得意分野が、メディアを活用した新規事業立ち上げのお手伝いという非常にニッチな分野に絞っているため、クライアントの業種や扱う分野はプロジェクトごとにバラバラです。


しかし、このニッチな分野の経験が蓄積していくことで、他のプロジェクトで起こったことに置き換えたり、共通項や異なっている部分を発見したりということが、どんどんやりやすくなっていきます。自分が過去にどっぷりと、その都度取り組んだことによって、そのジャンルにおける相場観やツボなどを獲得できているからこそ楽になっていくのでしょう。




2:仕事と直接には関係ない分野で、個人として好奇心を持ってやっていることの掛け合わせが活きる

小さな会社や個人において、声がかかるのはたいてい人づてです。相談された人が、「だったらこんな人がいるよ」と紹介してくれたことがスタートになることが多くなります。


さらに、「デザインや建築、音楽好きだしね…」という個人的趣味の掛け合わせ、もしくは、「この分野の書籍書いてるよ…」「blogでこういうテーマ書いてたよ…」という過去のアウトプットが組み合わせになることもよくあります。


3:企業に勤めていた時代の掛け合わせ


過去に、企業で自分が担当していた分野ややってきたジャンルなどは武器になります。だからこそ、企業に勤めている頃から、目の前にある仕事に積極的に取組む好奇心は重要です。その分野に詳しく慣れるチャンスがあるし、あなたの売りになるのですから。




僕の場合は、上記3つでしたが、人によってバリエーションはいろいろあると思います。実家でやっている職業が武器になるかもしれませんし、海外のとある都市にあるネットワークが武器になる場合もあります。アルバイトでやっていた分野が売りになるかもしれません。


今やっていることに夢中になる好奇心と、その蓄積が今の自分の武器です。日々過去の自分の好奇心に感謝して、未来の自分のために、今の好奇心に従っていくことにします。


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2012/01/18

ノウハウやテクニックよりも、歴史を学び自分と向き合うことに惹かれる時代


時代の変わり目には、時代が進んで行く方向や文脈を読むことが重要になってきます。

以前から書いていますが、公文先生が提唱しているように威の時代(国家)→富の時代(企業)→智の時代(智民)と大きく競争ルールと主役(ヴィークル)が移り変わっていっています。今は、まさに富の時代から智の時代への移り変わり始める混沌とした時期です。

このようなタイミングでは、既存の仕組みの中での最適化よりも、前回の時代の変わり目にどんなことが起こり、どうやって対処してきたのか?過去に起こったことを学ぶことで、今後自分たちに起こることを予測することを思考するようになります。

それが今、知的な生活をしている人の興味が、ノウハウやテクニックから、歴史へ動いている理由です。

まさしく、このblogエントリーは、この変化を的確に表現しています。

一方で、知的層ではない多くのフォロワー層に対しては、まるでローマ帝国末期の「パンとサーカス」が行われているようにも感じてしまいます。テレビを見ると、空元気のような、気持ち悪いほどテンションの高いトーンは、逆に不安を覚えてしまいます。

だからこそ、一度目や耳から入ってくる刺激を消して、歴史から学び、自分の頭と心で考えて、今後どうしていくのかを考えるタイミングなんでしょうね。

この流れだと、瞑想とか流行っちゃうのかなぁw


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2012/01/11

大切にしている価値観と自分の生き方がイコールになっていないと、Facebookではツライ




僕がソーシャルメディアが大好きなのは、「自分が外に向けて、主張していたり、提案していることと、自分の生き方がイコールになってないと気持ち悪い」ってことにみんなが自然と気がつける仕組みだから。


ということを、twitterにふと思いついて流しました。よく考えてみたら、実名×リアルな人間関係をベースとしているFacebook上で一番、この仕組が働きますよね。


自分の生き方と、大事にしている価値観がずれていると居心地わるいということに気がつかせてくれるというのは、ものすごくありがたい仕組みです。


「自分らしく生きなさい」とか、「自分が信じるように生きろ」とか抽象的な提言をされるよりも、「Facebookに向かって、自分の大切にしている価値観を表明しよう」ということのほうが、よっぽど実践的なアドバイスです


ソーシャルメディア上で、大事にしたい価値観と、自分がやっていることのGAPに気がつく。違和感を感じる。これではダメだと思うからこそ、大切にしたい価値観と自分のやっていることを一致させようともがき始めます。


この力が働くことで、いままでは「仕方がない」と我慢していたことでも、見直さずにはいられないと思い始めるきっかけになるでしょう。




ときどき、ソーシャルメディア上でネガティブなことばかりを発信したり、他人や他社の悪口を発信している人を見かけますが、ポジティブに自分の価値観ややりたいことを発信して、共感してくれる仲間を集めたり、今の自分とのGAPをさらしていくほうが得るものが多いと思いますよ。


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2012/01/06

今の時代に求められるキャラクターって「仙台四郎」だ。

「愚直で、まじめに、みんなに好かれて、その人がいると周囲が幸せになる」というのが、ソーシャルメディア時代に求められるキャラクターだとすると、すでに仙台では商売の神様として奉られていたことを思い出しました。


