例えば、「おもちゃ」よりも「おもちゃじゃないもの」のほうを喜び、長い時間遊ぶという傾向。大人としては、おもちゃを預けておいたら、夢中で遊んで欲しいのですが、意外とすぐ飽きて投げ出してしまします。
それよりも、大人にとって「触らせたくないもの」「危ないから遊んでほしくないもの」で遊ぶことを好むわけです。テレビやエアコンのリモコン、各種ライトのスイッチ、床暖房のスイッチw DVDやオーディオ機器、らせん階段、ガラス。もちろん家具類やコンクリートの壁にアタックするのも大好き。尖っているものを見つけたら、掴んで舐める。。。
大人が「危ないなぁ」「やめて欲しいなぁ」と思うもので遊んで、ドヤ顔してこちらを見てくる。。。
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詳しいことはわかりませんが、もともと本能的に「スリルを楽しむこと」や「相手の期待値を超えること」が組み込まれているのかもしれません。
すでに「使い方が決められている」ものよりも、「別の用途のものを工夫して遊ぶ」ことのほうが、相手の期待値を超えることにつながっていることを、まるで知っているかのように。
何歳向けとか、この子たちにはこのぐらいという制限された環境は、相手を文字通り“子供扱い”しているのかも。
これを、いい大人向けにもあちこちでやっているのが、我々の暮らしている社会。「もし事故が起こったらどうするんだ?」「新しいことやってうまくいかなかったらどうするんだ?」という先回りしたおせっかいであふれています。
子供の様子を見ていると、制限されるよりも、少々危ないことにも挑戦させるルールに適合するように、人間はできているように思えます。
もちろん、本当に危険な状況になったときに、手を差し伸べられるバックアップは必要です。
我々の社会に置き換えると、バックアッププランは社会システムで作っておきながら、挑戦にも制限している状態。バックアッププランが仕組みとしてあるのであれば、本当はもっと温かく挑戦する人を眺められる余裕があってもいいのかもしれませんね。
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