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2012/07/31

与えられた選択肢から選ぶより、自分で選択肢をつくる

二者択一の選択肢で、決められずに悩んでいる人こそ、そのトレードオフの選択肢から離れたほうがいいと思う。

魅力的な選択肢がないのであれば、自分で選択肢をつくってしまえばいい。そんなアドバイスをすることが最近多くなっています。それが「自分の頭で考える」ってことじゃないのかなぁ。

The fork in the road / i_yudai


考えてみると、僕らが普段接する商品にしても、サービスにしても時代環境によって変化したニーズにあわせて変化してきています。それなのに、まるで人生の分岐点や、ディベートの課題のように、二者択一を迫ってくる選択肢は、ずっと変わっていません。


・住宅であれば「買うか? 借りるか?」
・大学を卒業する頃になると「就職するのか? 進学するか?」
・退職する人には「起業するのか? フリーになるのか?」
・結婚・出産する女性には「仕事を続けるのか? 結婚・出産を機に家庭に入るのか?」


ステレオタイプな選択肢ばかり・・・。


もちろん、提示されている選択肢の中から満足した道を選ぶことができる人にとっては、なんの問題もない。しかし、二者択一を迫られて苦しんでいる人こそ、この選択肢から逃げたほうがいい。


しっくりこない人は、第三の選択肢を考えてみる。自分にあった選択肢を作ることに自分のあたまを使ったほうがいい。それは、二者択一じゃなく、「どっちもやる」を選ぶこともかもしれませんし、「どっちも選ばない」という選択かもしれません


・家を「買うか、借りるか?」からはみ出したシェアハウスやコーポラティブハウス、オーナー住居付き賃貸マンション・・・


・「就職か?進学か?」からはみ出した、いきなり起業や海外就職、学びながら働く、就職しながら学問を続けるというその他の選択肢・・・


・「起業か?フリーか?」からはみ出した連携してチームを作って仕事をするフリー集団。法人という器を使った一人起業。起業もしながらフリーとしての仕事も両方やる「一人コングロマリッド」・・・


・結婚・出産する女性であれば「旦那と二人起業」「旦那が主夫になって、自分のキャリアを続ける」「会社と契約して、専門性の高い仕事を続ける」・・・


こうやって書き出してみても、選択肢はまだまだたくさんあるはずです。「その他」の選択肢がたくさんある社会こそが、多様性のある「しがらみの少ない」社会だと思うんですよね。




「どっちも選ぶ」という関連記事:西安で考えた「この時代の日本だからこそ得られるハイブリッドな生き方」


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2012/07/23

「ちょこっと稼ぐ」は雇われて働いている人にとっても魅力的。



Chikirinさんの「ちょこっと稼ぐの復活」というエントリーが深すぎるので、Blogに自分の考えを書かざるをえません。。。
就職できないで自殺する人までいるらしいけど、そこまでいかなくても就職できるかどうかが大きなストレスになっている大学生はたくさんいるでしょう。そもそも「雇ってもらえなければ、人生終わり」みたいなコンセプトはおかしいとは思うけど、そうなってきたのは、「何やっても食べていける」という感じがなくなってきたからかも。 
昔は自分で何かやって「ちょこっと稼ぐ」というのが、もっと身近だったんじゃないかと思う。


いつのまに「雇ってもらって、給与をもらう」という選択肢が当たり前の世の中になってしまったのだろう。。。本来は、自分で「ちょこっと稼ぐ」という選択肢だってあるのに、端から諦める人が多いのはもったいない。

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さて、言いたいことは「仕事がなければ、自分でちょこっと稼げばいいじゃん。」ということだけじゃなく、「仕事があっても、ちょこっと稼ぐことで得られる満足を求めている人が多いのでは?」ということ。


雇われている仕事では、誰のために、自分が役に立っているのかを感じづらい仕組みになっている。一方で、自分でちょこっと稼ぐことは、シンプルだ。自分が提供するものに誰がお金を出してくれて、誰が喜んでくれるのかを直接感じられる。


今、満たされていない「社会への貢献感」「自己肯定感」が、「ちょこっと稼ぐ」ことによって得られる


だからこそ、雇われて仕事をしている人にとっても、「ちょこっと稼ぐ」ことには金額ではない魅力がある。さらに、会社組織という分業システムから切り離されたときに、自分に何ができるのかという不安を抱えている層にとっては、なおさら魅力的なんだ。


