さて今日で2015年も仕事納め。とはいえ世の中がゆったりしている間に、じっくり考えたいことがいくつか残っている。じっくり考える時間が、いつのまにか自分にとってのご褒美になっている!
今年は仕事で企画を設計するにあたって"ヤンキー魂"と"サブカルスピリット"の二軸を使って考えることが多かった。人間の成分として、ヤンキー魂とサブカルスピリットの2つがミックスしてできているイメージ。人によっては8割がヤンキー魂で2割がサブカルスピリットだったり・・・。
多くの人に普遍的に響くものを考えていくと、ヤンキー魂成分を無視できない。人とのつながりを大切にしたり、ピュアで頑張っている姿を応援したり、家族や子供という頭ではなく身体にインプットされている動物的社会性に行き着いていく。ジャンプの「友情・勝利・努力」だってこれ。下町ロケットだって、普段はサブカルスピリット成分が高い人であっても、その中にあるヤンキー成分を刺激するものがその人の感情を呼び起こす。
今日読んだエントリーでも、以下の部分はまさしくヤンキー魂とサブカルスピリットを具現化していた。
糸井
ヤンキーにもいろんな人がいるんでしょうけど、
ぼくがかっこいいなと思うのは、
ヤンキーの人たちって「世のため人のため」みたいに
言わないことなんですよ。
そうじゃなくて「俺は、自分とお前らを守る」。
永ちゃん(矢沢永吉さん)がかっこいいのもそうで、
「俺は金が欲しい。俺はいい酒が飲みたい。
俺はいい車に乗りたい」って、
発言の主語がいつも自分なんです。
「金の金じゃないのよ」とかあとで説明はするんだけど。
そういう「自分発」の精神を
持ってるか持ってないかが、
ヤンキーの境目だと思うんです。
増田 じゃあ、やっぱりぼく、半端ものでした。
引用:なんとかするから。増田セバスチャン-ほぼ日刊イトイ新聞
人って、その半端だというグラデーションこそが、個性なんじゃないかなぁ。
ここ数年大事にしているのは、現実は白か黒かに二分できない、ということ。多くのことは二択ではない。ハイブリッドな選択肢がたくさんある。人だって一つのカテゴリーに分類することはできない。複数のタグをもっているし、時と場合によって位置付けは変わる。感情は揺れ動く。
2016年は引き続き育児もやりながら、各地を回ってたくさんの物を手に取り、多くの人に出会いながら、社会のグラデーションの豊かさを自分の眼で見て回ろう。
みなさんも良いお年を。
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