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2012/05/19

邱永漢さんこそ、既存の職業の枠から外れたノマドだった


5月16日に邱永漢さんが亡くなられました。4月末から邱永漢さんのコラム更新がストップしたままだったので、心配していたのですが、正式に発表がありました。ご冥福をお祈りします。


私自身、邱永漢先生を私淑してきていたので、大変驚きました。邱さんは株で儲ける人、「お金儲けの神様」というイメージで認識されている方が多いかもしれませんが、それは一面にすぎません。(香港や台湾でも、「お金儲けの神様」として雑誌や新聞に出ると部数が伸びるほどの知名度です)




彼こそ、既存の職業の枠には当てはまらない人であり、邱永漢という職業をやった人でした。晩年まで、時代の変化を敏感に感じ取り、世界中を自分の目で見て回ることにこだわり、その上で事業になることを発想して取り組み、また文章として発表し続けた人でした。


本当にいろいろな切り口がある方でした。以下に、有名な話だとは思いますが、知らない方に向けて「お金の神様」以外のトピックスをまとめてみます。


■直木賞受賞作家





直木賞受賞直木賞を受賞した小説『香港』。直木賞候補になった『濁水渓』。さらに外国人初の直木賞作家。


■革命家であり、ノマドにならざるをえなかった人


台湾生まれで、東大に入学。台湾独立運動に関係して中国国民党政府から逮捕上が出て、香港に亡命(その後、国民党と和解)。1980年に日本国籍を取得。
※この辺の生々しい体験談を「わが青春の台湾 わが青春の香港」というWEB連載で読めます


その後も東京・香港など複数に住居を持ち、『非居住者のすすめ』という著書もあり。





■ビジネスホテルをはじめた人


地方から東京に出張してくるサラリーマンの動きをみて、最初の「ビジネスホテル」を渋谷に開業。この「ビジネスホテル」というネーミングも邱さんによるもの。


■コンサルタントのはしり


そういう私も、コンサルタントの会社をつくったことがあります。
確か昭和36年に私が株式投資でお金を儲けて
渋谷の東急本社のお隣に『マネービル』という
小さなビルを建てた時のことです。 

まだコンサルタントというコトバすら
知らなかった人が多かった時代ですから、
恐らくコンサルタントの
ハシリだったと言ってもよいでしょう。(引用元


■橋幸夫「恋のインターチェンジ」の作詞家




他にも一時期、作詞家として活躍されていました。

■税法についての本を書いた直木賞作家

お金のことを人前で話すのがタブーと言われる時代に、税法について執筆しはじめています。不景気になってきたら、みんなが興味を持つことは何か?と考えて、税金にお金を取られない方法だと考えたそうです。日経の夕刊に「ゼイキン報告」という連載をはじめ、これもヒットさせています。



多数、お金に関しての書籍を出されていますが、糸井重里さんとの共著の以下の本が入門編としてオススメです。






■自分の死ぬ予定を77歳に設定していた

そして、77歳を越えてからも活発にオーバーした年齢で多くのプロジェクトをはじめていました。




■世界を見て回る「考察団」ツアーを自ら引率

自ら世界の気になる都市を視察に訪れ、美味しい物を食べ、企業を訪問して話を聞くという考察団というツアーを行っていました。募集を見てみると、6月にヤンゴン→シュリムアップ→バンコク→香港という8泊9日のツアーに行く予定だったようです。


■有名人手帳ビジネスのはしり?

邱永漢の実務手帳を販売していました。すごいのは「邱永漢のすすめる旨い店」という飲食店データが掲載されていました。(日本全国・北京・台湾・香港)


■世界を飛び回るノマド・ブロガー?

ご本人は、紙とペンで執筆したモノを各地からファックスしていたようですが、それが毎日更新の「hiQ」というサイトとなっていました。


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こうやって、いくつかピックアップしてみただけで、いかに先見性と実践力があった方なのかがわかります。「お金儲けの神様」という偉業部分を外しても、上記のように非常に優れたクリエーターだったように思います。


多くの影響をアジアの人々に与えた方だと思います。改めて、ご冥福をお祈りしています。



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