「ちょこっと稼ぐ」なんて、社会全体から見たらミクロなトレンドだし、今は産業界に影響を与えるほどのトレンドじゃないかもしれないけれど、一度振れ始めた振り子は、徐々に加速していき、無視できないトレンドになっていく。


だって、こっちのほうがクールに感じ、輝いているのだから。


関連記事:人間が生存していくために「イケてる」「イケてない」の感覚が存在する




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2012/07/19

消費シーンでも表れる「依存」恐怖症という現代の病。


「依存」が怖いなぁ。


Cut Chair Optical Illusion by Peter Bristol



この時代を生き抜いていくために、自然と身に付いてきているのが、「依存恐怖症」とも言える病なんじゃないだろうか?


自分の帰属意識を、家庭・職場の関係・第三の場所(常連のお店・何らかのコミュニティetc.)へ分散するのも、一つに依存しないための防御策。


個人で収入の分散化を求めているのも、事業や会社でも従来のターゲットなる新市場に出て行くことを求めるのも、海外マーケットに進出するのも、安定が望めない情勢では、一つに依存していることがリスクだからだろう。


もしかしたら、「消費」もそうなのかもしれない。モノを購入するときにも、一度買ってしまうことで、「依存」してしまうような関係を求められるときには躊躇する


住宅やクルマは、金額が高いだけでなく、その後も持ち続けてメンテナンスや税金を払い続けなければならず、他の選択肢をとることを難しくさせるから、二の足を踏んでしまう。


お酒やタバコ、ギャンブルが以前に比べてcoolじゃなく感じる人が出てきているのも、依存するものを増やしたくないからかもしれない。(「飲み会で飲むのはいいけど、家で毎日飲む気はしない」とか)


無料であるSNSでさえ依存症にならないように、気を付けているわけで。。。(無料でも自分の時間と情報を提供しているわけですから)




顧客が躊躇しているのは、「お金を払うこと」よりも、「依存する関係を築く」ことなのかもしれません。


それなのに、企業が「囲い込み戦略」なんて実行しようものなら、巻き込まれないように、ますますガード堅く警戒心が強くするだけ。。。一方で、ちゃんと関係ができて自分の帰属意識が持てるようなサービスやブランドには、お金だけじゃなく「依存」を表明するのも厭わないわけですから、人間って興味深いですね。



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2012/07/12

「新しいだけ」では、もはや優遇されない。



「新しくないから・・・」「10年前に流行ったものでしょ・・・」と、新しいモノ原理主義の人は、たった一つの「ものさし」で、対象物を評価する。でも、それは対象物の他の面をまったく評価対象としてみていない。


日本人は「新しいモノが好き」と一般的に言われてきました。最新のガジェッド、新築の家、新車、新しくできたショッピングモール・・・etc.


でも、この「新しいモノ原理主義」から目が覚めつつあるのだと思う。
少なくとも、僕が今イケテるなぁと感じるものは、「新しいか古いかを気にせず」他の評価軸で戦っているモノたちです


R0014003


ミッドタウンやお台場などのハードから新規に作った場よりも、廃校になった建物や工場の跡を活用してソフトとしての人が集まって作り上げた場(ex.3331IIDTABLOID)のほうが輝いている。


日本人の僕がアジアの都市に行って惹かれるのは、上海のm50や台北の華山1914創意文化園区などのやはり工場跡地にクリエーターが集まって活動している場所であって、上海環球金融中心(上海森ビル)や台北101などの最新のビルじゃないんですよね。


新品のバッグや靴よりも、その人が何年もかけて馴染んできたモノや道具たちに、すごく惹かれます。新築の家よりも、古い家をリノベーションして暮らすことを選ぶ人たちにも同じ流れを感じます。


SDIM0861


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昔、カーセンサーという中古車媒体をやっていたときにも感じたことだけど、新車を選ぶよりも中古車を選ぶほうが自由度が高いだけに難易度も上がる。


新車だと、今売っているものの中から選ぶので、現在の商品価値(=売値)で評価基準が一緒に提示されている。自分の用途×価格レンジ(という世の中尺度)で選ぶことができる。しかし、中古車だと今まで発売されて流通しているクルマすべてから、自分なりの優先順位で選ぶことできる。プライスという世の中基準から離れた「自分のこだわり」や「テイスト」を優先した選択できてしまう。こっちのほうが自由だけれども、その分難易度も高くなる。