商売繁盛の神様である「仙台四郎」です。実在した人物です。以下、説明の引用です。引用元はこちら


仙台四郎は明治時代に実在した人物で、この四郎さんが立ち寄る店が皆繁盛した事から、「福の神」と言われるようになりました。(上の写真はとても幸せそうな笑顔をしていますが、30歳頃の写真といわれています)
仙台四郎は本名を芳賀四郎といい、江戸末期に鉄砲職人の家庭に4番目の子として生まれました。生家は裕福だったのですが、いわゆる「智恵おくれ」だったため「しろばか(四郎馬鹿)」と呼ばれていたそうです。
しかし、生まれつき智恵おくれだったわけではなく、7歳の頃に川(広瀬川)に落ちて流され、意識不明になった時から知能の発達が遅れたようです。
その後四郎さんは街を徘徊するようになり、箒(ほうき)が立てかけてれば、勝手に店の前を掃いたり、店先にひしゃくを入れたままの水おけがあれば、これまた勝手に水をまく。といった行動をとったようです。
やがて四郎さんが掃除した店は繁盛すると噂されるようになり、「福の神」と呼ばれるようになるわけですが、実際に四郎さんが立ち寄った店は客が入るようになったそうです。
四郎さんが「福の神」と噂されるようになると、わざと店の前に箒(ほうき)を立てかけたり水おけを置き、四郎さんを招き入れようとする店が増えたそうですが、そのような下心のある店には寄りつかなかったそうです。
四郎さんの知能がどれほど遅れていたのかは不明ですが、どうやら、直感的に自分を本当に歓迎してくれる店とそうでない店を見分けていたようです。そして、歓迎してくれる店が繁盛したということらしいです。


いまでは、仙台の商店ではどこでも仙台四郎の写真を商売繁盛のために飾ってあります。


顧客に愛される会社のソーシャル戦略」で、ソーシャルメディアによって、人と人が向き合う商売の原点に回帰するということを書きましたが、もうすぐこの本で書いてあることが当たり前になる時代がやってきます。仙台四郎キャラが求められるということも、古くて新しい未来がやってきていることの証拠でしょう。


今後、仙台四郎のような愚直で真摯だからこそ、愛されるキャラクターがたくさん産まれてくるでしょう。そして、その先にはお金儲けや自分の利益を優先しないほうが、結果的にメリットが多く集まるようなシステムも構築されてくると思っています。(きっと今は多くの人にとって、きれいごとのように聞こえると思いますが、そのほうがメリットがある社会と言い換えると理解してもらいやすいのかもしれません)


■蛇足
顧客に愛される会社のソーシャル戦略でもらった嬉しい写真を紹介します。




1:ジョブズ本の隣に陳列されている写真(メンバーズの原さんより)

すごく光栄です。アップルチルドレンとして、今後も頑張っていきます!

2:付箋がたくさん貼られた写真(読者の方が送ってくださいました)




読んでいただき、共感いただいてメールをいただきました。著者にとって付箋付きの写真ほどうれしいものはありません。ホントですよ!

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2012/01/04

2012年は「通貨」について考えさせられる年。「有事の時の無形資産」を意識する年




去年の1月最初の自分のエントリーを読み返していたら、デジタルヒッピーが時代を作っているということと、それに対して既得権益者が現実逃避させるためにマスメディアを活用しているという危機感を、松島で撮った写真とともに書いていました。
さらに、国家について考える年にしよう、と。


2011年は、デジタルヒッピーの憧れだったスティーブ・ジョブズが亡くなったことで不思議な損失感を味わい、震災の結果国家について考えさせられる年となりました。


そしてユーロ圏の混乱、中東の動き、金正日死去と、世界中が旧来のシステムが壊れて、新しいシステムを作り出そうとしているように感じます。

振り返ると2002年の1月1日にユーロが導入するタイミングで、どうしても通貨切り替えで起こる状況を体験したくて、パリに行ったことを思い出します。前からわかっているはずなのにフランのままで営業する商店、地下鉄はユーロに切り替わったために窓口は大混乱で人が溢れ、便乗値上げで一夜にしてコーヒーなどの値段が上がっている。それでもニューイヤーとあわせて、花火をあげてお祭りムードが覆っていました。


2012年は、「通貨」についてたくさん考えることになる年だと思っています。ひいては有形資産と無形資産についてより意識することになると思います。「有事の時の金」と言いますが、それよりも「有事の時の無形資産」でしょう。震災でもわかったように、有事に頼れるのは信頼関係、友人関係などの財務諸表にはあらわれないものでした。


奇しくも、今年は世界中で政治トップの交代が予定されている年です。
1月:台湾総統選
3月:ロシア大統領選
5月:フランス大統領選
7月:メキシコ大統領選
10月:中国共産党大会 国家主席交代
11月:アメリカ大統領選
12月:韓国大統領選


相当不安定な一年が続きそうですが、今年もしなやかに時代を読みながら、次の社会システムが良いものになるように兆しを発見し、挑戦していきたいと思っています。


世の中には、僕のように社会が不安定なときほど、元気に活動するタイプもいます。きっとこの混乱の先に、より人間らしい社会が待っていると信じて、今年も一年頑張ります。



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