これが、社会が成熟してきたことで我々が手に入れた新しい自由(選択基準の多様化)です。その分、トレードオフとして「自分が求めるものが何か?」を明確にしなければならなくなりました。




もちろん、だから「新しいモノは終わった」わけじゃなくて、「新しいだけ」の価値が相対的に下がっただけで、新しいということも判断基準の一つの項目として、ちゃんと冷静に観られる立場になったということ。
そして、「新しいだけ」では今までのように優遇されずに、過去に作られたモノたちと、並列に価値を比べられるようになっただけなんだ。




この話って、先進国の中では「モノ」だけじゃなく音楽や書籍などの「コンテンツ」にも当てはまるんだよね。考えれば考えるほど、深いよなぁ。。。



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2012/07/06

国が提示する「標準モデル」が時代に合わなくなっていることが、本質的な課題だよね。



人と違うことを求めることは楽じゃない。社会の仕組みが、一般的な生き方に最適化されているからです。

20080820 Rail (線路は続く?)
        20080820 Rail (線路は続く?) / BONGURI

レールに乗っていれば、自分の頭を使って判断しなくても、次にやるべきことが表れてくる。まるでコース料理みたいに・・・。もしかしたら、最初にコース料理を注文した認識すらないかもしれません。


これが、「その他」の生き方・レールから外れた生き方を選択した途端、コース料理ではなく、都度都度、自分の欲しいものを言葉にして、組みあわせて注文しなければなりません。


コース料理だったら、自分のニーズを口にすることもなく「みんなが美味しいと思える」「お店にとって一番、注文して欲しいもの」をサーブしてもらえます。


でも、そのコース料理が今の人の口には合わないものだったら・・・、お店の都合なだけで自分たちが欲しいと思えるものではなかったら・・・、単品メニューの組み合わせに挑戦したくなるのは自然なことでしょう。


しかし、単品メニューの組み合わせには、相応のスキルが求められます。さらには、自分の選択ミスは確実に自己責任・・・。


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今の日本社会では、この元々提供されているコース料理の欠点や粗、もしくはお店側の意図が見え見えになってきているため、コース料理よりも自分で単品メニューを組みあわせて、「自由に好きなものを選ばせてくれ!」という声が大きくなり始めています。

IMG_0019
        IMG_0019 / PoundPolo




本質的な課題は、国として「モデル世帯※」という一つのターゲット向けの時代錯誤のコースだけ出し続けていることです。さらに悪いことに、モデル世帯はほぼ存在しません。
※モデル世帯(厚労省が年金の試算に使っているもので、条件は①20歳までに結婚した同じ年のカップル②結婚生活40年③40年間夫は会社員で入社から定年までの標準報酬月額が月36万円、妻は専業主婦、というもの)


本来はお上が、時代に適したコース料理の選択肢をちゃんと示していったほうがいいはずです。示して欲しいとは思うけれども、たぶんそれを期待するのは間違っています。彼らが普段過ごしている組織こそが、今の時代の社会とは異なっているから。


じゃあ、どうするのか?


抜本的な解決ではないけれど、今できることは「単品メニューの組みあわせ事例の共有化」なんじゃないだろうか?


単品メニューを組みあわせて、時代に適合した(していると信じた)生き方を選択した人たちが、良い面も悪い面も含めて、実例やノウハウをオープンソース化して共有していくことしかないんじゃないだろうか。


そうすれば、レールから外れて、新しい挑戦を始めた人を攻撃したり足をひっぱったりするのではなく、社会に一つの事例を提供してくれているという温かい気持ちになれます。


ついでに国は確定申告タイミングで、実態調査レポートを提出することを条件に「被験者控除」枠を作って、実証事例を集めたら面白いのになぁw だって社会のためにサンプルになってくれているわけですから。


まあ、それは冗談としても、時代に適合していないモデルケースだけしか示されないよりも、「その他」を選んだ人のサンプルがたくさん提示され参考にできる社会のほうが、僕にとっては豊かな社会だと感じます。



関連記事:自由大学で「脱藩学」やります!


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